鳥と私にまつわるエトセトラ

みおつくしのしずく

第1話 何するものぞハシビロコウ

私は自分がかわいいと思ったことはない。

高校生ともなれば思春期真っ只中、スカートを短くしたり眉毛を整えたり、バレないギリギリのラインでリップをつけたりするもんなんだろうけど、私はそういったものに興味はない。強いて言えば、前髪は目元ぎりぎりまで伸ばす。これが数少ない見た目のこだわりだ。

なんというか、私は目つきがよくない。

父親ゆずりのいわゆる三白眼で、昔たまたま目が合った小さい子を泣かせてしまってからというもの、ああ、私って怖いんだな、と思い目立たないよう前髪を作った。

人と話す時は伏し目がち、あまり人と話さなくて良いように休み時間は本がお供。まあ、かわいくない女子に人権なんぞあってないようなもの。と、思春期特有のめんどくささ全開な後ろ向き思考をかき混ぜて出来たのが今の私だ。


ところでハシビロコウ、という鳥を知っているだろうか。

灰色で、ずんぐりむっくりしたそこそこ大きい鳥で、でっかいクチバシをぶら下げてじっと動かない。

何より、あの何を見ているのかわからないじとっ、ぎょろっとした目つき。私としては、どこに愛らしい要素があるのか全くわからない。

そんな鳥と私が似ているといって憚らない子が同じクラスにいる。


橋本奈月。今年から同じクラスになった彼女に言われるまでは、恥ずかしながらハシビロコウの存在を知らなかった。

彼女はいわゆる美少女である。さらさらとした色素の薄い髪の毛、長いまつ毛に縁取られた、くるりとしたぱっちり二重の瞳。小ぶりな鼻とゆで卵のようにつるんとした輪郭、肌。何より、ほんわりとしている雰囲気は男女問わず話しかけやすい。後ろの席の女子いわく、「かわいいのご本尊」とのことだった。


新学年になって一ヶ月、次の授業の準備をしようと机の中から教科書を出していると、不意に

「ねえ、野々村さんてハシビロコウに似てるって言われない?特に目元とか似てるよね?私ハシビロコウ好きなんだあ」と跳ねるような声で話しかけられた。

ハシビロコウ。なんだそれは。センザンコウの仲間か何かか?となると小動物なんだろうか。いや、それか橋広コウ、とかいう新進気鋭の芸術家かもしれない。とにかく、何者なのか分からない。

困惑がそのまま顔に出ていたようだ、橋本奈月はいそいそとスマートフォンを取り出していじり始めた。

驚いたことに、自分の写真フォルダに保存するほどの熱の入れようだったらしい。友達と撮ったと思われるプリクラやら、課題用のプリントの写メやらが入っているフォルダをスワイプしている。

仲良くもない人のフォルダを見るのは、のぞき見みたいな感覚がして落ち着かない。それとなく視線を外したが、気にする様子もなく橋本奈月はお目当の写真をタップした。

「これこれ、かわいいでしょ、ハシビロコウ!」

画面をのぞきこみ、今度こそ私は混乱した。これに似てるって?なんじゃこれ、全然かわいくないじゃない。いや、自分をかわいいと思ったことは悲しいことにないし、少し陰気くさいことも自覚はしているけども!このでっかいクチバシ、さしずめあんたの団子っ鼻のようね、ってか?いや、でも何か悪意を持って言っている様子もない。本当にかわいいと思っているのか?それとも、世に言うキモカワみたいな感じか?いや、「キモ」が入ってる時点でそれは悪口だろう。

またしても黙ってしまった私を見て、「あれー?」と間抜けな声を発したと思ったら、今度は教卓の周りでたむろしているグループにぐいっとスマートフォンを突き出し、

「ねーねー、見てこれ、ハシビロコウって野々村さんに似てない?かわいいよね?」

と突進していった。


どうにも居心地が悪くなってしまって教室を飛び出したので、そのあとどんなやりとりがあったのかは分からない。でも、教室の隅でおとなしくしてるのが得意だった私にとって、あんな風に話題にあげられるのは苦痛でしかなかったのだ。

いや、分かってる。別に大したことじゃない、注目を浴びちゃう、馬鹿にされるなどと自意識過剰も程があるって。でも残念でした、お察しのとおり私はとにかくめんどくさいのだ。自分でも時々どうかと思うけど、せめて心の中ではじたばたぐらいさせて欲しい。

お腹が痛いと言い訳をつけた3時間目、保健室のベッドで布団にくるまりながら、冷たいシーツにぶるっと震えた。

ぎょろっとした目つきが怖く見えてしまうのは、自覚している。だからなんとか前髪を重たくして、隠そうとしてる。だというのに、あんなぴょんぴょこ楽しそうに話しかけて来て、自分がかわいいからって言うに事欠いて残酷な事実を叩きつけてこなくったっていいじゃないか。

