第51話 三つの職業体験
「そんなの一言も聞いていないんですが……」
「そりゃ、言ってなかったからね」
えっへんと胸を張る先輩。確かな重みを持っている先輩の胸がたゆんと揺れる。
私に対しての挑発ですか……いいでしょう受けて立ちましょう。
「まず一つ目が…………で………こと」
私が女の闘いを決意したのに、先輩は気付く事なく話を続ける。
いや、分かってはいたけどね。先輩がそんな事いちいち気にしない人だって。でもね、今の何気ない動作で店内の数少ない男性客達が一斉に振り向いたんだよ。 ちょっとは自覚しよ、自分の魅力を。
まぁ、殆どの男性客が妻子持ちみたいだったから、奥様にひと睨みされて終わってたけど。
「――――というわけなんだよ!」
店内はパンケーキ屋という事もあって、女性客が殆どだ。稀に一人身の男性も見かけるが……周りが女性ばかりで肩身が狭そうだ。
「――――でね……その次の日は……して」
よっぽど甘いもの好きな男性でなければ、一人で来ようとは思えないだろう。
「説明終わり。分かった?」
おっと、いけない。私が他の事に気を取られている内に、先輩の説明が終わってしまったようだ。
「はい、先輩。それで、明日から何日間働くんですか?」
「さては僕の話、なんにも聞いていなかったね?」
「すみません。考え事していたので」
「むーーーー! 仕方ない、もう一度だけ説明するね」
「はい」
「ジークからの指令で、エトは明日から1ヶ月間かけて三つの職業を体験してもらう」
「例の表向きの職業って奴ですか?」
「そう。まず一つ目が、僕が普段働いているここの売り子をすること。あとはイリアの踊り子、クロエが働いているお店のお手伝いをしてもらう予定だよ」
「初っ端からきついですね……まぁ踊り子が一番ヤバそうな気がしますけど。てか先輩、普段ここで働いてたんですか? いつもぐーたらしてて、とても仕事をしていたようには見えなかったんですが……」
「エトが来てからは、仕事をずっと休んでたからね。明日から再開なんだよ」
「へーそうなんですか」
興味ないな。
「反応が薄い! エトの為に休んでたって言うのに。ほら、店長さんや他のみんなに挨拶しに行くよ! ジークがもう伝えてる筈だから」
えっ、なんで私抜きで勝手に話を進めてるんだよジーク! それに先輩は、自分が休みたいから私をだしに使っただけでは?
「ジークは普段なんの仕事をしてるんですか?」
「えっとね。確か、エイギョウコンサルタントって言う仕事」
聞き慣れない名前の職業だな。
「どんな職業なんですか?」
「僕みたいな人にお仕事を紹介する仕事かなぁー」
成る程、慈善事業みたいなものか。
「ジークはその仕事で人脈を作っていると言うことですか」
「うん。初めは依頼する人が殆どいなかったけど、今はたくさん予約が入ってるみたいだよ。ジークがその人に合った仕事を必ず見つけてくれるから、とても評判が良いみたいなんだ」
ジークもジークでしっかり働いているんだな。それも結構まともそうな仕事だし。
「今日、ここに来るまでにジークの事務所の前通ったよ」
「え、そうなんですか?」
「うん。串焼きやの角を右に曲がって果物屋さんの後ろにあるちょっと外見が古臭い建物!」
うん。全然ピンとこない。
「とりあえず挨拶に行けばいいんですね?」
「うん。そうそう」
先輩に引っ張られ、私は店内の奥へと連れて行かれた。
「グランさん。ミルちゃん。おはよう! そして久しぶりーー」
先輩は、厨房内でせっせと料理を作っているおじさんと私達を案内してくれた人とは別の女性店員さんに声を掛けた。
「おっ! 久しぶりだなアルマちゃん。随分と長い休暇だったなー。でも来てくれると助かるよ、忙しくて休む暇がなかったんだ」
「えっへへー。今日からまた宜しくお願いします」
「久しぶりアルマちゃん。ところで私の事をちゃん付けで呼ぶのいい加減やめてくれないかしら、恥ずかしいのだけれど」
「いいじゃん。人前では呼んでないんだからさーー」
「お客様の前以外でもよ!」
短い会話の中で、先輩が店員さん達と仲がいい事だけは分かった。
その後も私そっちのけで話し込み始めた。
ねぇ、帰っていい?
「あら、後ろの方は?」
言われてようやく私の存在を思い出した先輩がごめんごめんと私を紹介する。いや、完全に忘れてたよね? 帰るよ?
「紹介するね、僕の親友のエトだよ!! 明日からエトも一緒に働くんだ!!」
いつからあなたと親友になった! ……親友は後にも先にもシズルだけだよ。
「そうなんですか、宜しくお願いしますねエトさん。私はミルキスと申します。アルマちゃんにはミルと呼ばれているのでどちらでも構いませんよ」
上品そうなお姉さんって感じ。次におじさんが挨拶する。
「おれの名前はグランだ。これからよろしく頼むぜ嬢ちゃん!」
とってもがたいの良いおじさん。間違いなく頼れる存在だな。
「ご紹介に預かりました、エト・カーノルドです。短い間ですが宜しくお願いします。」
「まぁとっても礼儀正しい子ね。アルマちゃんとは大違いだわ」
ミルさん達には高評価のようだが、先輩が小声で私に注意する。
「もう、貴族ってバレたらどうするの? エトは平民って事になってるんだから」
「すみません、言動にはこれから気を付けます」
二人に挨拶を終えると、ナイスタイミングで店長が入ってきた。
随分と若く見えるが、全体的に細い……いや痩せこけている。とても大繁盛店の店主には見えない。もっと恰幅のいい男性を想像していた。
「君が二週間手伝いに来てくれる子かな? ありがとう本当に助かるよ。明日からよろしくね」
「こちらこそ宜しくお願いします!」
私は営業スマイルで返した。店長さんより、後ろのおじさんには効果覿面らしい。私の可愛さに悶絶している。そして先輩がちょっと引き気味。
「じゃあ、ぼくは明日の買い出しに行くから頼むよ」
それだけ言い残すとフラフラしながら店の外へと出て行った。
うん。過労だね! たぶん店長さんが一番頼れない。
「じゃあ、僕たちは帰るねぇ〜。明日からまたよろしく!」
「宜しくお願いします」
「おう! よろしく」
「よろしくお願いね〜」
私と先輩は挨拶を終え、帰路についた。私はすでにくたくたで明日からの仕事が憂鬱でならなかった。
「よーし明日から頑張るぞー! おーー!!」
「おぉーー」
「声がちっさい! おーー!!」
「おおーー!」
この人めんど。
そして家に帰り着き、夕食を終え、眠りにつこうとした時……私はとてもとても大事な事を思い出した。
「あぁーーーー! 私のベッド買ってもらってなーーーい!!!」
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