ボクシングなんてやるやつにも、色々な奴がいるんです
@tonoyamato
松田隆文 前編
「赤コーナ~……ダイヤモンドジム所属、まつだ~たか~ふみ~。」
俺の名前がコールされ、観客と、応援に来てくれた後輩に軽く手を挙げて応える。
真上から照らしてくるライトが眩しく、思わず手をかざしてしまいそうになった。
こうしてプロボクサーとしてリングに立ってはいるが、最初からこの場所を目指していた訳ではなく、成り行きでボクシングを始めてからまだ半年程しか経っていない。
思えば物心ついた時から親父の指導の下、柔道ばかりの毎日だった様な気がする。
母も柔道家であった為、うちは一家そろって熱心な柔道一家だった。
高校二年の時には六十六㎏級でインターハイ準優勝に輝き、次年度の高校最後の大会でも決勝へと駒を進めたが、結局頂点には届かなかった。
周りはオリンピックも狙えると盛り上がったが、人生を賭ける程の情熱を持つには至らず、これが自分のやりたい事かと聞かれれば、流されるままやって来ただけで自信を持って頷く事は到底出来なかっただろう。
それは大学に入っても変わらず、何となくの惰性で柔道を続けていた。
そうは言っても嫌いならばここまで続く事も無く、最早習慣というか自分の一部になっている為、辞めた自分というのも想像するのは難しいというのが現実だ。
そんな折、同じ大学に通う学生にプロボクサーがいるという話が耳に届く。
(ボクシングか…。興味が無いと言えば嘘になるが…。)
近くに世界チャンピオンも生んだ名門ジムがある事は知っていたが、自分とは無縁な世界の事だと思っていた為、当然踏み込む気など起こる筈も無い。
そんなある日、友人からそのジムに見学に行きたいので付き合ってほしいと請われ、思い掛けないタイミングでボクシングという世界に触れる機会が訪れた。
「おおっ、君ら良い体してるね。何かやってたの?」
がっちりとした体格と坊主頭が特徴的、そんな男がにこやかに語り掛けてくるので少し引いてしまった。
「ええ、昔から両親の影響で柔道をやっておりました。」
そう答えると、今度は体を触りなるほどと繰り返し呟いている。
「…フックとか強そうな筋肉の付き方だよな。ちょっと叩いてみようか?」
そう語りながら、男はサンドバッグが吊るされている方へと案内してくれた。
「おし、好きなように叩いてみて、型とかそういうのは良いから。」
大きなグローブを渡され、言われた通り力任せに叩いてみると、ズシンとした感触が体に響き渡り中々に気持ち良い。
「おおっ、いいね~。その気あるなら本格的にやってみない?良いとこまで行けそうだ。」
只の付き添いのつもりだったのだが、誰だって褒められれば悪い気はしない。
だが、今まで触れた事の無い世界に飛び込む理由には、もう一歩足りなかった。
「悩んでるね。そうだ!最初の月は月謝無料っ!!いいですよね?会長。」
坊主頭のトレーナーは、まるで営業マンの如き口調で勧誘してくる。
結局しつこさに負け、物は試しと後輩と二人揃って一ヶ月だけやってみる事にした。
因みに、このトレーナーの名前は山本というらしい。
俺の中でのボクシングに対するイメージは華やかなものであったが、実際練習を始めてみると全くそんな事は無く、毎日同じ事を繰り返し疲れ果てるまで体を虐め続ける地味なもの。
そしてそれは意外なまでに自分の性格に合っていたのか、いつの間にやら周りが不思議に思う程のめり込む様になっていった。
ジムに通い始めて三か月目、プロテストを受けないかとの勧めがあり少し悩んだが承諾する旨を伝えた。
結果、翌月にはプロライセンスを取得する事が出来た。
友人も勧めを受けたが、只の趣味としてやって行く事にしたらしい。
「…松田先輩、柔道辞めちゃうんですか?」
これからは殆ど顔を出せなくなる事を伝えると、後輩連中は一様に寂しそうな表情を浮かべる。
「悪いな。もし良かったら、試合の時応援に来てくれるか?」
「必ず行きます!大きな声で盛り上げてやりますよ!」
そんな風に言ってくれる後輩達を有難く思いながら、もう慣れたジムへの道を歩く。
そしてライセンスを取ってからも日々練習に明け暮れ、一月ほど経った後ついに俺のデビュー戦が決まった。
その事が伝えられてからは更に熱の入った練習をこなしていたが、試合まで一か月を切った頃、相手が怪我で欠場する事実を伝えられた。
「怪我って言うけどどうかな?お前、柔道だとそれなりに名が売れた奴だったんだろ?そういう事が要因で、警戒してって事もあるかもな…。」
山本トレーナーは語りながら、表情に申し訳無さを滲ませている。
試合までの期間を考えると流れる可能性もあると伝えられたが、それから一週間後、意外なほど簡単に代わりが見つかった様だ。
相手は遠宮統一郎、何でも東北の新興ジムの選手らしい。
準備期間が短い相手には悪いが、こちらとしては本当に助かった。
柔道の頃は殆ど減量はせずに試合に臨んでいた為、トレーナーにアドバイスをもらい減量に挑戦しているのだが、この段階でさえかなりの苦痛を伴っていた。
この苦しさが無駄になる事を考えると、流石に精神的にもかなり厳しいものがある。
試合前日、少し緊張しながら会場に足を踏み入れると、既に相手選手は計量を終わらせている様だった。
視界に映るその姿にちらりと視線を向けると、随分と幼い印象を受ける。
それもそのはず、会長に相手の年齢を聞くとまだ十七歳だと言うではないか。
減量期間の短さのせいか、その顔には些か疲労の色も覗かせている。
そうして眺めていると、向こうも俺の方を見つめていた様で目が合ってしまった。
すると彼が慌てた様子でお辞儀をしたので、礼に倣いこちらも同じ様に返す。
その雰囲気は田舎の純朴な少年という感じで、とても好感が持てるものだった。
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