太田聡 後編
そして迎えた東日本新人王決定戦準決勝当日。
(俺は頑張ってきた、俺はやれる、俺は強い、俺は勝てる!)
自分に暗示をかける様に、心の中で何度も繰り返す。
そして高揚した気分のまま、リングに上がった。
リングアナが両選手の紹介をした後、中央で今日の相手遠宮統一郎と向き合う。
(近くで見ると、鍛え込んだ体してるな…まるで彫刻みたいだ。)
先程コーナーから見た時はそれ程とは感じなかったが、こうしてリング中央で向かい合うとその鍛え込まれた体が多少の不安を掻き立てた。
「いつも通りやれば大丈夫だ。必ず勝てるぞっ!自分を信じろっ。」
トレーナーに言われた言葉を心の中で繰り返し、己を鼓舞しながら進み出た。
リング中央で軽くグローブを当て挨拶を交わした後、距離を取るため軽くバックステップ。
すると相手は、軽くこちらのガードに当てるだけの左を伸ばしてくる。
(これは誘ってるのか?狙ってるのは…右か。乗るのは流石に危険だよな。)
何か対策を立てているのだろう、右を控え左で突いていく。
大人しい展開が続く中、段々相手の雰囲気が鋭くなっていくのを感じた。
そして緊張感のある睨み合いのさなか、
「シュッ!」
俺が左を伸ばした瞬間、こちらのジャブよりも先に相手の左が俺の顔面を捉える。
(…っ!?何だこれっ…軽く打ってる様にしか見えないのに…めちゃくちゃ痛てぇっ!)
それは明確にジャブと呼んでいいのか分からない代物だった。
重さは一切無いが、その痛さは打たれる事を覚悟していても怯んでしまうほどのものだ。
そして懐にもぐりこんだ相手は、弾幕の様に細かいパンチを叩きこんでくる。
そのあまりの手数に、防戦一方を余儀なくされていった。
(このままガードしていても、埒が明かないっ。)
そう思い、こういう状況を想定してトレーナーに仕込まれていたコンビネーションを叩きこむ。
すると、今度はこちらの圧力に負けたか相手が下がっていく。
それを見てここが勝負所と右ストレートを放つ覚悟を決めた。
踏み込んで放ったジャブをダッキングで躱されたが、これはいつもの事。
体勢を低くした相手が上体を起こすタイミングで、腰を、肩を躍動させ、右を放つ。
相手は仰け反ってそれを躱そうとするが、それもいつもの事。
左腕を引き付ける様にして右腕を更に伸ばす。
「ダウン!ニュートラルコーナーに戻って!」
当たりは浅かったが、いつものパターンでダウンが取れた事に安堵した。
(やっぱりっ、いつも通りやれば行ける!俺は勝てる!)
相手は相当悔しかったのか、その怒りをロープに叩きつけている。
だが、その様子からダメージはさほど無いと判断。
優勢に進められている現状を良しとして、そのままラウンドを終えた。
「よ~し、いいぞ聡。でも油断すんなよ。相手まだまだ元気だぞ。」
自信を胸に秘めながら、指示を聞き頷く。
第二ラウンド開始直後、先の劣勢を跳ね返すべく相手は一直線に突っ込んできた。
そして強引なパンチを叩きつけてきた直後、いざ反撃というタイミングでクリンチされ仕切り直しに。
(俺の距離を嫌がってる。いつもの展開だ。これなら…。)
相手が潜り込もうとして来るが、それを右ストレートで止める。
何度かは潜り込まれ、細かいパンチを浴びせられるが、芯に来るほどのものではない。
(また潜り込んで来るな。…くそ、こんなに頭振られたらアッパーは当てられない。右のストレートで確実に止めるべきかな。)
ここまでは隙が出来るのを警戒してそこまで力を入れて打っていなかったが、この展開も何度目かになり相手の踏み込むタイミングも分かってきた。
(…今っ!!)
