第35話 絶望の夜明け

 私は生きていた。そして私の右手にはしっかりとカノン様から頂いたペンダントが握られていた。


 崖の下が森林で葉っぱなどがクッションになったのと地面に落ちる直前に身体強化魔法を使い体を強化したのが命取りになったようだ。


 風魔法を使えばもっと安全に地面に降り立つ事が出来たろうが、切羽詰まったこの状況で上手く扱える自信が無かった為、多少の痛みを覚悟して確実に助かる道を選択したのだ。


「あぐっっ。これは折れてるな」


 私の左腕が激痛に苛まれていた。暫くしたら腫れてくるだろう。しかし私の両足、特に右足はもっと酷い有様だった、足の感覚がなくなっていて分からなかったが皮膚が抉られ骨の一部が剥き出しになっていた。


 恐らく落ちている時に足が木の枝などに引っかかりそのまま抉られてしまったのだ。私が意識したせいか激痛が私を襲った。


 まずい、このままじゃ出血多量と激痛で意識を失っちゃう。そうなったら死を待つのみだ。


 私は応急処置で左足の止血をした後、損傷が酷い右足に回復魔法をかける。


「《中級回復魔法グレーターヒール》!」


  私は回復術師ではないので、あまり使った事もなかったし、本職にも劣る。だが私の残った魔力を注ぎ込んだ甲斐はあったようだ。みるみるうちに私の皮膚が元の綺麗な肌に戻り、傷痕一つ残さず回復した。


中級回復魔法グレーターヒールってすごい! でも魔力がなくなっちゃったし、このままじゃティナ様を助けに行けない」


 どうしたものかと悩んでいると草木を掻き分ける音が聞こえた。


「おい、死体は見つかったか?」

「いやだめだ、こっちにもない」

「この辺の筈なんだけどな、やっぱり生きてるんじゃねえか?」

「たとえ生きてたとしても満身創痍だろうさ、こっちは五人もいるんだ負けることはない」

「それもそうだな」


 私の死体を探しに公国の兵士が近くまでやってきていた。私は折れた左腕を抑えながら立ち上がる。


 ダメだ、血を流し過ぎてまだ頭がくらくらする。回復魔法じゃ失った血までは取り戻せない。上級の回復魔法なら血も作れるらしいけど私には使えない。


 私がヨロヨロと移動を開始した時、木の上から誰かが降りてきた。


 しまった!! 追手に気を取られ過ぎていて、上にまで気が回らなかった。私は死を覚悟した。


 だがいつまで待ってもその時は訪れなかった。


 私が恐る恐る目を開けると黒髪黒眼の男がまじまじと私を見つめていた。


「ひっ!!」


「おお! お前アメリアか!! 何だよ全然変わってねえじゃん。暫くぶりだな元気にしてたか?」


 男は気安く私に話しかけてきた。


「えっ、いや人違い……じゃなくて私はその……娘であって……貴方は私のお母さんの事知ってるの?」


 私がなんとか勘違いを正そうとして質問をした時、


「あっちから声がしたぞ!」


 まずい、驚いた時に出した声で気付かれたらしい。


「いたぞ、あそこだ!!」


 不味い! もう目と鼻の先にやってきている。


「おや、あいつらはアメリアのお友達か? それともまた追われてるのか?」

「見れば分かるでしょ! 追われてるのよ」

「ほーん。そうかい」


  私がのほほんとしている黒髪男を無視して逃げようとした時右手を掴まれた。


 良かった左腕じゃなくて。


「な、何をするの離して!」

「逃げなくていい、俺が助けてやるからさ」


 黒髪男はそう言うと腰から曲剣を取り出した。


「なんだ貴様は、我々の邪魔をするなら容赦はせんぞ」


 私の姿を捉えた五人の兵士達が一斉に襲いかかる。黒髪男は一切動じる事なく兵士達に向かって歩いていく。


 足運びが特殊なのか足音がしなかった、この時私の世界が止まった気がした。


 黒髪男は擦り寄る猫の如く、兵士に近づき曲剣を首へと押し当てた瞬間、肉がとろけるかの様に裂け小気味のよい音がした。 男の動きは手慣れた作業の様なものだった。猫のように近づき、蛇のように刃を巻き付け首を落とす。見てる側からすれば肉が自ら切られにいっているようなものだった。


 その光景を見た私は美しいと思ってしまった。


 月明かりに照らされ男の顔が見える、年の頃は三十くらいだろうか、無駄のない動きに洗練された剣技どれをとっても最高峰でその二つが組み合わさって行われる殺戮は、一種の舞を見てるようだった。 男の放つ剣閃は、脛骨を避け正確に人の柔らかい肉だけを刈り取っていく。


 しなやかなその動きは一つの完成された美だった。


 私は追われている事も忘れ、黒髪男が蹂躙していく様に魅入っていた。おそらく十秒にも満たなかったその舞(殺戮)に私は心を奪われていた。


 王宮で週末に行われる、踊り子達の色気の混じった踊りに心を奪われるのとはまた違った意味で私は心を奪われていた。


 私はその技術に惚れていたのだ。


「きれい……」


 私の口から自然と称賛の言葉が漏れていた。黒髪男の殺人は殺人であって殺人ではなかった。目の前で人が五人も殺されているのに殺した本人である男に恐怖も嫌悪感も抱かなかった。男本人も元々表情が乏しいのか分からないが、表情からは何も読み取れない。


