日常の②-12『花束さんの力』

 リビングには四人掛けのテーブルとイスが広い部屋の真ん中に置かれている。そこに座っている俺の目の前には革張りのソファの背が偉そうに鎮座しており、その向こうには今まで見た事のない大きなテレビが、こちらに顔を向けていた。


 それを背にして、優雅なティータイムを決め込んでいるのは花束さんだ。さすが、としか言いようがない。俺は何だか、このだだっ広い部屋に気持ちが落ち着かないでいる。


「さて、こうしていても私とユーリ君の関係に進展はないみたいだし、ゆっくりと事件の話でもしましょうか?」


「……なんで!?なんていうかさ、二人っきりで仲直りして良い雰囲気で、そのままベッドイン、みたいな流れじゃないのか!?」


 半分冗談。もう半分は、なんだろうな。……願望?


 まあ、そんな言葉では花束女史は動揺などするはずもない。白いティーカップをことり、とソーサーに置いた。


「……ユーリ君がそうしたいのならそうするけど?でも、ユーリ君がコンプレックスを克服しない限り、責任は取ってくれないのでしょう?私に、都合の良い女になれ、と命令することが、無駄に常識的な節度をしっかりと持った、凡人である貴方にできるなら話は別だけれど」


「ツゴウノイイオンナニ、ナーレ」


 しゅるっ、と衣擦れの音が小さく部屋に響いたので、俺は椅子から身を乗り出し両手を前に出し、慌てて服を脱ごうとした彼女を止めに入る。


「ごめん!うそうそっ!……はあ、貞淑で清らかな美人さんが、そんなことするなよ。二度としないでくれ」


「……まったく。ユーリ君はノリが悪いのね」


 腕を組んだ彼女を確認してから、椅子に座り直す。思わず頭を抱えてしまった。


「ノリが悪いって……。傷つくなあ。そもそも悪ノリっていうんだよ、そういうのは。っていうか、いいじゃんか、せっかくの旅行なのに。……殺人事件のことなんて」


「あら?てっきり私は、ユーリ君が事件を解決するために動いてくれているのだと思ったのだけれど?」


 花束さんは首を少しかしげて、俺の目を見つめてくる。そんな真っ直ぐ見つめられると、返答に窮してしまう。


「い、いや、全然。俺はただ、大人気配信集団の『戦国時代』に会えるって聞いたから、付いて来ただけで」


 にやり、と美人にそぐわない擬音を発しそうな、意地悪な笑みの花束さん。それでも品の良さは失われることはなくて、美人ってズルいな、と俺は思ってしまった。


「そうなの?私はてっきり、大都会で田舎のか弱い無知な女の子二人が路頭に迷わないように、正義感を発揮してくれたのだと思っていたのだけれど?」


「竜神である花束さんがいる限り、もし俺がケビン・コスナーみたいな渋くて屈強なボディガードだとしても、絶対にそんなの必要ないだろ?」


 俺は焦っているようで、そんな古めかしい例えを口にした。花束さんはそんな俺の言葉などお構いなしに、


「まあね。でもそこは、少しぐらい嘘でもついた方が恰好がつくと思うのだけれど?」


 こんなことを言ってくる。


「最強の竜神様にカッコつけて、いったい何のメリットがあるっていうんだよ」


「そんな卑屈にならなくてもいいじゃない。……で、ヒデヨシを殺した犯人のことだけれど」


「やっぱその話、するんだ?」


 まだ、ホイットニー・ヒューストンの死因について話をした方がマシだ。


「ケビン・コスナーの話を続けるよりはいいでしょ?っていうか誰だっけ、その人?ジェームズ・ボンドの人?」


「違うと思う。ゴッドファーザーの監督の甥で、バイクに乗って顔芸を披露するゴーストライダーなハゲの……」


「それはニコラス・ケイジでしょ?ちょっと、映画俳優の話はやめてって。事件について、他愛もない会話をしましょう?」


「他愛もない会話が殺人事件の話であってたまるもんか。そもそも、花束さんはもう異世界の魔法とか特殊能力で、犯人なんか分かってるんだろ?」


 問い詰めるように俺は花束さんの目を見据えながら、前からずっと聞きたかった疑問を聞いてみた。


「そこまで万能じゃないわよ。意識を込めて犯人を見たら、犯人って書いてあるだけ」


 え?いま何とおっしゃったのか、この竜神様は。


「……なにそれ。ミステリだったらチートじゃん」


「いいえ。詳しくは言いたくないけれど、けっして良いものではないわ。こんな他人のプライバシーに、土足で踏み込むような力は、もういらない。ナユタでは、敵の弱点が分かるから、とても重宝したけれど」


