終末にセレナーデ

 とりあえず、週末に終末が来るのだという。

 語呂合わせのようなニュースにうろたえる気すら起こらない。

 日本中がそうだった。

 気象庁発表の天気を信じる程度に誰もがそのニュースを信じて、とりあえず日常の生活をしていた。

 TVはそれ以外のニュースを中心に喋り、さりげなく話題から遠ざけていた。お昼の生番組ではあいも変わらず司会者に合わせて「声を合わせてせーの」している。

 事務所では何取りましょうか、と会計管理の女の子が訊ねてくる。何でもいいよ、と彼は答えた。

 何となくこちらへ足が向いてしまったのだ。それはメンバーの誰もが同じだったようである。

 だが来たはいいが、何をしたらいいのかは判らない。

 結局何となく煙草を吸ったり、コーヒーを飲んだり、雑誌の取材の日程のことを話していた。

 奇妙なものだ、と彼は思った。

 ニュースが本当なら、その雑誌の取材がたとえ週末までのものであったとしても、彼等のコトバは世に出ることはないのだ。だがマネージャーは淡々とスケジュールの話を続ける。


「原因も何も判らないってのは何なんだろーな」


と年長組の片割れが言う。

 正直でよろしい、とやや意地悪な口調でもう一人が言った。

 彼らもまた、一応やっては来たが、どうも落ちつかない様子だった。そして時々、TVをつけては、ニュースは 何やっとるんだ、と怒鳴ったりしている。

 だが怒っているという感じでもない。それが何となく彼には奇妙に思えた。


「出前来ましたよ」


 会計の女の子が告げる。

 腹など減っていない、と思っていたはずなのに、匂いがすると、急に何処か刺激されたようだ。腹には重たく締め付けるような感触が起きる。


「オマエどれだった?」


と相棒が聞く。

 人の分まで取ってしまいそうなくらい旺盛な食欲の年長組から守るべく、相棒の手から、彼はさっさと自分の分を取った。

 食事をしても、その後何をしようか、とか思い浮かぶものがなかった。

 かと言って、部屋の中にきまずい空気が流れている訳でもない。ただ、空っぽだった。

 その「空っぽ」を最初に破ったのは、年長組だった。


「えーいこんなところでうだうだしているから気が滅入るんだっ。呑みに行くぞっ!」


 一人がいきなりソファから立ち上がった。斜め前で新聞を眺めていた彼の相棒は目を大きく広げる。


「まだ昼間だよ」

「じゃあスタジオ行くっ。少なくともこんなトコでうだうだしてるよりマシだっ」


 尤もだ、と彼も思った。


「**ちゃん―――のスタジオ空いてるか聞いてみて。おい、暇ならつき合えよっ」

「おうよっ」


 手をぱしっと叩き合わせると、年長組の片割れは上着を取った。そして二人はてきぱきと指示をすると、動きだした。

 確かにそうだな、と彼も思う。何もしなくとも時間は過ぎるし、何かする程度の時間はあるのだろう。


「それじゃあオレは海に行ってくるねっ」


 一番その行き場所に居ても違和感のない男がそれに続いて立ち上がった。何はともあれ考えをまとめなくちゃ、と綺麗な瞳に光を取り戻して、意気込んでいる。

 十分後には、もうその場から三人は消えていた。


「……はあ」


 一瞬の嵐のようだった。唖然としていたのはスタッフの方だった。

 彼の相棒は、やはりちょこんと残ったままだったが、特に焦ることもなく、相変わらずぼーっと新聞を眺めている。


「やっぱり載ってないなあ……」


 ぼそっとつぶやく。それを彼は聞き止める。


「新聞? 週末のことか?」

「うん。載ってないとは思ったけど、やっぱり載ってない」

「どういう理屈だ」

「さあどうだかね」


 もう一杯コーヒーちょうだい、と彼の相棒はスタッフの女の子ににっこりと笑った。

特に居ても仕方がないだろうな、ということで、彼も帰ることにした。

 相棒はそれを見て、あ、オレも、と慌てて帽子をかぶった。



 ビルの出口は開けた瞬間の風が強い。

 何処かの北の国の奴がかぶっていそうな、もこもこした帽子をしっかりと押さえながら彼の相棒は寒いね、と言葉をもらした。彼は彼で、それに答えるでも答えないでもなく、ぼそっとつぶやく。


