第二部 竜の少女と伝承、或いは過去

daily life 3

第33話 日常の変化

「じゃあ読むぞ!」


 少女は手紙を顔の前に掲げて、音読する。


「『ウィルナーさん、ジーヌちゃん。お元気でしょうか。改まった文章を書くのは若干気恥ずかしくも思うのですが、蘇生したことを伝えておけとサイカ様が言うので、こうして手紙を綴っています。

 ご存知のように、自分はウィルナーさんの薬品を摂取してこの身に炎を宿しました。とはいっても人間の肉体は炎に耐えられないもの、いつかは燃え尽きる定めとそれまで強く生きるつもりでおりました。ですが、サイカ様が言うところに依りますと、内部的に超高温環境の維持が可能なメリュジーヌの特性を応用すれば燃焼現象は可逆となり得る、ということでして、手法の詳細を記すことは学不足にてできませんが、ともかく燃焼し灰となった自分の身体も復元できたそうです。

 サイカ様の実験に付き添う日々ゆえ、直接お伺いはできませんが、砂漠の街トラウィスにてお二人のご健勝ご活躍をお祈り申し上げます。

 焔の男より。』」


 読み終えて、ウィルナーとジーヌはほとんど同時に思った。

 あいつの名前、焔の男でいいんだ。


 手紙が届いたのは今朝のことだ。少女がテントから這い出してきたときには、半分地面に突き刺さった状態で放置してあった。気付かなかった時に備えてか、テントの近くには三つほど目立つ色の矢印看板まで立ててあったので、そこまでするくらいなら普通に起こして渡せばいいのにと思ったジーヌである。

 さておき、焔の男が蘇生したという状況は単純に喜ばしい。

 ジーヌは焔の男に感謝している。雪原での出来事に際し、彼がいたおかげでウィルナーが助かったのは紛れもない事実だった。彼だけのおかげではないが、彼の存在が切欠で救助の手が届いた。感謝してもし足りない。てっきり死んだものとばかり思っていたが、生きているなら何よりだ。


「しかし、らしくねえ文面だな。別人かよ?」

「文字と会話でガラッと雰囲気が変わる人間はいる。もしかしたら、君だってそうかもしれない」

「試してみるか?」


 ジーヌは楽しそうに言った。



 ×××



 朝がやってくる。

 ウィルナーは決まった時刻に目を覚まし、規定動作を行う。まっすぐに立ち、首を左右に一度ずつ回す。両手を合わせて手のひらを身体の外に向け、腕の筋を伸ばす。それから屈伸を三度。きっかり三十秒の軽運動をこなしてからテントを出る。

 研究者はいつも通りの日課をこなす。

 しかし、その風景の中に、少女の声は見当たらない。

 かつては特定の時間になると、ジーヌがまるで目覚ましのようにウィルナーを呼んでいた。それがいつもの朝であり、ウィルナー起床の合図だった。だが、少女は暫く前から朝の声掛けをやめていた。より正確に表現するのならば、少女は『いつも通り』をやめていた。

 変化のない日常には安心感がある。いつも通りの日々、パターン化された行動、されどそこには新たな発見がない。少女は恋の探究を行うと決めた、その為には新しい行いが必要だ。お決まりというものを破壊し、多くの経験を得る。幸いにも、ジーヌはぶっ壊すのが得意だった。


「ウィルナー!」


 陽光を浴びていた男の背後から突撃する少女。朝から元気いっぱいなのは良いことだが、突進を受けるウィルナー側としては腰が変形しそうなのでもう少々手加減してほしいところだ。


「やあ、おはようジーヌ。朝から素敵なタックルだね」

「辛そうな表情と言葉から読み取れる感情が合致しねえ」


 掛け合いも適度に、ジーヌは男の肩に手をかけて飛び上がる。肩から頭頂部に手を置き変えると、両足を開いて着地、少女の太股がウィルナーの肩に乗る。前準備もなく肩車を強制された衝撃で研究者はよろめいたが、なんとか体勢を維持することに成功した。


「危ないよ」

「倒れなかったからいいんだよ。今日はこういう接し方でいこうぜ」


 ウィルナーの首を太股で圧迫しながら、少女は提案した。

 恋の探究と一口に言っても、具体的に何をすれば答えが導き出せるのかジーヌには分からない。もちろんウィルナーも分からず、では何をしているかと言えば、少女は嬉しいこと探しをしている。

 恋という感情は、嬉しさを呼び起こす場合が多いという。

 たとえば、抱きしめられれば嬉しい。

 話を聞いてくれても嬉しい。

 そのようなジーヌがウィルナーとの接触時に喜びを感じる行動、元々は経験則に基づいていた『嬉しいこと』を探す。嬉しいかも悲しいかも分からない行動を実践、その際の感情を分類し、検証用データサンプル数を増やす。法則や傾向を探るにあたって、サンプルの量は多ければ多いほど良い。

 現在までに判明した嬉しいこととしては、ウィルナーの頬を指でぐにぐにする、ウィルナーを投げ飛ばしてキャッチする、ウィルナーの私物の匂いを嗅ぐ、横向きになったジーヌの上半身と下半身をウィルナーがそれぞれの腕で分担するように支えた状態で腹の位置まで持ち上げお姫様のように扱う、等。

 嫌な気分になることとしては、胸を鷲掴みにされる、角や尻尾を変な手つきで執拗に撫で回される、布を使って目隠しをされる、等。

 なんか恥ずかしくなることとしては、至近距離で見つめ合う、他いろいろ。

 日ごとに接触方法を変え、ウィルナーとジーヌは嬉しいことのリストアップを進めている。


「確かにこれは未経験だが、安定しないな」

「オレとしては視界が高くて快適だ」

「……ふむ」


 ウィルナーがおもむろに両手を上げ、肩に乗っているジーヌの太股を掴んだ。少女が反射的に「ひゃっ」と可愛らしい悲鳴をあげた。


「な、何すんだてめえ!」

「いやなに、こうすれば少しは安定するだろう」


 そのままウィルナーは「散歩にでも行こうか」と歩き出す。

 一歩ごとに男の身体は揺れ、伴って少女の身体も揺れる。太股を握られ、ある程度は固定されているのだが、それでも微妙に擦れてめちゃくちゃこそばゆい。

 未体験の感情に襲われ、少女の心は大変にむずむずしている。

 感覚としては角や尻尾を撫で回されたときに近い。しかし、竜への興味ですげえ気持ち悪い顔で角を撫で回していた状況とは異なり、ウィルナーに悪意的なものが一切ないことを少女は理解していた。なので「気分が悪いから止めろ」と一蹴するのも違う気がして、とりあえずジーヌは耐えてみている。

 そんな状態が五分ほど続いたのち、


「…………。無理」

「どうした?」


 限界が訪れた。


「てりゃあッ!」


 こそばゆさがリミッターを振り切り、少女は身体を捻りながらウィルナーの肩から離脱した。横方向に二回転半のスピンを決めてから着地、ピタリと静止した。美しい動作だった。


「満点」

「そりゃありがたい。んだが……」


 少女は引き攣った笑みで続けた。


「悪い。それ、大丈夫か?」


 捻った影響を思い切り喰らったウィルナーの首は凄まじい音を立てて半回転していた。身体の向いている方向と頭の向いている方向が逆になっている。


「大丈夫だ。後で直す」






『その後、ウィルナーの首は無事、元通り前を向いた。大事なかったことには安心したが、首が半回転しても普通の顔で会話を継続させるので、正直相当気持ち悪かった。人間を自称していい存在ではないと思う』

――ジーヌの文書より抜粋

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