 すぐに自身の能力を否定する彼女に、俺は、


「そ、そうなんだ……」


 としか言えなかった。


 まあ、竜神様が詳しくは言いたくないというのだから、聞かないでおく。まあ、他人の個人情報が見えるというのは、聞いただけでも気分の良いものではないことが予想される。


「整理するけれど、事件が起きたのが一週間前。生配信中のヒデヨシが、来客を機に画面から離れて戻って来なかった。翌朝、配信の時の姿のまま、このマンションの屋上で首をヒモのような物で絞められた死体で発見された。このマンションは施錠システムが指紋認証キーを採用するくらい厳重で、ついでに玄関である一階は事務所にもなっていて、来客記録が残るようになっている。生配信中から次の日の朝まで、来客記録はなし」


 花束さんが一息でここまで話す。なんだろう。少しウキウキしているように見えるのは俺だけだろうか。


 前から思っていたが、花束さんは結構、殺人事件を楽しんでいるような気がする。


「よく知ってるね?……魔法で調べたの?」


 俺は思ったことをそのまま口にした。

 花束さんは少し間をおいて、


「ちょっと調べてよく見ていたら分かるでしょ?……あ、ごめんなさい」


 急に謝った。


「え、なに?」


 謝罪の意味が分からずに俺は聞き返す。申し訳なさそうな顔をして、それは万人にとても好かれそうな顔だったのだけれど、彼女は口を開く。


「……傷つけたかしら?」


 合点がいった。

 ちょっと調べてよく見ていれば、という部分だろう。

 そんな能力は俺にはないからね。


「その質問に傷つくよ。いいから、続けてくれ」


 もう彼女の思考回路と愚鈍な自分の対比に傷付くことにも慣れてきている。俺は続きを促した。

 バツが悪そうに花束さんは握った手を口にあてる。


「こほん。……つまり、警察もマンション内の住人も、きっと分かってるだろうけれど、ヒデヨシが殺害された夜にマンション内にいた誰かが、犯人である可能性が極めて高い、ということよ」


「そうなるね」


「その日、マンション内にいたのは社長と、マネジャー、『戦国時代』のメンバーだけだったそうよ」


「え?この事務所、ほかに人いないの?」


「いいえ。事務所に所属してる配信者やタレントがいるとは聞いてる。でも、その日の夜から次の日の朝にかけて、マンションにいたのは、死んだヒデヨシも含めて、その六人だけだったの」


「随分と……、少なかったんだね」


「あたりさわりのない感想をありがとう。でね、私たちの部屋だけど……」


 その時だった。部屋に聞き慣れない音楽が響き渡る。おそらく玄関のチャイムだろうか。


「誰かしら?」


 花束さんが立ち上がる。やはり玄関のチャイムだったようだ。「ちょっと待ってて」という花束さんの言う事を従順に聞いて彼女の背を見送る。


 玄関のドアが開いた音。話し声。

 ちょっとして戻ってきた花束さんの後ろには、白髪で壮年の、紫のスーツ姿の男性が立っていた。


 そう。紫のスーツだ。ワイシャツは赤。ネクタイは黒。中肉中背。顔は小皺が目立つ。


 うーん。正直、目が疲れる。


「ユーリ君、IKUSA興業の社長さんだそうよ」


 え?なんだって?


「こんにちは。イエヤスのお友達と聞いて。挨拶だけでもしておこうと思ってね、ね?イエヤスと、……アヲさんだったかな?隣の部屋で二人に先に会ってきたんだけど、ここと隣で休んでると聞いたものだからね、ね?いやあ、二人で一緒にいたんだね、ね?」


 俺は『社長』という花束さんの言葉に驚いていたので、彼の第一声は正直あまり頭に入ってこなかった。

 背もたれに身体を預けていた俺は、慌てて立ち上がる。ガタンッ、とイスが声をあげた。


「お、お邪魔しています!由利本荘和平といいます。こんな豪華な部屋に泊めていただいて、ほ、本当にお世話になってますっ!」


「……ご厚意、本当に感謝してます」


 俺の挨拶に合わせるように、花束さんも頭を下げた。

 ニカッ、と音が聞こえそうなくらいに、社長が破顔する。


「ああ、いやいや。そんなに改まらないでくれ。蜜月の邪魔をしちゃったかな。馬に蹴られて死んじゃうかもね、ね?はっはー!あ、いや、不謹慎だったね、ね?……今夜は一週間ぶりに『戦国時代』が集まるそうだからね、ね?そこでまた会おうね、ね?じゃっ!」


 さっと踵を返して、社長は退場した。もしかしたら忙しい時間を割いて、俺たちの様子を見に来てくれたのかもしれない。

 いや、俺はそれよりも、


「……へ、変なしゃべり方をする人だったね、ね?」


 そんな事が気になってしまって、花束さんに即興のモノマネを披露してみる。


「……武田玄。六十二歳」


「あれ?社長さんの名前って、俺たち聞いたっけ?」


 俺の目から視線を話さず、少し不安そうな表情のまま、彼女はイスを背に立ったままの俺に近付いてきた。

 彼女の美しい髪の香りが、鼻孔をくすぐりそうな距離。


 何かを伝えようと、花束さんが口を開いた。

 そして、俺の目の前で、明らかな逡巡。スローモーションのように、彼女との距離が開く。


「い、いいえ。……なんでもないの」

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