「冬は寒いもんだ」


 相棒はそれには答えない。


「暇だなあ」


 踏切の前で立ち止まった時、相棒はいきなり言った。

 目の前に遮断機がおりて来る。警報機の音が、同じリズムを、後を引きながら刻む。


「海に行くって言ってたっけ」

「確かそうだったよな」

「波乗り***ちゃんでも見物しよーかな」


 え、と彼は問い返す。その時、目の前を電車が走り抜けて行った。

 平日だし、今日の恰好は大して目立たないって、と主張するので、そのまま彼等は西向きの列車に乗り込んだ。

 駅のダイヤは正常だった。張り紙の一つもない。

 ホームを一気に風が吹きすぎる。やっぱり寒いや、と相棒は近くの自動販売機で缶のコーヒーを2本買ってきて、1本を彼に渡して、もう一本は自分のコートのポケットに手ごと突っ込んだ。


「カイロだよー」

「お手軽な奴だなあ」

「あったかければいいの」

「オマエ冬の方が好きじゃなかったっけ」

「それとこれとは別だよ」


 確かにそうだ、と彼は思った。



 真冬の海は寒い。とてつもなく寒い。そんな中わざわざ出ていく奴はただ者ではない、と常々彼は思っている。

 そして同じ年の仲間はただ者ではなかった。

 真冬のサーファーはカラスの群のよう、と言った曲の入ったアルバムを昔、知り合いの女の子が持っていたことを彼は思い出す。黒のぴったりとしたサーフスーツを着込んだ連中が自分の身長より大きいカラフルなボードをかついで海の様子を見計らっては乗り出していく。


