日常の19『聴取』

【陸前大学教育学部教授 長嶋大五郎】担当:猪木寛二警部補

「なんで出席取ってねえ…、失礼。どうして、あの場所にいた学生の出席をとっていなかったんですか?」


 M県警察本部、刑事部捜査一課の取調室で、猪木寛二は長嶋大五郎と相対していた。彼の研究室でのことを含めると、これで二度目である。


「すみません。私の講義はカリキュラム上、あまり重要度が高くないもので。昔から、そうだったもので……、すみません」


 さすがに、二度も怖い顔をした刑事から話を聞かれるのは堪えるようで、長嶋教授は今にも泣きだしそうな表情で、額の汗をハンカチで拭いている。

 猪木もつい丁寧語を忘れて、思ったことがそのまま口から出てしまった。

 武骨な彼の性格をそのまま表したような猪木の顔は、しばしば、相手を怯えさせることがある。

 その自覚は、悲しいかな、ある。


「いえ、責めてるわけじゃないんです。気を悪くされたら申し訳ない」


 狭い室内。机を間に相対する二人の向こうで、調書作成の担当者が振り返って猪木を見ている。彼から調書を受け取って、猪木は机の上にそれを置いた。


「思い出したくないこともあるでしょうに、悪いですね。でも、仕事なのでね。とりあえず、教室であったことを時系列の通りに話してもらった内容に、間違いがなければここに署名と拇印をお願いします」


 事務的に話をすすめようとする猪木に、長嶋教授が尋ねた。


「あの……、やっぱり、あれは……、あの、ボストンバッグに、入っていたのは、す、鈴木一郎君の腕だったんですか?」



【陸前大学教育学部講師 王裕也(おうゆうや)】担当:佐山悟史巡査長

「いやあ、とんだ初講義でしたよ。僕の紹介をするかしないか、という時でしたから。バッグから腕が出てきて、学生たちが悲鳴をあげてね。僕も驚きましたよ」


 しっかりと目を見据えて、軽い調子で若者は佐山に答えた。若いのに物怖じしない人だな、と佐山は思う。

 取り調べの前の、彼の上司である長嶋教授のオドオドとした態度を見た後だから、余計にそう感じる。


「だからまだ研究室以外の学生のみんなは、僕の名前しか分からないはずですよ。新任早々これでは、先が思いやられるな」


 王が続けた。年齢は三十手前と聞いている。その若さで大学の教職員になれるほどなのだから、胆の据わった人物なのだろう。


「首都圏から来たばかりなんでしたっけ。お若いのに、しっかりされてますね」


 饒舌な王に佐山は感嘆してそう伝えた。


「あ、そうですか?社交辞令でも嬉しいですよ、刑事さん。……ところで、やっぱり犯人は、学生の中にいるんですか?」


 急な話題の転換に、佐山は思わず面食らう。


「え?どうしてそう思うんですか?」


「だってそうじゃないですか。長嶋教授は朝から私と講義の段取りについて話し合っていました。バッグを教室に置く時間なんて私たちにはありませんでしたよ。そうなると、やっぱり出席していた学生の中の誰かが置いたのかなって。だとすると、学生の中に鈴木君を殺した犯人がいるのかなって、思うじゃないですか?」



【陸前大学教育学部三回生長嶋研究室所属 星野灯李(ほしのあかり)】担当:猪木寛二警部補

「記憶が曖昧なんですが、私と野村君が新入生の何人かと教室に入った時には、あのバッグはすでに置いてあったような気がするんです」


 例にもれず、怯えた表情で目の前の女学生が伏せ目がちに話すのを、顎に親指をあてて猪木はまじまじと見つめた。


「ほう。……で、なんで星野さんは他人のバッグを勝手に開けてしまったんですか?」


 女学生は叱られたかのように、びくり、と肩をすぼめた。


「あの、悪気があったわけではなくて。なんて言えばいいのか……。私、昔からニオイに敏感で…。すごく臭かったんです。ニオイがして。物が腐ったような嫌なニオイがちょっとしてて。それで、周りの学生にバッグが誰のか聞いて。誰に聞いても……、誰のでもなくて……。それで、それで私、開けたら誰のか分かるかなって……。あ、開けてしまって……、そうしたら………」


