2020年の夏、僕は東京と田舎のハザマに揺れた

うえすぎ あーる

第1話

「暇だ。暇すぎる…」


僕は中学1年生…のはずだ。でも、確信がないというか、全く実感がない。それもそのはず、中学1年生として学校に行ったのは、1日だけ。いや、1日ではない。たった30分の入学式だけだ。感染リスクを避けるため、母親だけ入学式に参加して、父親はグラウンドで待機という不可思議な状況だった。その入学式から4ヶ月が経過しようとしている。その間、ずっと学校には行っていない。学習塾にも行っていない。スイミングスクールにも行っていない。世界的に蔓延しているウィルスのおかけで、どこも閉鎖だ。だから、僕はほとんど家にいる。


1匹のセミがベランダに迷い込んできたようだ。ジージーとけたたましい声で鳴いている。


毎年夏になると新潟の祖父母の家に行く。だいたい行くのは7月下旬くらいなので、例年通りであれば、今頃は祖父母の家にいたことだろう。今年以外は…


祖父母の家は山に囲まれた田舎にある。新潟の山奥だ。東京から新幹線で新潟駅に行って、そこから電車を乗り継いで2時間くらいだろうか、ようやく最寄駅にたどり着く。もちろん自動改札機はない。駅員さんが切符を切ってくれるのだ。これはなかなか体験できないことで新鮮だ。最寄駅から祖父母の家までは、ぼつんぽつんと家があるだけで、店舗の類は何もない。少し回り道をすれば店舗があるが、コンビニではなく、とても小さな田舎の商店だ。「いつのポスターだよ!」と突っ込みたくなるような、レトロな清涼飲料水のポスターが貼ってあったりする。祖父母の家は大きい。田舎だからだろう。家の庭には小さな池があり、夏になると冷蔵庫ではなく、池でスイカやジュースを冷やす。この池の水は何故かとても冷たいのだ。いまだに解明できない謎の1つだ。家のドアを開けると、マンションでは考えられないくらい広い玄関がある。そして、どこからともなくカビのような匂いがほのかに漂う。人が集まるときに使う大きな広間には囲炉裏がある。本物の囲炉裏だ。少し前までは現役の囲炉裏だったが、最近は使われていない。まさにアニメで見る世界が目の前にある。


田舎での体験は何もかもが新鮮だった。夏になると、たくさんのセミのジージーという声に完全包囲される。もちろん、家は窓が全開だ。東京ではなかなか考えられない。蚊やハエにも頻繁に出会える。サイズの大きいアブもいる。広間の電気には何やら表面がペタペタくっつく短冊のようなものがぶら下がっている。ハエをくっつけて取る、ハエとり紙だという。何度かハエがくっついているところを見たことがあるが、ハエの死骸がしばらくぶら下がって放置される光景にはなかなか馴染めなかった。外に出れば、家の近くでオニヤンマやギンヤンマといった大型のトンボがものすごい速さで飛んでいる。これを虫取り網で捕まえた。スピードは速いが、飛ぶコースが決まっているので、それを見極めれば取ることができる。夜になると、山に入って、木に自家製の蜜を塗る。そして、翌日の早朝、蜜を塗った木を蹴って揺らしたり、枝を揺らしたりする。そうすると、木の上からカブトムシやクワガタがボトッと落ちてくるのだ。早起きは辛いがこれがまた面白い。夜になると、ウシガエルの声が大きすぎて眠れない。何度か、外に出て見に行った。ウシガエルの声がするのは、家の近くの大きな池の周りだった。真っ暗なのでウシガエルの姿は確認できなかったが、ウシガエルの重たい合唱に囲まれているのは不思議な体験だった。


田舎では、家の中と外の境界がいい意味で曖昧だった。生活と自然の距離が近いと言った方が良いだろうか。


祖父母の家にいたある日、僕がいつものように外で虫を探していると、地元の子供2人に声をかけられた。いつの間にか、一緒に虫を探すことになったのだが、しばらくすると、1人の子供がおもむろに言った。

「秘密基地があるんだけど、来ない?」

彼はかがみながら、僕の目をまっすぐに見ている。もう1人の子供に目を向けると、彼も頷いた。

「行きたい!」

僕は、2人の後を追って、ずんずん山の中に入っていった。もはや自分がどこにいるのか全くわからなかったが、好奇心が全ての感情に優っていた。しばらく歩くと、平らな場所に出た。僕の背よりも高い、細くて真緑の植物が一面に広がっている。2人は緑の植物をかき分けながら、さらに奥へと進んで行った。少し歩くと、一画だけ植物が倒された空間がある。ちょうど子供が4人くらい座れるスペースだ。

