第9話 微笑む心
「貴女のさっきの笑い声…… あ、いやごめんなさい…… その、多喜ちゃんに似てました ……ご、ごめんなさい ……本当に変なことを言ってしまって、聞かなかったことにしてくださいね」
メイクを済ませてバッグに道具をしまいながら、笑顔の槇子は慌てながら自分の言葉を撤回するとより差しさわりのない話に変える。
「お葬式にはいらしてたの? ごめんなさい、私全然貴女のこと覚えてなくて。それに普通じゃないほど泣きじゃくってるばっかりだったし… 本当にみっともなかったですよね」
「……私は覚えてなくて、あのあたりの事は。全然覚えていないんです。こちらこそすみません」
その言葉で、互いがどれだけ辛かったのか、つまりどれだけ多喜を愛していたのかをうかがい知ることができた。嫉妬や嫌悪が完全に消えたわけではないが、それ以上に不思議な連帯感のようなものも二人は今感じている。そして胸の奥底に灯火が灯ったような感覚も。
「そうね。本当にショックだった…… 理由もなんなのか…… 本当にどうして……」
「すみません…… 私にも本当に分からなくて…… 考えても考えても分からなくて…… すみません……」
多喜が亡くなった最大の謎、それは未だ二人にも見当がつかない話で、この先も明らかになるのか分かるはずもなかった。それを思うと二人ともぽっかり開いた奈落の底に吸い込まれるようにして落ちていく感覚を覚える。多喜が抱えていたであろう心の闇が恐ろしくなってくる。
一呼吸おいて槇子が、ふっ、と微笑んだ。
「何だか私たち謝ってばっかりね」
ちょっと自嘲気味に惠美を見る。
「あ、ほんとです。ごめんなさい」
惠美も少し恥じ入ったような上目づかいで謝る。
「ほらね。ふふっ」
その姿に魅了される槇子。微笑みが少し大きくなる。
「あっ、クスっ……」
槇子の笑顔に花のような何かを感じ、惠実はまた照れた苦笑いをしながら少し肩をすくめた。
突然惠実の頭の中に去来する記憶。多喜の葬式のさなか、おぼろげな記憶の中で確かに槇子を見たような気がする。
「あ」
「はい」
「そういえば」
不思議そうな顔をする槇子。
「多喜のお母さんがお家で倒れた時介抱なさったのが」
確めるように槇子の顔を見る惠実。
「あ、それ私なんですよ。もしかして私のこと覚えてらした?」
「その時お水をもって来てお渡しした気がします」
「そうだったの」
「そうだったんですね」
多喜の葬式のような場合、両親はなるべく葬儀には関わらず別室にこもることが多い。が多喜の母、紗子は気丈に振る舞い、結果心痛と心労と疲労で倒れてしまった。それを涙の止まらない槇子が介抱し、抜け殻のような惠実が槇子を助けていた。2人共ゆっくりとではあるがおぼろげな記憶を手繰り寄せ当時を思い出す。
「私たちもうずっと前に会っていたんですね。ほんの少しだけど会話までしていたんですね」
「私もびっくりしました。まさか加々島さんにお会いしてた事を忘れるなんて」
「あぁ、ええと、槇子でいいですよ。槇子さん、で」
「はい!」
「私も惠美ちゃん、ってよんでもいいかしら?」
「はい! 是非お願いします!」
「よかった」
「ふふ……」
二人は先ほどまでとはまるで違う微笑みを浮かべていた。
「さ、少し油を売ってしまったわね。車でおうちまで送りますから、ナビして下さいね」
それを聞いて少し惠美は慌てた。自分の住むマンションを見られるのは何故だか凄く恥ずかしかった。必死で拒否する。
「いや! あ、あの、大丈夫ですから、駅まで送っていただければ。駅前のコンビニと本屋によ、寄りたいので」
ありもしない用事を作ってごまかす。
「そう? じゃ駅までね。すぐにつくと思う」
「はい」
ふたりは束の間のドライブを楽しんだ。とは言えさして話すこともなくあっという間に惠美の指定した駅に到着した。
「助かりました、槇子さん」
惠美は車から降りると運転席の槇子に笑顔を向ける。
「どういたしまして、おそくなってしまってごめんなさい惠実ちゃん」
二人は互いの呼び名にくすぐったいものを感じる。
しばしの間があったのち惠実の方から声をかける。
「じゃ、本屋こっちなんで」
「ええ、気をつけて帰ってね」
「はい、ありがとうございます。槇子さんも」
「うん、それじゃあ」
「はい、それじゃ」
惠美は元気に走って駅の商店街へ向かう。槇子は惠美の姿が見えなくなるまでじっとその背中を眺めていた。
そして槇子が車で帰宅した頃、二人はほぼ同時に相手の連絡先を知らないことに気がついた。
【次回】
第10話 偶然
5月29日 21:00 公開予定
2020年9月20日 加筆修正をしました。
2022年2月21日 誤記を訂正しました。
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