虹を見にいこう 第9話「虹を見にいこう」

なか

Chap.9-1

 日曜の夜って、少しだけ物悲しい。

 明日から始まるウィークデイにため息をつきながら、残り少ない休日の時間を過ごしている。いわゆるサザエさん症候群ってやつだ。アメリカにも『ブルーマンデー』という言葉があるそうだし、月曜から始まる仕事や学校から現実逃避をして、楽しかった休日の思い出に浸りたいという気持ちは万国共通なのだろう。

 一週間の中でも、特に日曜の夜はみんなの顔がリビングに揃いやすい。この日も誰も部屋に戻る気配がなくて、サザエさん症候群に見舞われた僕らはついつい夜更かしをしていた。

「ねえ、一平くん」

 リビングのソファに寝転びながらスマホを弄っていたユウキに眠そうな声で呼びかけられ、考え事をしていた僕は気もそぞろに生返事をした。

「ん?」

「一平くんの休日の楽しみって何?」

 唐突な質問。改めて問われると、これといって熱中できる趣味があるわけでもない。

 返答に困っていると、

「何かさあ、恋愛も上手くいかないし、趣味に没頭するのもいいかもなあって。参考に一平くんに聞いてみたってワケ。でも、聞く相手間違えたかも」

 とユウキが眠くて重そうな瞼をぴくぴくさせながら言った。

「それ、どういう意味だよ」

「一平くん、趣味とかなさそうじゃん」

 ぐうの音も出ない。図星過ぎて悔しいので、何とか考えてみる。

「ああ、電車に乗るのは好きかもしれない」

「電車? それって鉄道マニアってこと?」

「や、マニアと言うほどではないんだ。ただ山手線に乗ってぐるぐるまわるとか、そういうのが結構好きかな」

「何それ・・・・・・いったい何が楽しいの?」

「うーん。頭の中からっぽにして、車窓を過ぎてく景色を眺めてるのって楽だから。環状線じゃないと帰ってくるの大変になっちゃうだろ」

「それ、暗い。あまりにも暗いよー」

「そういうの乗り鉄って言うのかしら」

 テレビで『情熱大陸』を見ていたリリコさんが僕らの会話に口を挟んだ。

「ノリテツ?」

「そう、乗る専門の鉄道マニアってこと。鉄道に関する知識を深めたいとか、写真に撮りたいとか、鉄道マニアにもいろいろあるみたいだけれど。乗り鉄はより現物主義者ってとこかしらねえ。車両の加速度合いやモーター音、発車のベル、駅のアナウンス、実際に乗っていればこそ感じる振動やカーブの傾き具合に萌えちゃうみたいよ」

「あの、そういうことまで気にしたことはなかったというか。むしろ気にならないというか」

 流れ去っていく東京の町並みを見るともなしに、ただ考え事をするのが好きなのであって、こんな僕が乗り鉄を名乗ったら、本気の鉄道マニアから怒られてしまうだろう。結局のところ、僕は人様に誇れるような趣味などないのだった。

 リリコさんが肩をすくめて見せる。

「山手線に乗ってぐるぐるまわるのが趣味とか、コトナカレ主義の一平らしいけど」

「ハ~アァ、もういっそうのこと犬が飼いたーい!」

 ユウキが大きなアクビをしながら、ついでのように叫んだ。両腕を突き出して伸びをしたあと、ボスッと音を立ててソファに身体を沈める。

「あんた最近、そればっか言ってるけど……そもそも『いっそうのこと』て何?」

「ほら、独身OLが犬を飼ったら、もうオシマイ。一生男ができないってよく聞くじゃん?」

「何がオシマイよ。あんたに飼われた哀れな犬の方がオシマイでしょ。自分の面倒もまともに見れないのに、ユウキにペットの世話がつとまるとは到底思えないわ。子犬のうちだけ可愛がって、大人になったらポイ捨てとかあり得そうよね」

