第37話 嵐の前の静けさ


「ただいま」


「お兄ちゃーん!」


 帰宅の挨拶と同時に抱き着いてくる華菜。

 どうやら今日は部活が休みだったのか、俺達より早く帰ってきていたみたいだ。


「どうした?」


「明日から修学旅行なのぉ~寂しい」


「そういえば、もうそんな季節か」


 カレンダーを見ると十月に入っていた。

 華菜と同じ中学に通っていたので、今は修学旅行の時期だったなと思い出す。


「華菜の学年も京都か?」


「そうだよー行きたくない!」


「楽しいぞ。今思い返しても、歴史を感じる良い旅行だったな」


 中学時代も友達は少なかったし、特に良い思いでもない。

 だが、華菜に不安な思いを募らせるわけにはいかないので良い旅行だったと嘘をついた。


「嫌だよ~辛い」


 今にも泣いてしまいそうな華菜。

 華菜も友達は少なそうだし、修学旅行なんて嫌なイベントの一つに違いない。


「お土産よろしくな。食べ物系で」


「八つ橋買ってくる」


「うん。弓花の分もな」


 華菜は隣にいる弓花を見る。

 買わないなんて言われたら大変だが……どうなることか。


「弓花さんもお土産欲しい?」


「華菜ちゃんからお土産が貰えたのなら嬉しいわね」


「じゃあ、買ってくる」


「ありがとう。楽しみに待っているわ」


 弓花は華菜の言葉を聞いて笑顔を見せる。


 一連のやり取りを見て俺も安心した。

 少しずつだが、距離は縮まっているみたいだな……



     ▲



「咲矢と弓花ちゃん、大変なことになったわ」


 夕食時のリビング。

 母からの言葉に、俺と弓花は思い当たる節があるので身を震わす。


 大変なことになったとはどういうことだろうか……


 まさか俺と弓花が付き合っていることがバレちゃったりしたか?


「明日から、お父さんの所に少しの間行ってくるわ。何か体調が悪くて大変みたい」


「まじか心配だな……」


 どうやら俺と弓花に関することではかったようだ。


 だが、シンガポールに出張へ行っている父親が体調を崩したのは素直に心配だ。


「だから、三日ほど家を留守にするから二人で頑張ってね。華菜も修学旅行だし」


「あっ」


 華菜も修学旅行でいない。

 ということは俺と弓花の二人きりになってしまうのか……


 いやいや、それはヤバいだろっ。

 今の状態で弓花と二人きりで寝泊まりするなんて……


「顔が青ざめているけど、咲矢大丈夫?」


 俺の不安を言い当てるように、母が気を遣ってくる。


「大丈夫です。私がきちんと咲矢の様子を見守っているので、お母様は安心してお父様の元に向かってください」


 何故か俺への問いを弓花が答えている。


「あら、頼もしいわね弓花ちゃん。そう言ってくれると、私も心配なく海外に旅立てるわ」


 弓花が母からは見えない机の下でガッツポーズをしている。


 そして、目が本気である。

 二人きりの生活を想像したのか、勝負に出る目をしている。


「はぁ、はぁ……」


「どうしたの弓花ちゃん、苦しそうだけど?」


「いえ、ちょっと熱いなと思いまして」


 興奮を隠せずに母から心配されている弓花。

 ヤバいなこの人……俺を食う気満々だぞ。


「まっ、そういうことだから頼むわよ」


 食事を終えた母は俺と弓花の両肩をポンポンと叩いてくる。


 母はちゃんと二人で過ごせるかを心配していたようだが、もっと大きな心配ごとが俺にはある。


 二人きりとなって生活で、弓花が俺を全力で誘惑してくるのは必須。

 一線を越えてしまうかもしれない危険が目の前に迫ってきている。


 檻に俺とライオンを放置するようなものだ。

 弓花はもう獣のような目をしているしな。


「大変なことになったわね咲矢」


 嬉しそうに俺を見つめてくる弓花。

 口では大変と言っているが、向こうはぜんぜん大変そうじゃない。


「……出かけようかな」


「それだけは絶対に許さないわよ。私は咲矢の行動をほぼ許すけど、その行為だけは許容できない。言わなくても咲矢ならわかってくれると思うけど」


「冗談だよ。俺も弓花と二人きりで過ごすのは楽しみでもある」


 そう、好きな人と二人きりで過ごすのは楽しみなのだ。


 だが、楽しみな気持ちよりも遥かに大きい恐怖もある。


 どうやら、絶対に負けられない戦いというやつが始まってしまうようだ――

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