羊の皮を被った萌え豚

暮影司(ぐれえいじ)

第1話 壁ドンで入会

「壁ドンされてみませんか~」


 場違い極まりない学園で、場違い極まりない声がけをしている人がいた。

 ここは名門私立の中高一貫校。

 緑豊かで格式高い校舎を背にして、深い紺色のブレザーとチェックのスカートという制服に身を包んだ女子高生が声をあげていた。

 今は部活や研究会の勧誘の時期なので、おそらくその一環だろう。漫画研究会か演劇部か、そんなところだろうか。

 彼女は長い黒髪にやや高めの身長、バランスの取れた体型だが胸は大きめ。日本人らしい顔立ちながら目はぱっちり大きく、目鼻立ちが整っている。アイドルならセンターに選ばれるタイプだ。

 正直、興味がある。

 あんな可愛い女子高生に壁ドンしてもらえるというのだろうか。


「学園一格好良いという噂の、こちらの池澤免斗いけざわめんとが壁ドンしてくれますよ~」


 なんだ男がするのか。そりゃそうだよね。

 校舎の壁に向かって、眼鏡をかけたイケメンが女子に壁ドンしていた。順番待ちの列が出来ている。


「きゃぁ~」


 黄色い悲鳴というやつだ。

 イケメンに壁ドンされて、女子が喜んでいる。

 それを見ていた僕は……僕は……


 ブッヒイイイイイイ!


 僕は目をキラキラさせて、胸をキュンキュンさせている女子高生を見て完全に萌えていた。カワイイ! 最高! 乙女!

 羨ましいとか、妬ましいとか、そういう感情は生まれない。とにかく、可愛い女の子がいる。それを見ることが出来る。それだけで幸せ。

 壁ドンされた女の子たちはものすごく可愛らしかった。その日常では味わえない、ちょっとした疑似恋愛を味わったことで、非日常のときめきを得た女子の可愛さたるや。ブヒるしか無い。もう萌え豚としてブヒるかしか無いんだよ!!


「むむむ……」


 僕は眉間にシワを寄せ、顔をしかめる。

 おかしいだろうか?

 脳内では萌え豚と化して、ブヒりまくっているのに、なぜ胃が痛いみたいなリアクションなのかと。


 本当に旨いものを食べたことがあるだろうか。

 普通に美味しいものだと、人は笑う。「美味しいね」と。

 相当に美味しい場合は、人は驚く。「うわっ、なにこれ。美味しい!」そんな感じだろう。

 ところがあまりにも美味しいものを口に入れているときは、今の僕のようになるはずだ。

 一度、旬の鰯の鮨を、安くない寿司屋のカウンターで食べてみるといい。

 目を閉じ、首をかしげて「~~~~っ」と声にならない音を口から漏らして、全身を震わせるだけ。脳内では快楽が襲うが、表情は悶絶になるだろう。


 そう、僕はあまりにも女の子が好きなので、その可愛さを受け止める際にそうなってしまうというわけだ。

 「かわいい~」とか言えるのは、ちょっとカワイイだけ。

 「うっわ、美人!」とか言うのは、まあまあの美人。

 本当に、ほんっとうに素敵な女の子を前にしたら、頭の中はお花畑が広がるが、顔は苦痛に歪む。


「ぐ、ぐぬぬ」


 カワイイ~、可愛すぎるぅ~、ぐをー。

 そう思えば思うほど、メンチを切っているような顔つきに。


「キミ、大丈夫?」


 アイドルのセンターみたいな人に心配されてしまった。

 僕が不良のような見た目であれば、怖がられるところだが、僕は非常に中性的な童顔である。小学生の時は女の子に間違えられていたくらいに。

 なので、怖い顔をしていると言うよりは「どうしたの?」とか「お腹痛いの?」と言われることが多い。あなたが可愛すぎてブヒってるだけですとはとても言えない。

 話し相手が可愛ければ可愛いほど「私のことイヤ?」とか「ブスだから?」とか言われがちだ。むしろブス相手だったらニコニコしている。


「だ、大丈夫です。その、興味があるんですけど、ちょっと苦手で」


 普通の顔とか、笑うことがね。


「ふんふん。苦手というのことは克服したいのかな?」


 そう言ってにっこり笑いかけてくる絶対センター。マジでアイドルで天下取れちゃうくらいに可愛いぞ、この人……ブヒブヒ。


「ええ……そうですね……」


 なんとかそれだけ口から漏らせた。こんなに近くで可愛い人を見たら、苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。歯を食いしばってしまうから、まともな会話もできない。克服したい。


「じゃあ、ちょっと壁ドンやってみましょー!」

「え……」


 俺は男は興味ないんですけど。男の娘は好き。可愛いから。基本的には可愛ければなんでもいい。


「男の子はわたしがお相手するんだけど」


 そうなのぉ!?

 え、無料で? アイドルのチェキみたいに500円払わなくていいの? 


