第5話 不思議で可愛い年上の
多喜の墓石から目を離しこれからどうしようか考える。多喜の墓には結局何の意味も見出せなかったのでもうどうでも良い。むしろ目も向けたくない。
うっかりしていたが、バス停で時刻表を見てなかったから早く帰りのバスの時間を確認しなきゃ。それにいい加減寒さがきついのでこのまま休憩所で少し体を温めたい。それになにより今日はまだ何も食べてない。
と、何時間ぶりに多喜とは直接関係ない思考を始めたところで、惠美は前方に人影を見つけた。
十五メートルほど先、正面石畳の道を歩く女性。年の頃は二十代中頃、いやアラサーか。平均よりは少し肉付きが良い。チャコールグレーのパンツスーツにコートが格好よく見栄えがいい。少しクシャっとしたルーズパーマのショート。一見するといかにも仕事ができそうなOLといった風情だ。その割に顔立ちは少し穏やかに過ぎた、いや、のんびりした、それともおっとりとした、悪く言えばいささかぼんやりした、とも言える印象を受ける。手にはピンク色の花の小さな花束を持っている。
惠美は少しこの女性に見入ってしまった。彼女の面差しには美しいとかかわいいとかだけではない何かも感じとれる。目の離せなくなる何かを。しかし、その何かが何なのか、今の惠美にはまだ皆目分からなかった。
無視を決め込んでこの場を去ろうとしても彼女とすれ違わなくてはならないのでどうにも気まずい。そうこうしているうちに相手がこちらに気付いて目が合ってしまう。意外な事に惠美の胸が少しドキッとした。向こうも少し立ち止まり少し驚いたような表情になる。自分では分からなかったが赤くなった惠美は反射的に目で軽く会釈してしまった。相手も軽く目礼し、何事もなかったかのように歩みを進めまだ惠美が立っているすぐそば、多喜の墓に膝をついて花を供えようとする。そこでスプレーカーネーションが供えられているのと線香がまだ燃え残っているのを見て、ごくごく最近に先客があった事に気付き怪訝そうな表情を浮かべた。状況が理解できていないようだ。しゃがみこんで線香や花をしげしげと検めている。惠美は多喜の知り合いの誰かが墓参りに来たという事に非常に興味深く好奇心を抱いてその一部始終を観察しているわけだが、当のOLはすぐそばにいる惠美と多喜の墓参りの先客が結びつかず困り顔になる。少々困惑しているようだ。
それが何故か興味深い。普通であれば笑ってしまうのだろうが、感情の鈍麻した今の惠美にはそんな反応は出来ない。しかし、客観的に見ても少々滑稽なこの女性に対し、惠美にしては珍しく自分から声を掛けようかとした。惠美が口を開こうとしたその瞬間、ばっ、と彼女が怖い顔でこちらを向いた。いや、元々の顔立ちのせいでどうしても「ほんのちょっとだけ怖い」顔でしかないのだが。それが惠美には無性に可愛かった。
何か悪いことをしたのだろうか。まさか墓石に傷がついているなんてことはないよな、と惠美が一瞬怯んだと同時に、多喜の墓石に傷をつけちゃ多喜が可哀想だな、という感情が無意識のうちにまた生まれていた。
そのほんのちょっとだけ怖い顔でこちらを向いたアラサーのOLが片膝を立ててほんのちょっとだけ怖い可愛い顔のまま話しかけてくる。
「あのっ。どちら様ですか」
声も固いのだが声質はふわりと柔らかい。顔立ちが顔立ちな上にこの柔らかな声よって口調の怖さは胡散霧消した。ただ「可愛い」だけが印象の中にとり残される。
「あ、え、
最初は相手に警戒心や反発心を感じたが、このふんわりした雰囲気にすっかり気を許してしまった。まぁ、この人は悪い人じゃない。多分。
ああ、なるほど、と微笑んだ女性は立ち上がると自己紹介をする。故人の同級生という事に得心がいったようで、顔は先ほどの精一杯なほんの少しの怖さもすっかり消えている。笑みが浮かぶと人畜無害さはこれ以上ないほどになり、とことん善良な人にしか見えなくなった。惠実から見てかなり年上そうで多喜とも全く違うタイプの顔立ちなのに、惠美はこのOLの笑顔を可愛いと感じていて目が離せなくなっている。
「そうだったんですか。あ、そうそう、本当は私の方からですよね。ごめんなさい。私は極北海洋資源の資源調査室… あ、ええと、そうじゃなくて、
「多喜ちゃんの母方の従妹にあたります」
さっきまでの気を許して弛緩した惠美の心が最後の一言で一気に緊張感へと変わる。
先ほどとは明らかに違う目つきになって惠美は思わず呟く。
「……多喜……ちゃん……」
「はい」
小首をかしげて柔和な微笑みを返す槇子は惠美の表情や言葉から何も受け取っていないようだ。
【次回】 2月14日-6 嫌悪と嫉妬
4月25日 22:00 公開予定
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