 すぼめた肩が震え出し、彼女は途中から泣き出してしまった。猪木は慌てたが、極力平静を保ち相手を怖がらせないよう優しく、


「悪いね。分かった。無理に話さなくていいから」


 とだけ伝えた。

 分担しているとはいえ、あの教室にいた学生数十名に聴取を続けているのもあって、猪木と言えども疲れが隠せない。大きく息を吸ってから、口を開いた。


「じゃあ、研究室が一緒だった、鈴木一郎君について教えて下さい」




【陸前大学教育学部三回生長嶋研究室所属 野村励雄(のむららいお)】担当:佐山悟史巡査長

「ああ、鈴木の印象スか?そうっスね……」


 金髪の遊んでそうな男、というのがこの学生の佐山の第一印象だった。


「かなり印象悪いっスよ、俺にとっては」


 パイプ椅子に背を預けながら、野村は言い放った。

 すぐさま佐山が疑問を投げかける。


「それはどうしてですか?」


「うーん、言いづらいんスけど。……なんて言うかな。前に付き合ってた女の子がいたんスけど、俺とね。その元カノが、俺と元カノとその友達と、鈴木と飲みに行ったんスよ。俺、バイトの用事ができて途中で帰ったんスけどね」


 人差し指で頬のニキビを掻きながら、野村が答える。バツの悪さ、若干の後悔を佐山はそこに見た気がした。


「そしたら次の日に元カノから、別れたいって言われて……」


 野村がこれ見よがしに、はーあ、と息を吐いた。


「問い詰めたら、酔った勢いで鈴木とヤっちゃったっつーんですよ。それで別れたんですけど…、あれ?これって動機ってのになるんスかね?ヤベェ……」


 佐山は思わず頭を掻いた。


「ええっと、君の鈴木君への印象が悪いということは分かりました。話したくなかったらいいんだけど、その後、どうしたの?」


「殴りました、鈴木の野郎を。まったくもってムダムダでしたけど。殴って治るような性格じゃないスから、あのクズ。泣きながら、ゴメン…ゴメンよー、とか繰り返してね。殴ったこっちが気分悪かったっスよ。そっからヤツとはしゃべってません。研究室でも極力会わないようにしてるッス。……半年くらいになるスかね」


「じゃあ鈴木君って、女性関係はかなりだらしなかったってことかな?」


「あ、ハイ。悪い噂しか聞かなかったッスね。酔わせてヤっちゃうとか、騙してヤっちゃうとか。女に堕ろさせたとか。そんな噂ばっかっス。最低っスよね?」



【陸前大学教育学部一回生 由利本荘和平】担当:佐山悟史巡査長

「この事情聴取は、任意で聞いています。答えたくないことがあったら無理に聞きません。現場の教室で警官に色々と聞かれたと思うけど、重複して聞くこともあります」


 事務的に、というかマニュアルでも読んでいるのかと思うほどの棒読みで、取調室の机を挟んで、ユーリの正面に座った佐山が説明した。


 はい、とだけユーリが答える。


 順番が最後ということもあってか、時系列順に鈴木一郎の体の一部が教室のボストンバッグから、透明な厚めの袋に密封された形で出てくるまでの話がされ、間違いないか確認をとられた。


 間違いないと思います、とだけユーリは答える。


「君が署まで来てもらった理由なんだけど、殺された鈴木一郎君と同じ高校だったんだって?」


 棒読みの時とは異なる、とてもフランクな口調で佐山が尋ねてきた。


「え?そうなんですか?……すみません、初めて知りました」


「まあ、高校の先輩なんて、部活でも一緒じゃなければそういうもんだよね」


「はい……」


「…………………」


「…………………」


 会話が途切れた。二十秒ほどの沈黙があり、耐えられずにユーリが口を開く。


「……え、終わりですか?」


「え?う、うん。由利本荘君、なんで署まで呼ばれたんだろうね?」


 ご協力ありがとうございます、と言ったきり佐山が黙ってしまったので、失礼します、とだけ言ってユーリは取調室から出たのだった。

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