第26話 罪

 すぐそばに廃業した古ぼけたドライブインの跡地がある。かなり昔に店を畳んだと見え、惠美はここが営業をしているのを見た記憶がない。槇子はそこの前にある砂利を敷いただけの駐車場に車を止める。槇子は惠美の方を向いた。街路灯の明かりが遠く弱くその表情ははっきりしない。

 が、多分この間の救命救助の時の様に真剣な顔だろう。


「今日の事で私ははっきり頭の中を整理する事が出来ました。」


 槇子は静かにうなずく。


「その結論と言うのが、『思い出の愛と今現実の愛は違う』という事です」


 槇子は静かに息を飲む。槇子には思いもよらない考えだった。槇子がちゃんと聞いてくれているのを確認して惠美は続ける。


「私は多喜を愛しています。今でも。でもそれに縛られて槇子さんに逢いたい今日の気持ちを偽ったり捨ててしまったりしてはいけないと思ったんです。」


 槇子の表情は判然としない。


「私はどうしても多喜への愛が忘れられませんでした。それに押し潰されて死ぬ寸前でした。今の槇子さんもそうではないですか」


 槇子が微かに身を捩じらせたように惠美には見えた。


「えっ…… そんな、そんなことはない、と、思う…… 今はあなただっているし…… 多喜ちゃんの、多喜ちゃんへの…… ……っ!」


 槇子が声に詰まる。身体を震わせ泣く。惠美は何も言わず、槇子の泣くに任せる。


「 ……っ ……っ……う……」


 泣いたり大きく息を吸いこんだり、数分間槇子の涙は止まらない。かつての惠美もまたそうだった。それを思うと惠美の胸もまた潰れそうに苦しくなるのだった。


「や、やっぱり駄目、ね…… ごめんなさい。……お、思い出しちゃうと駄目なの。涙が止まらなくなるの。 駄目…… 本当に駄目な…… あなたを裏切るようっな、人間で……」


 槇子は震える涙声で、背中を丸めたその姿は、悲しみに圧し潰されて小さく縮んだように見える。


「いいんです、いいんです槇子さん。裏切りだなんて思ってませんし、それが裏切りだって言うなら私はずっと多喜も槇子さんも裏切ってました。槇子さんを拒絶したあの春の日。おあいこです。」


 膝の上の両手を優しく握る。何としても、何としても、槇子の心を死者の国からこちらの世界、あるべき世界に連れ戻さなくては。


「二人を裏切った分私の方が罪が重いですよね。」


「そ、そんな…… じゃああの時」


 槇子は驚いた顔をしているに違いない。


「はい、本当は私、槇子さんとデートしたかったんです。正直、多喜と行った場所でなくたって構いませんでした。でもそれは多喜への愛の裏切りだ、と思って。多喜に愛しているよって言った自分の偽りの罪だと思って。だから槇子さんを傷つけました。ごめんなさい。ただただ謝ることしかできません。いくら責められても仕方ない事だと思います。

私はその心で多喜を裏切り、その行いで槇子さんを裏切っていた、最低な人間なんですから。許してくれとは言いません。本当にごめんなさい」


 槇子の手を握りながら頭を下げる惠美。


「……そんな、私には君を責めることなんてできない。顔を上げて、ね。」


「……はい」


 槇子の声は微かに涙声のように聞こえる。


「色々と頭が整理できたんで、私は多喜への愛で自分が死ぬようなことはもうないと思います。そうなることこそが自分から消えて行くことを選んだ多喜への愛、いやうーん、『供養』になるんだと思います」


 惠美には分かる、今の槇子の苦しみが。胸を押し潰されんばかりの鈍痛をさらけ出すようにして槇子の苦痛を代弁する。


「槇子さんは多分まだ多喜を強く強く愛しているんだと思います。身動きが取れないくらいに。紀恵さんすごく心配してました。」


 しばらく間を開け、軽く息を吸って、ようやく惠美は声にする事が出来た。


「だから、すごく遅くなってしまったんですけれど…… 多喜と私が行ったところにご一緒していただけませんか。もちろんそうでないところだって全然いいんです。」


 惠美の手に包まれた槇子の手がぎゅっと握られ、大きく息を飲む気配がする。


「一緒に多喜の思い出話をしましょう。一緒に多喜を懐かしみましょう。寂しければ朝まで語り明かしましょう」


 泣いているのか。槇子の背が揺れている。


 今この瞬間惠美は逡巡していた。今の私でここまで言ってしまっていいのか。


 いや、きっと間違いない。私は…… 私は……


「それでももし多喜の事が忘れられなくて苦しいのなら……」


 惠美は息を吸いしっかりとした声で槇子に伝えた。これは惠美の宣言。槇子と自分自身に対しての誓いだった。


「私が多喜を忘れさせます。」


 まなじりに少し涙を浮かべながら惠美は続ける。心の底で多喜に謝りながら。


「私、多喜を敵に回しても槇子さんを…… 今この世界で一番大好きな人を私達のいるここに連れ戻しますから。」


 言ってしまった。でも、遅かれ早かれこういった感情になるのは間違いないのだから構わないか。それともここでこんなことを言ってしまう私はなんだかズルいような気もする…… 惠美は少し申し訳ない気がした。



【次回】

 第27話 愛

 5月16日 21:00 公開予定

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