操立ての程度は個人の主義ですからの~
惠美が正しい正しくないは論じないですけど、真面目なのは伝わってきますわ。
自分しかジャッジする者がいなくても厳しく律している……
作者からの返信
おはようございます。
山川海のすけ様
お読みいただいて応援とコメントまで! ありがとうございます。
惠美の中では多喜も、多喜への愛もまだ完全には死んでいないのです。(私自身は霊魂というものを信じていませんが)多喜の魂というか「残留思念」のような何かが、惠美の中でずっと胸につかえているのです。
そのせいで惠美は他者を、槇子を受け入れることができないでいます。
その辺り巧く描けていなかったので、ずっともやもやしてました。ああ、もっと上手に表現できていたら、と思うこともしばしばです。
でも惠美の真面目さ(生真面目さ?)が伝わっていただけたのはとても嬉しいです。良かった。
どうぞまたおいで下さいませ!
三か四角さんのところからフォローを辿ってこちらに来ました。
同じ人を亡くしたが故に出会えたふたり。幸福なままでいられたのならけっしてあり得なかった関係性が、地の文での独白で吐き出される感情の寂寥感と喪失を強く意識させます。
失った先にあるものはなにか。他の方もコメントされておりますが、百合だからこそ描ける関係性ですね……。
甘味の名称ひとつすら物語の情景を彩っているのが心にきます。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
うぉーけん様
こんばんは。
三と四角さんがファンだと仰っているうぉーけん様ですね。あと、振動剣のお話もちらっとうかがいました。
誰かの死を前提として、周囲の者を描くやり方は押井守的なんだそうです。拙作も、もう一つの作品の「偽りの星灯火」も、一人の少女の死が物語のきっかけになっています。実は全く意識していませんでした。「ユンカース・カム・ヒア」というアニメの評論をしたサイトに前述のようなことが書いてありどきりとしたのを覚えています。
もっとも、参考としたものは何かないのか? と問われればPS・PSPのゲームソフト、「雪割りの花」は多少影響を受けたかもしれません。
最初は序盤から二人が手に手を取って支え合う展開を考えていたのですが、恐らくうぉーけん様が受け止められたとおり二人の喪失感と死者への愛が強すぎて、新しい相手、新しい恋に踏み込めない話に変わっていきました。
独白、特に惠美のそれはうつ状態で精神的に荒廃した彼女の心象を意識して何かに投げつけるような言葉を選びました。それに惠美、素の言葉は少し荒いんです。
>失った先にあるものは何か。
それはうぉーけん様の目でお確かめいただけましたら望外の喜びです。
>甘味の名称ひとつすら物語の情景を彩っているのが心にきます。
お褒めのお言葉を頂戴しありがとうございます。丸一日かけて考えた甲斐がありました。
またおいでいただければ幸いです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。