彼女が私を愛した理由

阿賀沢 隼尾

彼女が私を愛した理由

「ただいまー」

「お帰り。海ちゃん」

 玄関のドアを開けると、私の愛しの恋人である恵美ちゃんが目の前に立っていた。


 彼女の顔を見ると、心臓に刺さるような痛みを感じた。

 私は自分の心を隠す為に、恋人を抱き締めた。


「今日、同級生との飲み会はどうだった?」

「ん。楽しかったよ。みんな普通に接してくれたし」

「そっか。良かった」

「なぁに。今更私が車に轢かれて死んだってことまだ後悔しているの?」


 少し冗談半分で言ってみた。

「そ、そりゃするよ。だって、部活の先輩に虐められていたんでしょ」

「そ、それはそうだけど……。でも、もう昔のことだから。恵美が気負う必要は無いよ」

「でも……」

「あー、もう……」


 彼女の後頭部を両手で押さえて、恵美ちゃんの生意気な唇に栓をする。


「ん……んんっ」


 右手を頭から背中に肌を伝うようにして移動させる。

 彼女の体温が、唇の柔らかい感触が肌に伝わってくる。


 互いに互いの愛を確かめ合う。

 肌と肌の触れ合いは私たちの愛の確認作業だ。

 まだ、自分は彼女に必要とされているのだと再確認し、単なる自己欲求を満たし、不安を払拭するための。


 突如、冷えた頭が――――記憶が――――私の神経を抉る。



 それは私が二回目の人生を送ったばかりの記憶。

 目を覚ました私はいつも通り、自分のベッドにいた。


 朝日が窓辺から射し、小鳥が囀る他愛無い日常。


 でも、私の中ではどことなく形容し難い違和感があった。

 なんとなく天井を見上げて、記憶の糸を辿っていく。


 矛盾に気が付くのに、さほど時間はかからなかった。


 生きてはいけない人間が。

 ここにいてはいけない人間がここにはいる。


 まるで、転生をした気分だった。

 ただ、自分が『アンドロイド』だとはっきりと確認できる手掛かりは、自分が死んだ記憶しかなかった。

 五感も、血液の色も、目の色も、歯も、全て完璧に人間と限りなく似ていた。


 もはや、自分だと確認できるものは自身の記憶だけ。

 そんな私は自分に失望し、そう望んだ恋人を憐れんだ。



 私達はベッドの上で並んで座った。

「ねぇ、同窓会はどんなの食べたの?」

「んーーーー。焼き鳥とか白ご飯とか、焼肉とか。居酒屋だったから、そんなに高級なものは食べてないよ」

「ねねね。私に見せてよ」

「ん。良いよ」


 私はテレビの隣にある箱から≪コード≫を取り出して、端に人差し指を付ける。


 ≪コード≫は元々、軍事活動とスパイ活動の為に開発されていたもので、最初は首の後ろに付けていたらしい。けれど、それだと死角を取られてしまうということで、露出が少なく、比較的外に皮膚を晒している指先(基本的にどこでも良い)が採用され、後に民生利用されたという歴史を持っている。


 指紋の認証を確認。

 パカリと第一関節が割れた人差し指に≪コード≫を接続する。


「はい」

「ん。ありがと」


 恵美ちゃんも同じようにして、自分の指紋を認証して≪コード≫を接続させる。

 二人合わせて、電子空間への呪文を詠唱する。

「「リンクコネクト」」


 視界が一瞬真っ暗になり、目の前に《《コード》のパスワードを入力して下さい》という文字が映し出される。

 パスワードを入れてプライベート空間に入る。


 白と桃色を基調としたメルヘンな部屋。

 物はベッドや机など最低限の物しか置いていない。

 数秒後に恵美ちゃんも入ってきた。


「で、どのデータを見れば良いの?」

「ええとねぇ。《File253》のやつが今日の映像だよ」

「オッケー。そんじゃ、潜って来るね」

「ういーす」

 軽く返事をする。


 右上のコマンドを下にスライド。そこから更に7つに増えたコマンドの上から2番目をクリック。目の前に恵美が撮って来た映像のファイルの数々が映し出される。下にスライドをして、《File253》を探し出してクリックする。


