第102話 譲れない物
抱えていたのであろう花束が、シズルの下に転がっている。
シズルはその花束を拾うことなく、口元を押さえ、うるっと涙を流したかと思うといきなり抱きついてきた。
「エトッ!!」
「え、ちょっとシズル!?」
「――っ!? エトから離れろー!!」
私が攻撃されたと思ったのか、はたまた別の事を思ったのか、先輩がシズルを「えいえい!」と引き剥がす。シズルは地面に勢いよく尻餅をついた。
「きゃっ、何をするんですか!?」
「お前こそエトに何するんだよ!!」
ぬなぬっと睨み合う二人。慌てて仲裁に入る。
「二人とも待って待って。アルマ、こっちの青色の髪の人は、私の幼馴染で親友のシズル。それでシズル。この栗色の髪の子は、私の同僚で先輩のアルマ」
どうどうと先輩を諫め、シズルの事を説明するが、先輩もシズルも納得いかないといった様子で、お互いの顔を見ながらぐぬぬっと睨み合っている。
そしてじっーと、シズルの顔をまじまじと見ていた先輩が「あ!」っと手を叩く。
「この人、誰かと思ったらエトが寝言で言ってた人か!」
「え、私寝言でシズルの名前出してたの!?」
「エト……そんなにも私の事を……」
シズルが顔を赤らめ、わざとらしく両頬を押さえる。なんかすごい恥ずかしい。
「ふーん……じゃあこの人がエトの幼馴染で、
ジロジロと値踏みするかのように、先輩がシズルの全身を見て回る。
鬱陶しいとばかりに、シズルが手で払う。
「なんでそんなに、元を強調するのかしら」
「別に〜。他意はないよー」
「…………」
先輩……なんでそんな意地の悪い笑みを浮かべてるの? シズルも怖い顔しないでよ。もしかして二人って相性悪い?
私の思考を読んだのか、先輩がこちらを振り返りグッと親指を立てた。それはどっちの意味だ?
「あと、僕はエトの親友でもあるから」
「……あらそう。だったらいいわ同僚さん。エトのお友達同士仲良くしましょ」
シズルが左手を差し出し、先輩も「うん。いいよ!」っと言って二人は握手を交わす。
二人の指の間からぎちぎちと音が聞こえてくるのは気のせいか? いや、とてもじゃないが二人が仲良く握手を交わしている様には見えない。
「シズルさんはエトと同じ、王女様の専属メイドだったんだよね?」
「ええそうよ。エトとは一年以上一緒に暮らしてたわ」
その言葉に先輩がピクリと反応した。
「同室じゃないでしょ? ただ住んでた区画が同じだっただけなら、同居とは言わないよ?」
「別に同居したなんて言ってないわ。ただ近くで、一緒に暮らしてたって言っただけよ」
なんでそんな自慢げに……。
「そっか。僕はエトと一つ屋根の下で暮らしてたけどねー」
うん。先輩も先輩だ。
「――っそう……でも、私の方がエトといた時間は長いわ。なにせ、エトが小さかった頃から一緒にいるもの」
「だからなに? 時間が全てじゃないと僕は思うな……だって僕はもうエトとキ――」
慌てて先輩の口を押さえる。なんとか間に合った。これ以上シズルにいらぬ事を伝えるのは何かまずい気がしたのだ。私の女の勘がそう言ってる。
「もがもがもがもがー!?」
「き? エト、その子は今なんて言おうとしたの?」
「し、シズルが気にしなくていい事だよ。先輩は時々妄言を吐く人だから」
「もがーー!?」
先輩が激しく暴れる。
(アルマ、お願いだから大人しくしてて)
こっそり先輩に耳打ちし、キスの事はシズルには言わないと約束させた上で解放する。
「ぷはー。えーと、なんの話だっけ? ああ、そうだ。専属メイドの話だね」
先輩が真面目な顔になり、派生する前の話に戻す。
「ねえ、シズルさん。貴方は何で今もメイド服を着てるの? おかしくない? もう仕えるべき主人はいないのに。それとも新しい主人の元に仕えているのかな?」
「え?」
死んだと思っていたシズルに会えた事で服装なんて全く気にしていなかったが、言われてみれば、確かにシズルはかなり高価なメイド服を着ている。それにカノン様に仕えていた時に着ていたメイド服とは別のものだ。
肩に刺繍が入っている。しかも、そのロゴは……。
「……ガルディア家の家紋?」
ぽつりと出された私の呟きに、ピクリとシズルの眉が動く。
先輩がズリっと後ろに下がり、シズルもまた距離を取る。二人の間を冷たい風が吹き抜け、さっきよりも静かで、それでいて恐ろしいほど剣呑な雰囲気が漂う。
