ポンコツ少女と一匹山猫
熊翁
序章
この星に、かつての面影はもうない。
◇
その頃の私には、まだ名前があった。
名前を付けてくれたのは私のマスターだ。私をその名で呼んだのも、マスターだけだった。
別に構わなかった。
マスターが付けてくれたその名は私とマスターとの特別な絆のようなものであったし、マスターだけからそう呼ばれるのを私も気に入っていた。
とはいえ、
機械であるこの私に女の子みたいな名前を付けるのは、流石にどうかと私でさえ思うのだ。
マスターにはそういうところがあった。
どうでもいいことまで知っているくらいに物知りなくせにどこか抜けていて、大抵のことは並の人間以上に出来るのに何故かいつもいい加減なのだ。
ここに来ることになったときもそうだった。
私の唯一といってもいい特徴である船の操縦を私もやってみたいというどうでもいいひと言で奪って、呆れることに私と同じくらい精密かつ正確に操縦してみせ、かと思えば突然こっちの方が早く着くとわけのわからないことを言い出してあっさりと予定のルートを外れやがった。
それでは目的地に着けませんと私が警告をするとマスターは事も無げに大丈夫大丈夫近くにも街あるはずだからと言ってのけ、着いてみればその街はとっくの昔に廃墟になっていたのだった。
つまりここだ。
骸骨じみた積層都市の骨組みだけがモニュメントか何かのように残る無人の廃墟の中で、私とマスターはしばし途方に暮れたのだった。
ところがマスターはバカがつくほど前向きで、ものの数秒で立ち直った。
そして溢れんばかりの使命感とそれにマイナスを掛けたような有無を言わせぬせっかちさから、誰もいないとわかるとこんなことを言い出した。
人、探してくる。
私もついていこうとしたのだ。
しかしマスターに帰りのこともあるからここで待っててと言われては従う他になく、私が次善の策を出すより先にマスターは散歩に行くような気軽さでさっさと飛び出していった。
必ず戻るから、とだけ言い残して。
◇
一年が過ぎた。
マスターはまだ戻ってこなかった。とはいえそれは予想していた通りだった。当然だ。あのマスターが、たかだか一年の捜索で戻ってくるわけがなかった。マスターのことだ、人を見つけていたとすれば調子に乗ってもっともっと探し回って船に乗れる限界ギリギリまで集めて回るだろうし、もし見つけていないのならば一年かそこらで諦めるわけがない。私は気長に待つことにした。
五年が過ぎた。
マスターはまだ戻らなかった。思い込んだら一直線のマスターは、人類を助けるのに夢中になっているのかもしれない。だとすれば五年が経過したことすら気付いていない可能性もある。あのマスターならありそうなことだ。きっとそうに違いない。私はその考えに自ら納得した。この頃の私にはまだ余裕があったのだ。もうしばらくすればさすがのマスターも随分時間が経ったことに気付いてすぐにも帰ってくるだろう。もしかしたら明日あたりにもひょっこり顔を出すかもしれない。そんな一日を千八百回ほど繰り返した。
十年が過ぎていた。
マスターは、いまだ戻ってこなかった。
私は今更ながら不安を覚えた。
何か問題が発生したのかもしれない。厄介なことに巻き込まれているのかもしれない。道に迷ってしまったのかもしれない。どれも、マスターならありそうなことだった。私は探しに行くことを強く望んだが、マスターから受けた命令が私をそれ以上に強く縛った。確かに、もし私がこの地を離れて行き違いにマスターが戻ってきたりでもしたら、目も当てられないほど愚かしいことになる。やはり私はこの地を離れるわけにはいかないのだった。
そして、
五十年が過ぎて私はとうとう考える。
マスターは、もう戻ってこないのかもしれない。
どこかで力尽きてしまったのかもしれない。
もう、私の名を呼んでくれるものはいなくなってしまったのかもしれない。
それは今となっては最も高い可能性になってしまった。
五十年とはそういう長さだ。
この半世紀で私も随分と衰えた。もともとそんなに出来ることは多くはなかったのだが、この半世紀という時間の中でいくつかの機能が失われ、より多くの装置が不調になり、そして私の全てが劣化した。唯一の特技であった操縦すらままならなくなってしまった。いづれ、そう遠くないうちに、私は停まってしまうだろう。
この半世紀で周囲も随分と変わった。
風とガレキや鉄屑の崩れる音、それに時折敵性生物の蠢きだけが支配していた廃墟に、いつしか人類が集まり、再び街を作り始めた。こんな皮肉なこともないだろう。マスターが人類を探しに行っているうちに、船の周りに探していた人類が集まり、挙句の果てに街まで作ってしまうなんて。
ここにマスターがいてさえくれれば。すぐにでも彼ら人類を船に乗せて帰れるのに。
マスターはついに戻らず、
そして私に残された時間もあとわずかだ。
でも、
私は最後までマスターの帰りを待つ。すべてが停まってしまうその瞬間まで。
約束したのだから。
必ず戻る、と。
私に出来ることは、そのマスターの言葉を信じて待つことだけだ。
いい加減でどこか抜けてて後先考えずに行動してばかりとはいえ、私はそんなマスターをこれでも敬愛しているのだ。
せめてもう一度、私の名を呼んで欲しいのだ。
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