「あれ***じゃない?」


 相棒はポケットから手を出して指す。彼はサングラスをずらすと、相棒の示す方向を見やった。


「ああそうだ」


 短めの髪が、吹き上げる風にむちゃくちゃな方向を向いている。なるほど長かった頃じゃあできないだろうな、と彼は思う。

 浜辺にはドラム缶で火が焚かれている。


「寒いしさ、当たらせてもらおうよ」


 相棒はとたとたと駆け出した。


「あれどーしたの、珍しい」

「何となくねー」


 帽子を手で押さえながらにっこりと笑って相棒は言う。


「一番似合わなそうな人たちなのにね」

「そぉかなあ」

「少なくともファンの子達はそう思ってるんじゃない?」

「うーむ」


 三人はほとんど怒鳴り合っているような状態だった。

 海風は、耳に飛び込む際、とんでもない音を立てる。そんな中では、どんな仲良しであったとしても、お互いの声なんて簡単にかき消されてしまう。

 怒鳴り合うにしても、口の中に風や砂が舞い込んできて大変なコトになってしまうから、気を抜けない。


「でもでっかいねー」

「うん?」

「海」


 しばらく彼らは黙った。

 延々と続く風のノイズだけが耳に入ってくる。

 頭の一部がマヒしてしまったように、細かな白波とやや黒く見えるほど空の青を映した水面だけを、ただ見ていた。


「冗談だと思っていた」


 ぼんやりと波乗り男がつぶやく。奇妙に、その言葉はこの風の中でも彼の耳に飛び込んできた。


「あのこと?」

「うん、あのこと。だってさあ、冗談そのものじゃない」

「そうだな」


 語呂合わせにしてもできが悪い、と彼も思う。


「何も判っていないのにさ。でもそれが違うってことも言わないってのは」

「冗談と思いたいよね。だからオレはそう思うことにしたの」


 波乗り男の言葉に彼の相棒はあっさりとそう言った。彼は驚いて相棒を見る。


「本気にして動きようのあるものならともかくさ…… 下手に騒ぎまくって、何もできなくなったら嫌じゃない」

「そりゃそうだけど」

「だから」


 きっぱりと彼の相棒は言う。


「とりあえずオレはしたいことをしよう、と思ったの」



「先週の終わりに、夢を見たんだ」


 波乗り男の部屋に、その夜は二人とも居候状態だった。

 とても健康的なヴォーカリストはもう眠っている。不健康な弦楽器隊は部屋の真ん中をぶんどってTVのローカル局を眺めながら呑んでいる。

 ふーん、と相棒は聞いてますよ、と意志表示をする。

 だが彼がそれ以上の返答を望んでいないことはよく判っていたらしく、そのまま彼の相棒は黙ったままビールを呑んでいた。


「真っ暗な夜で、何も見えないんだけど、音が」

「音?」

「ヴァイオリンの音だった」

「へえ。ヴァイオリン。**ちゃんの?」

「音はそうだったような気がするんだけど。だけど奴かどうか、は判らん」

「どうして?」

「オマエなあ、夢の中までそんなコト判るかよ」


 そうだよね、と意外にも相棒はあっさりとひきさがる。


「で、オレに言うんだ。何か」

「何て?」


 彼はその瞬間、気がついた。思い出せないのだ。

 空気が冷たいので、目が覚めた。彼の相棒はゆっくりとあたりを見渡す。…いない。

 おかしいな、と思ったら、鍵が開いていた。

 悪いな、と思いつつも、彼の相棒はゆさゆさと友人を揺さぶり起こす。


「どうしたの?」

「ごめんね、起こしちゃった…… 奴を知らない?」

「ん? ああ奴? さっき、ちょっと出てくるって」

「あ、じゃまた戻ってくるんだ」


 そして行き先を訊ねると、知らない、と言う。



「おい、今何時…?」

「七時……」

「うーん記録的だ」

 年長組はあれから延々とスタジオで音を出していた。



「ちょっと行ってくるね」


 そう言って彼の相棒は乱れた髪を手グシでまとめると、帽子をかぶった。


「ちょっと…… **ちゃん何処へ?」

「奴んとこ」

「奴の――― って何処か判らないのに」

「んー」


 でも、判るような気がしていた。

 あくまで勘に過ぎなかったが、今日は結構的中率のいいような気がしていた。…木曜日の朝。

 寝起きの良くない自分だし、だいたい彼と一緒にずいぶんと遅くまで呑んでいたから、睡眠なんて大してとっていない。

 なのに頭は結構覚めていた。レコーディングの時みたいだ、と彼の相棒は思う。

 朝の大気は冷たい。だけどひどく澄んでいるような気がする。

 吐いた息が一瞬にして白く凍り付く。光をはらんで四散する。空の色がまだ青よりも白に近い。

 おかしなものだよね、と思う。

 昼間の方がずっと明るいのに、空の色だけは夜明けとか夕暮れの、はざまの時間の方が白くて明るく感じる。感じるだけであって、実際にはそうじゃないのかもしれないけれど。

 昨日来た海はそう遠くない。そして昨日とうって変わって静かだった。

 浜辺の上の道路には、新学期の始まったばかりの中学生や高校生が、カラフルなマフラーをして自転車で通り過ぎていく。

 並進して大声で話している声が聞こえてくるくらいだった。

 彼は積まれているテトラポットに座って、ぼんやりと煙草をふかしていた。

 もう幾つもの吸いがらが足元には転がっている。

 どのくらいこうしていたのだろう。やってきたときにはまだ薄暗かった。

 ―――眠れなかったのだ。

 何が起こるか判らない状態という奴が、意外に自分の神経を痛めつけるものだ、ということは彼はよく知っている。

 だがそういう状態は嫌いではない。だから遠足の前の子供よろしく、眠れなくなる自分がいるのも判っている。

 オレは、何か期待しているのだろうか?

 ふと彼の中にそんな疑問が浮かんだ。


「おーい」


 やや鼻にかったビブラート気味のおなじみの声が耳に届いた。ひょい、と顔を上げると、坂の上から相棒が降りてくる。


「あれオマエ、どーしてここ判ったの」

「お前の行動ってわかりやすいもん」

「……」


 未だにこの昔なじみは謎だった。そしてその昔なじみもまた、海に視線を飛ばす。


「昨日と全然違うね」


と彼の相棒は水面を眺めて言った。

 静かだった。

 荒れているときは、空の色を取り込んで沈めて青を藍にまでしていたのに、今はただ所々に細波を立てて、青かった。それも空へはらんだ光を返すかのように、明るい色に変わって。

 静かだな、と彼はつぶやいた。


「何が?」

「いや、このあたりさあ」

「もう学校行く連中も消えちゃったしね」

「うん」


 しばらく沈黙が続いた。

 彼は一つ向こうのテトラポットに座る相棒の横顔をぼんやりと眺めた。穏やかだった。

 色味の少ない彼の姿は、自然に溶け込んでしまってもおかしくない。光はそう強くならない。よく晴れた昨日のように、くっきりと影を落とすようなものではない。太陽はそのアウトラインをはっきりとは示さず、柔らかな光で海をも抱きしめているようかに見えた。


