番外編二 告白 ―― 結婚 ――

「私は周りの他の女性よりずっと婚期が遅れていました。友人や親族からも地域からも。中学高校大学社会人、と生まれてこのかた恋愛に全く興味のなかった私に家族は相当焦ったようです。槇子ちゃんも覚えているでしょうけれど親戚たちが何度もお見合いの話を持ってきました。

 その度に私ははねつけました。なんでだかわからないのですが、結婚を意識できなかったのです。それに結婚については得体のしれない強い嫌悪感のようなものも持っていました。


 そんな中また両親が見合いの話を持ってきました。毎度毎度のことに正直もうすっかり疲れて果ててうんざりしていました。ほとんど無理矢理に近い形で仕方なく見合い写真だけでも、と見させられると今回は今までの男性以上に誠実さが表に出たような年下の好青年でした。


 ところがその時ゾッとして思わず見合い写真をとり落してしまいました。まるで跳ね退けるように。私はその男性と行為することを想像してしまったのです。」


 その言葉を耳した時、惠美も槇子も同様に背筋に冷たいものが走った。そして、もしかしたらと、とある考えが二人の中で生まれた。


「やはり私には受け入れる事が出来ないと両親に告げましたが、今回ばかりは業を煮やした両親から強く勧められました。半ば強要、といっても良かったでしょうか。これだけの仕事、これだけの家、これだけの人柄、これだけの容姿、しかもこんなあねさんで年増のお前を娶ってくれるって言う奇特な方だ、罰が当たるぞ、何が不満だっていうんだ、わがままも休み休み言え、このまま行かず後家にでもなられてこれ以上恥をかかせないでくれ、お前は恥を恥とも思わないのか、ごくつぶしになりたいのか、といった話を延々投げつけられました。」


「いや……おじさんたち見る目が変わったわ……」


 槇子が少し青ざめた声で呟く。自分がこんな目にあわされたらと思うと恐ろしくて身がすくむ。ましてや男と結婚しろなどと、バイではない惠美も槇子は考えただけで全身が総毛立つ。


「長女の私が結婚しないことがよほど腹に据えかねたのね。でもお父さんもお母さんもこの一件以外では本当にいい親だったと思う… そうでしょ?」


「う、うううーん……うーん……」


 腕組みして首をひねりながらうなる槇子を置いて紗子は話を再開した。


「そんな話を1週間以上も続けられた私は、すっかり疲れてしまいついには根負けしました。本当にいい人なら結婚してもいい、いや、結婚しなくてはいけないんだって」


「それが喬昭たかあきおじさん……」


 腕組みしながらなるほどと静かに頷く槇子。


「そう。確かにとってもいい人です。愛情もあって気遣いもあって。優しさがその人の中に本質的に備わっているというか、とっても理想的な人間でも夫でもあります。今だってそうです。

 それでも、それでも絶対にだめだったのは夜の生活でした。手をつなぐとか抱き寄せられるくらいでしたら受け流せます。でも、その……キスから先はもうどうしても激しい生理的嫌悪感に襲われてしまいました。

 私は何かと理由をつけて夜の行為を避け続けました。しかし、いつまでもそうはいかないと思いました。そして覚悟を決めたのです。夫は別段たくさん子供が欲しいなどとは言う人ではなかったので、子供が一人生まれればきっと…」


 二人はその紗子の苦渋の決断に胸が潰れそうになった。


「そして何とか一度の行為で子供が生まれました。それが多喜です。こうして考えると不思議なものです。あのどうにも耐え難い苦痛を乗り越えて更にお腹を痛めてはじめて血を分けた娘に巡り合えたのですから。可愛かった… 本当に可愛らしい子だった…」


 ハンカチを取り出すと目を拭う。多喜の母親としての感情に思いを寄せるとともに、自分たちの多喜への愛情にも思いを馳せあって二人もまたともに涙ぐむ。


「ところがこれで終わりではありませんでした。夫は二人目も求めてきたのです。どうやらあちらの親戚には夫自身が不妊症だったと言ってあったらしく、産めるんだから今度は是非男の子を、と言われたようでした。夫としても自分が不妊症だと言ってかばい守ろうとしていたのでしょうが、結果的には裏目に出てしまったみたいです。それに、夫自身も行為自体を求めているのは明らかです。当たり前の事なのですがそれを想像するだけでゾッとしました。その後も私はなんとか夫の求めを避け続けていましたが、いずれまた腹をくくるしかない時が来るだろうと半ばあきらめていました。ですが――」


 いきなり槇子があっ、と小さな声を上げる。その槇子にちらりと目をやりまた俯く紗子。


「そう、その頃、大きな出来事が出来ました。私は失踪したんです。多喜が2歳の頃」


 紗子はため息を吐くようにようやく言葉を放った。その姿に惠美は胸が痛くなる。いったいどれほどの苦しみをこの人は受け続けていたのだろうか、と。心からの同情を禁じ得ない。


「お辛かったんですか、やっぱり…」


 気づかわし気に惠美が声をかける。が返答は意外なものだった。


「いいえ」


 長い沈黙が流れる




「駆け落ちをしたんです」


 消え入るような声でほとんど泣きそうな声で、手元の真っ白いハンカチを真っ白になった手できつく握りしめながら声を振り絞る。



【次回】

 番外編二 告白 ―― 逃避行 ――

 5月22日 21:00 公開予定


 2020年8月20日 加筆修正しました。

 2022年8月23日 若干の手直しをしました。

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