「キミは~、壁ドンするのとされるの、どっちがいい?」


 ほっぺたに人差し指を当てて、小首をかしげた。

 ブ、ブブブブブ、ブッヒイイイイイイ!!

 か、かわっ、可愛すぎる!

 死ぬ! もはや可愛すぎて死ぬ! 天国が見える!

 今のが可愛すぎて、どっちか選べない! 頭がちっとも働かない。ブヒブヒ。3400ブヒ。


「っ………」

「す、すごく悩んでる……興味があるけど苦手っていうの、本当なんだね」


 僕を心配してくれてるぅうう!?

 こんな萌え豚に優しくしてくれるなんて、恐れ多くてありがたくてブヒブヒイ!

 

「ぐっ」


 あやうく本当にブヒブヒ言ってしまいそうで、手で口を抑えた。こういうときは「虫歯?」とか言われることも多い。痛いんじゃないんです。

 むしろ痛みを与えることで普通に話せるようになる。僕は、脇腹をつねった。こうすると激痛で中和され結果的に無表情になる。頻繁に話をする女の子は、いつもポーカーフェイスだと思っているだろう。そのとき僕は結構な痛みを感じています。


「してもらう方で、お願いできますか」


 僕が壁ドンをしたところで、さっきみたいにときめいてくれる自信がない。背が高くて男らしいイケメンがやるからいいのだろう。僕は背も低いし、スポーツもしていない。格好良いと思われるかどうかはどうでもいいのだけど、可愛いリアクションが見れないのは悲しい。


「あ、うん。りょーかい!」


 すちゃっ、と敬礼した。

 クッッッソ可愛い。いちいち可愛い。この人ヤバい。

 ちょっとお尻を突き出す仕草も可愛いし、軽くウインクしてるところも可愛いし、敬礼の角度も可愛い。僕の萌え豚カウンターには4500ブヒと表示された。なんという可愛さだ……。可愛さの化け物か……。

 あやうく大声でブヒりそうになるので、慌ててお腹に爪を立てる。ここまでの美少女が相手だと流血する可能性があるな……。


「じゃ、ここへど~ぞ」

「は、はい」


 校舎の壁を背にして立つ。彼女は僕より少し低い背丈だ。男にしては低い僕と、女にしては大きな彼女。壁ドンには向いている。


「準備はいいですか~? いきますよ~?」


 壁ドンの準備なのか、右腕をぐーるぐると回している。

 はぁ~可愛い~、尊い~。もうなんなの、この人なんなの、永遠に見ていたい……。ブヒィ……。


「大丈夫です。お願いします」


 もちろん、激痛を自分に与えることで冷静に返事をした。お尻をちぎれそうなくらいにつねっています。


「えーい!」


 どーんと僕の顔の左に手を突く。壁ドンで「えーい!」って言っちゃうところとか本当に可愛いし、ドヤッとした顔も可愛いし、ちょっとだけ背伸びしてるところも可愛いし、ふわりと鼻をくすぐる香りも女の子らしくて尊い。気絶しそう。ブヒりすぎて死にそう。ブヒ死しそう。

 死ぬことを防ぐために、自分のお腹にパンチを入れる。セルフ腹パン。壁ドンされて腹パンするのは僕くらいのものだろう。


「うーん。ノーリアクションか~。ちょっとショック」


 ノーリアクションどころか、自分で自分の腹をバンバン殴らないと正気を保っていられないくらいなんですけど。あとショックを受けて口をこんなふうにしているのも可愛すぎるんですけど。これ以上可愛いとお腹が痛すぎてヤバい。


「す、すみません」


 俺は謝った。謝るふりをして、お辞儀をすることで腹パンをやめた。深呼吸を行う。ブヒブヒ、ふーふー。はー。


「でも、キミ、向いてるかも。ねえ、うちの部活に入らない?」


 この状況で向いている部活とは一体なんなのか。

 顔を上げると、彼女は俺の手を握って、にっこり。

 う

 う

 うわああああああ!?

 ブブブブブブヒイイイイイイ!!!

 アイドルが握手会をする理由を秒で理解! 柔らかくてすべすべした手で自分の手を包まれたなら、目に映るすべてのものがパラディーソ。

 再度訪れる、ブヒ死のピンチ! しかし両手を防がれているので自分にダメージを与える事ができない。舌を噛むか!? いや、それは死ぬ!


「ぐぎぎぎぎ」

「そんなに怒らなくても」


 怒ってない。ブヒっている。


「わたし達の恋愛研究会に入ってくれない? みんなも恋愛について興味があるけど、苦手なの。だから研究しているってわけ。この壁ドンも何がいいのかさっぱりわからない」


 僕には、めちゃくちゃわかりますけど。こんな可愛い子に壁ドンされたらすぐに好きになってしまう。っていうかもう好き。


「わたしは二年の八幡坂はちまんざかまなか。入部してくれる?」


 僕は右足で、左足をがんがん蹴りながら、ただ縦に首を振った。

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