「雨が近いんだね」


 いきなり相棒は言った。


「何」

「風がなくて、穏やかな日が来たら、雨が近いんだよ」

「そういえばそうだったよな」


 彼らの住んでいる地域では。


「人がいなくても雨は降るんだ」


 相棒はふとつぶやいた。

 何言ってるんだと思いつつ、彼は珍しく雄弁な相棒の言葉に耳を傾けた。


「海が暖められて水蒸気になって空へ登って、……空の水蒸気がいっぱいになったら雲ができて雨が降ってまた海に戻る」


 年長組の一人の言いそうなことだ、と思いつつも、彼は差し込む言葉の一つも見つけられない自分に気付く。


「繰り返して、つながってるんだよね」


 そしてよいしょ、とテトラポットから相棒は飛び降りた。くるりと振り向いて、にこやかに笑みを投げる。


「ね?」


 何だ? と彼は答える。


「だから絶対にまた会えるんだよ」


 そのときゆったりとした風が一瞬通った。

 ふわり。それは相棒の黒い上着と帽子を吹き上げた。



「………うー眠……」

「寝ちまえや」

「んな時間が惜しい」


 はいはい、と年長組の片割れは譜面とケーブルの海に転がっている相棒にタオルを投げる。

 それを受け取ると、のそのそと相棒は洗面台に向かう。勢い良い水の音が耳に飛び込んでくる。

 ぶるぶる、と頭を振ると、赤い髪の端から水しぶきが飛び散る。顔を無造作に拭きながら、年長組の一人は不機嫌極まりない声で独り言のようにつぶやく。


「それに最近夢見が悪いんだよ」

「へえ」

「ロクな夢じゃねえ…… 一見綺麗なんだけど、俺背筋が凍ったぞ」

「俺もあまり最近よく眠れないけどさ」


 へえ、そぉ、と床に座り込む相棒の前に年長組の一人は腰を降ろした。


「で、どーゆう夢の訳?」

「あんまりよくは覚えてないけど」


 やや頼りなげに答える。

 その正面で片方の手で膝をかかえて片割れは座っている。空いている方の手はスティックで時々無意識のうちにカウントを取っている。


「長い夢のようだった気もする。でも実際は短いんだろーな。何を見たって訳でもないんだ」

「うん」

「新月の夜なんだ。誰かがギターを弾いてる。だけど俺じゃない。俺は聴いてるんだ。乾いた音でさ」


 片割れは片方の眉を上げる。


「ちょっと待て、新月の夜の夢ならオレも見たぞ」

「オマエもギターの音を聞いた?」


 年長組の一人は反射的にそう問うと、身を乗り出す。残っていた水滴が落ちる。


「違う違う」


 片割れは大げさに頭と手を振る。


「歌だよ。オレの聞いたのは。誰かの歌声」

「歌」

「意味も何も、全然判らないコトバだったんだけどさ、あの声にはオレ、もの凄く聞き覚えがあると思った」


 年長組の一人は相棒の顔をじっと見据えた。まさか。

 どう切り出していいのか、彼にしては珍しく迷った。

 何となく、そんな予感がしていた。片割れは長年の戦友の言わんとしていることはすぐに判った。だから彼が言い出しにくいだろう予感に方向をつけるべく、コトバを探した。


「なあ、誰が弾いていたと思う? そのギターは」

「……」


 何てこった、と年長組の一人は苦笑する。相棒はその答を知っている。自分は相棒の夢の中の歌の主を知っている。

 きっと鏡を今のぞいたら、自分の表情はひどいものだろうと思う。困ったような、泣きそうな、そんな。

 だけど、今はそんな顔しかできないんだ。彼は感じていた。


「なあ何て言ったんだ? 夢の中の奴は」


 片割れは続けて問いながら、つられて苦笑する。

 年長組の一人はそれをくっくっくと含み笑いに変えた。

 馬鹿野郎、と小さく友人が呟くのが聞こえた。声は笑っていない。そのまま空いた方の手で自分の顔を覆っている。

 彼は彼でまた、声の主に気付いていた。

 しばらく沈黙が続いた。それを先に破ったのは赤い髪の一人の方だった。


「試されているのかもな、皆」


 世界中の全てが。


「結果によって未来が決まる?」

「だとしても、どっちにしたって、出す答なんて、一つしかないんだよ」


 頭を横に振りながら無意味に明るく言い放つ相棒を見て、片割れは黙った。

 こう聞かれたんだよな、と年長組の一人は前置きして、


「『もし明日世界が終わるなら、最後の日には誰といたい?』」



 飛ばされる帽子を取ろうとして、彼の相棒は駆け出した。

 一瞬後、自分の動きが何かに止められるのを感じた。背中が暖かい。

 答はずっと自分の中にある。そしてわざわざ口に出さなくとも、相手がそれを知っているなら、いい。


「明日は―――」


 答は待つまでもない。

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