確実に当たると思った。
だがその瞬間、マットに吸い込まれる様に意識が落ちた。
(あ…れ?なん…だ…これ?上手く…立てない……。)
レフェリーのカウントが聞こえていたので、己がダウンした事は理解していた。
だが初めての事に気が動転してか、上手く思考が定まらない。
それでも何とか立ち上がり、パニック状態のまま自陣へ戻る。
「聡、大丈夫だ。ダメージはそれほどじゃない。気持ちを強く持って、必ず打ち返せ!」
トレーナーの言葉に少しだけ自信を取り戻していく。
(そうだ、まだポイントは互角。ここからなんだ。まだ負けてない!)
続く第三ラウンド、最初に手を出してきたのは相手だった。
それに対し、まだ負けてないという強い意思を込め打ち返す。
相手は軽快なステップワークで、回る様にジャブを突いてきた。
こちらもそれに倣う様に左の差し合いに打って出るが、その悉くがまるで動きを読まれているかの様に先手を取られてしまう。
そして、その痛みが僅かに復活した自信を徐々に打ち砕いていった。
「練習を思い出せ!手を出さなきゃどうにもならねえぞっ、守ってばっかじゃ勝てねえぞっ!」
セコンドから檄が飛ぶが、一度折れた心は戻らない。
そして、凌ぐ展開のまま第三ラウンドを終えた。
「お前、今まで何の為にあんなに練習したんだ?本当にこれでいいのか?力の差は無い。気持ちで負けるな。」
コーナーに戻ると、丸井さんが優しい口調で語り掛けてきた。
その言葉で今までの苦しかった練習が頭の中を駆け巡る。
(あれが無駄になるなんて嫌だ!そうだっ、まだやれる。)
拳を握ると、ガードに徹していたせいか体は思っていたよりも元気だ。
そして迎えた第四ラウンド、相手の初撃をガードしながら考える。
(左の差し合いは勝てない。打ち合いも向こうの回転が速い。ならば…っ)
そう考え連打の間隙を狙い、強く一発叩きつけた後、得意のコンビネーションを放つ。
しかしその三発目、アッパーにカウンターを被せられ効いてしまった。
僅かな強がりも自信も、その一発で完全にへし折られてしまう。
(強すぎる…。何をやっても駄目だ…。もしかしてここから先はこんな奴ばかりなのか?なら、もう俺には…。)
俺はガードを固め、相手が攻めこちらが守るだけの展開。
それを見かねてか、レフェリーが一時割って入る。
「手を出して、このままだと減点になるよ。」
もう逃げ出したい気分だった。
だが、そんな事をする訳にもいかず、唯一自信のある右ストレートを放つ。
その瞬間、相手の強烈なボディストレートが俺の腹部を抉った。
(く、苦しいっ…どうせもう勝てないんだっ、どうにでもなれっ!)
破れかぶれに、体が覚えているパンチを繰り出していく。
だがそんなものがこの相手に当たる訳も無く、そのまま空しく試合終了のゴングが鳴り響いた。
自陣に戻ると、丸井トレーナーが何も言わず背中を叩いてくれる。
(負けちゃったか、でも、この先あんな奴らばっかりなら、どうせ俺じゃ無理だったもんな…。)
試合後一週間が経ったが、ジムには一度も顔を出していない。
(就活も遅れてるし、もうボクシングなんてやってる暇ないよ。)
一時の夢だと諦めたつもりだった。
なのに一月ほど経った時、どうしてもモヤモヤしてしまい性懲りもなくまたジムに顔を出してしまう。
「聡、お前…サボった分これから取り戻してくぞっ!覚悟いいかっ!」
もっと怒られるかと思ったが、丸井さんは普通に迎えてくれた。
「は、はいっ!分かりましたっ。」
ボクシングの魅力を麻薬などに例える事もあるが、まさに俺も取りつかれ始めているのかもしれない。
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