 彼女の目は開きっぱなしになっている。

 正直怖い……。

 まぁ、仕方ないけれど。電脳空間だから良いんだよね。


 それに、恋人と何か共有したいという気持ちがあるのは自然なことのはず。

 それを考えると、この《コード》は非常に効率が良いと言えるだろう。

 共有したい記憶をデータ化して、好きな人と共有する。

 しかも、その時の本人の気持ちまで感じることが出来る。


 思考と感情のデータ化。

 数千年の人類の歴史の中で成し得なかったことだ。

 記憶と感情、思考の共有。

 記録媒体と言えば、全て文字や映像など、本人以外は第三者の視点で――――知識の一環で――――しか知ることが出来なかったことだ。


 しかし、今の時代は違う。


 感情と思考のデータ化に成功した人類は、数値処理したそれらのデータを完全なる主観で第三者と共有することが可能となった。

 言わば、他人の記憶の追体験だ。


 旅行も、宇宙旅行も、私たちにとって《夢の体験》であったはずのものを、体験することが出来るようになったのだ。

 それらのことを逆に行ったのが、今の映画やアニメだ。


 それらの感情や思考をデーカ化するのではなく、データ化された感情や思考を記憶媒体から抜き取り、保存し、加工し、映像に応用することで、主人公の感情を追体験することが可能になった。