「リリコ姐さん、ヒドイなあ。ぼくって面倒見がいい方だと思うけれど」

 ふて腐れたフレンチブルドックみたいな顔をしたユウキを横目に、リリコさんはこの日三本目の缶チューハイに口をつけた。

「まあ、それに……ここじゃ飼われてるようなもんじゃない。みんなタカに」

「どういうことですか?」

 気になってリリコさんに問いかける。

「晩ご飯をタカに作ってもらって。脱ぎ散らかした服を片付けてもらったり、ゴミ当番や風呂掃除も忙しいときはタカが代わってくれるし、日用品は全部タカが買ってきてくれるじゃない。あたしたち自立してるとは言いがたいわね」

 似たようなことを夏の台知久(だいちく)海岸で、DSバーのマスターおケイさんにも言われた。あの時は、リリコさんだって反論していたのに。飼われているとは、あまり気持ちの良いものではない。

「それ全部、あてはまってるのはリリコだけだぞ」

 ダイニングテーブルで雑誌を読んでいたタカさんが、丸メガネを外して目頭を指で押さえた。

「風呂掃除やゴミ当番を年中すっぽかすのはリリコくらいだろう。必要な買い物は、一平やユウキも会社帰りにして来てくれる。もう少しリリコが自立してくれると、俺も楽なんだがなあ」

「そんなこと言って、何だかんだタカさんはリリコさんにいつも甘いんですから」

 リリコさんに向かって辛辣なことを言いがちなタカさんだが、しょうがないなと言いながらリリコさんの散らかしたものを片付けるのも、ケンカの最後に折れるのも、いつもタカさんの方だった。タカさんがリリコさんのことを古い友人として特別に思っている証拠でもある。

「ちょっとやめてちょーだい。あたしばっかり、ひいきにされてるみたいな言い方するの」

 リリコさんはテレビの前のローテーブルに肘をついたまま、僕をまじまじと見つめて来た。

「一平、最近ちょっと変じゃない?」

「何がですか?」

「様子がオカシイのよねえ。このところずっと。奥歯に物の挟まったような言い方するじゃない。何につけても文句があるような。一平、なんかあたしたちに隠し事してない?」

「え? 何なに、一平くん何を隠しているの?」

 ユウキが急に眠気の吹き飛んだ声を出す。。

「別に、何も隠してませんて……」

 チラリとタカさんの様子をうかがう。タカさんはピクリとも表情を変えずに、また眼鏡をかけて雑誌に目を戻していた。

 新宿三丁目、柳通りのコーヒーショップの店先で雨宿りをした日。タカさんは僕に打ち明けてくれた。このマンションの部屋でタカさんの昔の恋人が亡くなっていたことを。事故物件であることをみんなに黙って、この部屋でルームシェアをしていたのだ。

『まだあの部屋には、マサヤがいるような気がするんだ。事故物件の噂で誰も住まなくなっては、マサもが寂しがると思ってね』

 そう言ったタカさん。いつもの穏やかな表情からかけ離れた、普通の顔つきではなかった。あの日から僕はずっと考えている。僕らのルームシェア生活をつなぎとめているもののひとつが、タカさんの亡くなってしまった恋人への未練だとしたら、それをみんなに告げていいものなのかどうか。

 僕はどうしたらいいのだろう……いくら考えても、答えの出る気配はない。

 一方、タカさんは僕に口止めをするわけでもなく、いつもと変わらない様子で「バイトを始めることにしたよ。店の再開資金がおぼつかなくてね」と二丁目の知り合いの店で働き出していた。タカさんがいったい何を考えているのか、正直わからない。ただ、その眼差しに時々あの雨の日と同じ虚ろな色を見るような気がした。いや、昔からあったその瞳の色に僕が気付くようになってしまったのかもしれない。

 とにかく僕ひとりがギクシャクとして、確かにリリコさんにオカシイと思われても仕方のない状況だった。昔からタカさんと付き合いのあるリリコさんは、全てを承知で一緒に暮らしているはずなのに……以前、事故物件の噂が話題になったときも、何食わぬ顔で口を閉ざしていた。どういうつもりか、いまひとつ尋ねる踏ん切りもつかず、歯切れが悪くなっていた。


Chap.9-2へ続く

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