 こんな事をいう私はどこかおかしいのかもしれない、でも私は死体になった兵士は幸せだったんじゃないかと思ってしまった。彼らはおそらく痛みも恐怖も感じないまま死んで逝けたのだから。


 黒髪男は剣についた血を丁寧に布で拭う。男には返り血は全くついていなかった。付いていたとしても黒い服を着ている為見えないだけかもしれない。


「久しぶりだな。元気にしてたか?」


 私は声をかけられたのに気付かないほど愉悦に浸っていた。


「おーい、聞こえてるか?」

「へぁ、すみません。助けて頂きありがとうございました。私の名前はエト・カーノルドと言います」


「俺の名前はジークだ。性はない。カーノルドって事はアメリアの娘か?」

「はい、その通りです」


 彼は少し考え込むような仕草をした。


「そうか……あいつも幸せな家庭を持ったんだな」


 ジークと名乗った男はどうやら私の母をしっているようだが、私は母からジークという名を聞いた事はない。


「失礼ですが母のお知り合いなのですか?」

「お前の母であるアメリアとは五年近く一緒にいたからな」


 いきなりお前呼ばわりかよ、まぁこの人なら許そう。


「お母様からジークさんの話なんて一回も聞いたことありませんでした」


  ちょっと皮肉を込めて言う。


「あいつも昔の事はあまり話したくないんだろ。それよりなんたって公国の兵士なんぞに追われてたんだ?」


「それは……」


 私は事情を話すか迷ったが助けてくれたのもあるし母の知り合いという事から信用にできるとして話すことにした。


 私は全てを包みなく話した。


「そうか、娘のお前も大変だったんだな。王女様のメイドか……」


「はい、もしよろしければお力を貸して頂けませんか? ジークさん程の実力があればすぐにでもティナ様を助けられるかもしれません」


 私は期待のこもった目でジークを見つめる。


「……悪いが俺はエトの力にはなれない」

「――――っ! どうしてですか?」

「すまないが納得してくれ、俺はこの国の出身でもないから知らない国の王女を助ける義理もないし。金も手に入らないしな」


 この人は少し人情がないのかもしれない。


「お金なんて、助けた後に褒賞としてたくさん貰えると思いますが」

「俺は人助けが本職じゃない、俺の本職は人殺し、暗殺者だ」


 暗殺者……やっぱりそういう系の仕事の人だと思っていたけど暗殺者だったのか。それならさっきの技術も納得だ。


 人を殺す事だけを考えて生み出された剣技なのだから。


「じゃあもういいです。私一人で行きますから」

「家に一度寄らなくていいのか? 確かこの近くだろう」


 私は周囲に目を向けるとここはシズルと先生と通った事がある道だった。いつの間にか、町の近くの入り口まで来ていたようだ。


 幻覚魔法で随分と夢を見させられていたという事なのだろう。公国の反対側にきているんだから。


「そうですね。一度両親にこの事態を知らせた方がいいですよね。ジークさんも来てくれますか?」


「まぁいいけどよ、それより気にならねぇか叛乱から四、五時間は経っているのに誕生日会に来ていない田舎の貴族まで助けに来ないのが……いや来れない状況になっているのかもしれないな」


 私はジークの言葉に形容し難い不安に襲われ、急に胸が締めつけられた気がした。


「……帰らなきゃ」


 私は左腕を押さえ激痛を堪えながら猛然と森の出口を目指し走り出した。


「おい、ちょっと待てよ!」


 私は全速力で家に向かう、途中シズルの家の前を通った、ネルミスター家は不気味なほど静まりかえっていた。


 もう少しで夜が明ける。私は祈る想いで帰路を急いだ。


「おいおいこりゃ酷いな」


 後ろでジークが何か言ってるが、私はただひたすら前を向いていた。 今周囲に目を向けたら切り刻まれ、手足などをバラバラにされ樽に詰められた領民の遺体を目にしてしまい、その場で動けなくなってしまうと思ったからだ。


 町は変わり果てていた。民家は燃え、硝煙の匂いが立ち込め周辺は血生臭い匂いが充満していた。


 ふと足元に目を向けると、子供の頃よく果物をくれた恰幅の良い近所の青果店のおばさんの首が目を見開いて私を見つめていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 私はひたすら謝り続けた。自分がなぜ謝っているのかも理解していないのだろうが謝らなければいけないと思った。


 私は家の門を開けた。門番兼庭師のティムさんであろう遺体が入り口に転がっていた。その顔は粉砕されていた。中に入ると既に死臭が漂っており、思わず鼻をつまんでしまった。


 朝日に照らし出された我が家の半分が崩壊しており見るも無残な姿になっていた。


 家の前には槍が何本も突き刺された者や爪を全て剥がされている者、焼かれた後がある使用人達の遺体が転がっていた。


 そこには二人で寄り添うように倒れている私の両親の姿も……あった。


 目から血の涙を流して眠っている母の姿と下半身をなくし上半身だけになって母を守るように覆いかぶさっている父の姿が目に入った。


「う、う、うわぁぁぁぁぁああーーーー。お父様ー!お母様ーーー! 嘘だと言ってください!!」


 朝日が眩しい、まるで私と両親だけを照らしているかのようだ。明るくなり見たくなかったもの、目を背けていたものが鮮明にみえてくる。


 それは長い夜の夜明けを意味していた。

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