 私達はみんな、英雄になれる。

 それが現代なのだ。


 私は暇なので、本棚に置いてある本を適当に取って読むことにした。

 ――――十数分後。


「ただいまー」

「おかえり」


 私の記憶からダイブし終えた恵美ちゃんが、声をかけてきた。


「どうだった?」

「うん。海ちゃんとても楽しかったんだねってことが伝わってきたよ」

「そりゃ、良かった。んじゃ、戻ろっか」

「うん」


 私は右上のアイコンを操作してログアウトする。


 目の前が一瞬暗くなったかと思うと、私は現実世界に戻っていた。

 指先に繋がれた《コード》を見る。


 恵美ちゃんと繋がる。

 ある意味、これはセックスだなと思う。

 セックス以上にセックスしているセックス。

 身体を超越した精神セックス。


 やば。

 ムラムラしてきたかも……。


 恵美ちゃんが目を覚ますと、私は《コード》を繋げたまま彼女の唇を重ね合わせた。


「ちょ、恵美ちゃん……」


 今度はさっきよりも濃厚なキス。

 私は彼女を強く求めた。


「好きだよ。恵美ちゃん」

「私だって好きだよ」

「どういう所が好き?」

「もう、その質問はずるいよ。私が海ちゃんのどこが好きかなんて知ってる癖に」

 恵美ちゃんはプクリと頬を膨らます。

 ぐうかわ。

「うん。知ってる」


 そう。

 私は彼女のことを知っている。

 彼女が私の《記憶》が好きなのだと。

 それに縋り付いているのだと。


 数回目のキスを終えた後、彼女の着ている服を脱がした。

 ボタンを外す音が、布擦れのする音が、露わになっていく彼女の白い肌と細身の体が妖艶で、それが一層私の心に火を付けた。


 本人には悪いけれど、恵美ちゃんを脱がすのは正直癖になる。

 彼女の可愛い反応を見ていると、ついやってしまう。


「も、もう。そんなにジロジロ見ないでよ」

「だって、恵美ちゃんの体綺麗だから」

「海ちゃんだって綺麗だよ」

「私はアンドロイドだから」


 生れたままの姿となった天然の肉体美。

 今の私にはないたんぱく質やら脂質やら炭水化物で出来た肉体。

 行く行くは衰え、壊死する肉体。

 私の体にはない変化し、成長する肉体。


「ちょ、お、お風呂。お風呂入ろ」

「そうだね」


 私達はお風呂に入った。

 私達は互いの体を洗うことにした。


 ボディシャンプーを付けて、抱擁し、キスをする。

 体の隅々まで感じ合い、愛撫し合った。


 色っぽく喘ぐ恵美ちゃんの体を、おっぱいを、腰を、首筋を思う存分味わった。


 私は彼女に肉体を求め、彼女は私に記憶(精神)を求めた。


 私はいつも不安になる。

 この心はどこにあるのだろうと。

 脳だけ生きている私は以前の私なのだろうかと。


 以前、通院している担当医の先生に尋ねたことがあった。

「私の記憶はどこにあるのですか」

 と。すると、先生はこう答えた。

「その頭の中にある。内蔵されているメモリーチップの中にね」

 と。


 最早、私は『記憶』の中でしか自我を保つことが出来ないのだ。

 今までの、人間だった16年間の記憶と、アンドロイドとしての2年間の記憶。


 私の行動はそうした今までの記憶の中にあるデータから割り出し、外的環境に対して反応しているに過ぎない。

 今、私が考えていることも全部。全て。

 思考ですら、単なる反応に過ぎないのか。電気信号と化学伝達物質の成せる自然の御業でしかないのか。


《私の見ている世界》を完全に再現することが可能になった現代で、私はどこにむかうのだろうか。

 私の心はどこにあるのか。

 そう思うと、とても不安になる。

 人肌がとても恋しくなる。


 丁度今のように。

 人間であると自分に言い聞かせる為に、彼女の肌を、おっぱいを、あそこを愛するのだ。


「やっぱり、恵美ちゃんの体は綺麗だよ」

 そう言いながら、私は彼女の体に口づけをし、舌で舐め回す。

「そんなことないよ。海ちゃんだって綺麗な体をしているじゃない」

「でも、それはアンドロイドだから……」

「まぁ、そうだけれど」


「ねぇ恵美ちゃん」

「なぁに。海ちゃん」

「もし、もしだよ。私が犬や猫になっても好きでしてくれる?」

「なあにそれ……」

「良いから答えてよ」

「そうねぇ…………」


 沈黙が流れる。


「出来ない……かも……」

「な、な、な、何よそれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ⁉ いつも言っていることと違うじゃない。海ちゃん、いつも私に『もし、恵美ちゃんが何者になっても私はずっと恵美ちゃんだけを好きでいるよ』って言ってくれてるのにーーーーーーー!」

「ま、まぁ。実際そうなんだけれどさ。改めて考えるとやっぱり、人間でいてくれた方が良いかなって」

「な、なんで?」

「だって、一番愛着が湧くじゃない。私が愛してきたのは人間としての海ちゃんであって、犬姿や猫姿の海ちゃんじゃないもん。もちろん、中身が一番好きだけれど、外見も好きだよ」

「た、例えばどんなところが好き?」

「え、えー。綺麗な声とか、細くて綺麗な指先とか。白くて艶のあるすべすべな肌とか。整った可愛い顔とか。小さい唇とか。綺麗な瞳とか。長い睫毛とか。数え上げたらきりが無いよ」

「も、もう……。恵美ちゃんたら」


 顔が焼けるかと思うほどに熱くなる。

 やばいやばいやばい。

 もう、恵美ちゃんかわいすぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 ベッドで滅茶苦茶にしてやるんだから。


 お楽しみの後、恵美ちゃんが寝たのを確認すると机の上に手紙を残して部屋を出た。


 夜風に当たりながら、月夜の下を歩く。


 原因は分かっていた。

 私という記憶が彼女を縛り付けているのだと。

 私の存在が恵美ちゃんを苦しめているのだと。


 お互い好きだったから、愛していたから、会いたいと思ってしまった。

 でも、それは許されぬことなのだ。

 彼女の行為に私は甘えていただけ。


 いい加減、彼女は私から解放されるべきだ。


 私という死者の記憶に囚われたまま、彼女は前に進めないでいる。

 死者は蘇らない。

 彼女が愛しているのはあくまで人形だ。

 人の姿見をした人形と戯れる日々を終わらせないといけない。


 人は記憶に縛られる。

 死者の記憶という夢想に縛られ、生きていくのがどれほど辛いものか。

 人は過去に縛られ、もがき苦しみながらも、未来を歩んで行かなければならない存在だ。


 死者と生きるということは、その記憶と共に生きるということだ。

 記憶を抱え、新しくその記憶を構築していくということだ。

 死者の記憶という名の鎖が人を縛り付ける。

 それは呪いに等しい。


 私は恵美ちゃんを苦しめてまで生きようとは思わない。

 そんなの絶対に嫌だ。

 他の人と恋に落ちて幸せになってくれた方が良い。


 だって、好きだから。

 一番好きな恋人だから。


 恵美ちゃんがくれた「大好き」は私の宝物だよ。


 スクラップ工場に着いた私は、死体の一部になるために、本物の死者になるために歩を進めた。

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