「ここだよ。オレ達の秘密基地」

1人の子供が自慢げに言った。僕は背伸びをして、周りを見渡した。たしかに、この一画を除いて、背の高い植物に覆われている。文字通りの秘密基地だった。

「すごい。これは本当に秘密基地だよ!」

僕は興奮して、2人の子供の顔を見た。2人とも「どうだ!」と言わんばかりの笑みを浮かべている。

「ちょっと前にこの場所を見つけて、秘密基地を作ったんだ」

1人の子供が秘密基地に座りながら言った。

「そう、オレら2人で作ったんだ。まだ2人しか知らないんだぜ。君は3人目だ」

僕達3人は秘密基地に座りながら、色んな話をした。とりとめのない話だったが、話は全く途切れなかった。最近母親に怒られてばっかりだとか、妹の方が可愛がられているとか、好きなテレビ番組がどうとか、学校の先生がどうとか、至って普通の話だ。でも、秘密基地で話しているのだから、全てが特別な話だ。


しばらく話をしていると空が薄暗くなってきた。どのくらいここにいるのか見当もつかないが、夕方になってしまったようだ。

「そろそろ下ろう。暗くなると道がわからなくなる」

1人の子供がそう言うと、僕達は立ち上がり、再度、背の高い植物をかき分けて、秘密基地を後にした。山から下りた頃にはすっかり空は暗くなっていた。

「あそこがさっきを虫を探していた場所だ。帰り道わかるか?」

1人の子供が指差しながら言った。その方向を見ると、数人の大人がいた。お父さんもいた。

「うん、大丈夫だよ」

「あの秘密基地は内緒だからな」

もう1人の子供が真剣な眼差しで言ったので、僕も真剣に頷いた。

「もちろん!またね」

僕はそう言うと、お父さん達のところに走って向かった。帰った後、お父さんにもお母さんにもむちゃくちゃ怒られた。でも、僕は満足だった。秘密基地のことはもちろん内緒にした。


もう5年近く前の出来事だ。


その後、あの2人の子供には会っていないし、秘密基地にも行っていない。何より、小学校の高学年くらいから、田舎に行くのが億劫になってきた。毎年恒例のイベントとして、何となく両親について行っているが、どちらかというと東京にいたかった。東京にいれば、近くにコンビニもあるし、ゲームもあるし、好きなテレビ番組も見れる。何事にも便利だ。


つい最近までは本気でそう思っていた。でも、家の中にばかりいて、思うように外出ができないからだろうか、何故だか田舎での体験が蘇ってくる。自然の中で遊んだ体験がとても大切なものだったのだと今更ながら感じる。


そういえば、このウィルスの蔓延がなく、予定通り進んでいれば、今日は2020年東京オリンピック開会式の日だ。僕はどうしても東京オリンピックを東京で体験したかった。観戦チケットが当たったわけではない。いくつか応募したが外れた…でも、地元でオリンピックの熱を感じたかった。


半年ほど前、お父さんとケンカをした。僕が祖父母の家に行くことを拒否したからだ。拒否したのは初めてだった。もともと、田舎に行くのが億劫になっていた、というのもあるが、1番の理由はオリンピックが東京で開催されるからだ。こんなチャンスはもう2度とないかもしれない。だから、僕は、祖父母の家に行くことを断固として拒否した。お父さんは毎年行くことを当たり前のように思っていたので、ケンカは長期戦だった。何度も何度も、お父さんと口ゲンカをした。怒りにまかせて、田舎には何もない、家がカビ臭い、虫が多い、遠すぎる、行っても意味がないなど、ひどいことをたくさん言ってしまった。結局、お父さんは根負けしたのか、家族揃って今年は見送ることになった。


でも、結局オリンピックは延期されてしまった。僕は東京にいる。ケンカをする必要などなかった。そして、何より、田舎に対する不満をことさら口にする必要もなかった…


何だか悲しくなってきた。


来年は祖父母の田舎の家に行こう。

たとえ、東京オリンピックの時期と重なっていても。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2020年の夏、僕は東京と田舎のハザマに揺れた うえすぎ あーる @r-uesugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