「ちょっと二人ともやめてって!」
今にも太腿に装備した猛毒付きの短刀を抜きそうなアルマと、水剣を出しそうな勢いのシズルの間に割り込む。
「アルマ。アルマならシズルの心が読めるんだから彼女が敵じゃないって分かるでしょ!? 宰相……じゃなかった、シズルがガルディア帝国新王家の家紋がついたメイド服を着ているのは、何か別の理由がある筈だよ!」
「違うよッ!」
先輩が唇を噛み締め、襟元を掴み、その誰よりも真っ直ぐな瞳で私の言葉を強く否定する。
「せ、先輩……?」
「なら! なら、どうしてあの後エトの所に彼女は一度も会いに来なかったの? 幼馴染で特に仲が良かったのなら手紙でもなんでもいいから、生存報告くらいしてもいいと思うんだ。だって自分のせいで親友のシズルが死んでしまったのかもしれないって、エト、最初うちに来た頃ずっと言ってたでしょ? エトは長い間シズルの事を想って苦しんだのに、その元凶を作った人は何も伝えずに今まで生きてたんだよ。そんなの僕からしたら許せるわけがないじゃん! 何か理由があって伝えられなかったにせよ、抱擁を交わす前に、まず謝罪するべきだと思う。それともエトに自分が生きている事を知らせなかったのは、別の理由があるのかな?」
先輩が溜め込んでいた物を吐き出す様な勢いで言葉を重ねる。その一つ一つが私のことを想っての言葉だった。
先輩がシズルの方を向き、キッと睨みつける。先輩……本気で怒ってる。
「…………」
「ねえ、なんとか言ったら? あ、でも、エトの両親の墓を管理してくれてた事は素直に好感を持てるよ」
なんで先輩がそれを知って――とは言わない。シズルの心を読んだのだろう。
「……聞いていた通り厄介ね、貴方の固有能力」
「お褒めに預かり光栄だよ」
「シズル……」
彼女がふぅと息を吐き、服についていた砂埃をパンパンっとはたき落とす。
「改めて自己紹介するわ。私の名はシズル・ネルミスター。今は亡き領地の娘。元シュトラス王国王女の専属メイド。そして今はガルディア王の専属メイドで、現ネルミスター伯爵家の当主でもある」
「シズルが伯爵家……?」
私の疑問に彼女は答えない。
「此度は長旅ご苦労でありました。本当は城の入り口付近で待機している筈でしたが、エトの事でしょうから必ずこちらへ立ち寄ると踏んでお迎えにあがりました」
「シ……ズル?」
知らない。こんなシズルは知らない。
「さあ、エト。行きましょう」
「ねえ、待ってよシズル。シズルが生きてるなら他の人はどうなったの! ミザリーやメリティナは――」
冷たい目。彼女は心底億劫そうにこう答える。
「ミザリー? メリティナ? そんな人達知らないわ」
「そ、そんな……」
嘘だ。きっとシズルは嘘を言ってる。私の事は覚えていて、他の人達を忘れるわけがない。混乱する私の元へ先輩がやってきて、優しく抱きしめてくれる。
「エト。それが今の彼女だよ。でも友達想いなエトのためにこれだけは教えとく。彼女の言っていることは本当。でも敵じゃあない」
「敵じゃあない? どういう事? ねえアルマは心を読んで全部分かってるんでしょう。教えてよ!!」
ばっと顔を上げ先輩を両目でしっかり捉えるが、先輩はそっぽを向いてしまう。これ以上教えるつもりはないらしい。
「ついて来なさいエト・カーノルド。あの方が貴方をお待ちしているわ」
「シズル……」
彼女はプライベートと仕事をきっちり分けるタイプだ。だから分かる。今のシズルは、本当にブラン・ガルディアの専属メイドだという事だと。
懐かしい再会の時間は終わり、突きつけられるたのは残酷な事実。かつて同じ主の元に仕えた同僚は、今やその主を謀った一味の元についていた。
――この一年の間に何があったというのだ?
どうしてそうなったのかは彼女の口から聞かない事には分からない。でも、少なくともシズルは敵じゃあない。そう先輩が言った。なら私はそれを信じるだけだ。
待たせておいた馬車にシズルも乗り込み、彼女の案内の元、直接ガルディア帝国の王宮へと向かう。
道中、馬車内では誰も喋らず、王宮に着くまで無言の時間が続いた。
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