なんなんだ、橋本奈月。これがかわいいわけあるか。ハシビロコウが好きだというそのセンスも、なんとかした方がいい。とにかく、後で何か言い返してやらなきゃ気が済まない。別に元々仲が良いわけでもなんでもない、ちょっとやそっと気まずくなろうがなんら問題ない。別に人と話さないんだから。

ひたすらごろごろしながら何を言ってやろうか考えていたら、チャイムが廊下に響くのが聞こえた。

伸びとあくびをかましてゆっくり起き上がり、前髪を直す。先生に声をかけようと上履きを履いていると、ベッドを仕切るカーテンが開いた。

「なんだかお迎えが来てるわよ」保健室の先生が示した先には、何故か橋本奈月がいた。


「ねえねえ、野々村さんもう大丈夫なん?

お腹痛いなら言ってくれれば良かったのに、何も言わずに行っちゃうからー」

私の斜め前を歩きながら橋本奈月が呑気に話す。一歩歩くごとに、ちんまりと結ばれた2つ結びの髪先が肩で揺れる。

「違うから」

「え?」

「別に、お腹痛くなかったから」

「わー、野々村さんてば意外と不真面目さん」

なぜか嬉しそうな能天気な声に、むかついてきた。お前のせいだったの。

「あのさ、さっきのなんなの?ハシビロコウがどうのって、あれ何のつもり?」

嫌味にしたってつまらないよ。布団の中で考えたひねくれた言葉を畳みかけてやろうとしたら、それを上回る勢いで畳みかけられた。

「あのねあのね、私ハシビロコウが大好きなのね?テレビで紹介されてるの見て、あのじっとおとなしい感じとか、三白眼?っていうの?あの眼の感じとか、全部ひっくるめてもうバッチーン!って来ちゃって!

すっごくかわいいんだよ、さっき見せた写真もね、家族で動物園行った時に撮ってきたんだよ!実物もすごくかわいかったんだあ、もっかい見たくて家族と別行動取っちゃったくらい!ほら見て、このストラップも動物園で買ったの」

鼻息荒く差し出されたスマートフォンには、確かにデフォルメされたハシビロコウがくっついていた。マスコットになったって目つきが悪いのは相変わらずだ。というかちょっと待った。

「あのさ、よく分かんないんだけど。じっと動かないで、ぎょろっとしたあの目つきがかわいいって?で、そこが私に似てるって?馬鹿にしないでよね。そんなの全然良いところでもなんでもないじゃない。教えてあげましょうか、かわいいっていうのはリスとか猫とかあんたみたいのを言うのよ、橋本奈月」

スマートフォンを突き返しながら低い声で返す。

そうだよ、愛らしい瞳でもなく声だってあんたみたいに高くないし、笑顔もふりまけない。誰とも気兼ねなく話すなんてもってのほか、私は「かわいい」を一つだって持ち合わせていないんだから。

無言でスマートフォンを差し出したままの私をきょとんとした顔で見つめると、それを受け取ってポケットに収めてから

「ううん。かわいいよ。かわいいって、別に一つしかないわけじゃないでしょう?」と変わらず呑気な声で返された。

「なんていうんだろ。うーん、例えばだけど、私は自分がかわいいってこと知ってるよ。眼もくるっとしてて、顔もちっちゃいし、なんていうんだろ、平和オーラ?みたいなのが出てるから話しやすいのかなあって。でも、別にそれだけが「かわいい」の定義じゃないでしょ」

かわいいの定義は一つじゃない。愛らしい顔立ち、やわらかい雰囲気、それだけが絶対解じゃない。「かわいいのご本尊」から言われた言葉に、一瞬時が止まった。

私の右手にそっと手を伸ばし、ふんわりと握りながら彼女は続けた。

「野々村さんはぎょろっとした目つき、って言ったけど、三白眼って私からしたら憧れだよ?ちょっと色っぽいっていうか、私が着れないような大人っぽい服とか似合いそうだし。ほら、私こんなんだからいっつも結局子供みたいなデザインになっちゃうんだよね、お洋服。あと落ち着きがないしね。

私からしたら、きゅるきゅるおめめもしゅっとしたおめめも、どっちもかわいいの!だから私もハシビロコウも野々村さんもみーんなかわいい、ってこと。以上!」

こっちを向いて言いたいことだけ言うと、何事もなかったかのようにくるっと元の方向へ歩き出した。


私はかわいい。で、あなたもかわいい。なんじゃそりゃ。めちゃくちゃにも程がある。

でも、真っ直ぐな瞳は二重がどうとか、まつ毛が長いとか、そんなこと関係なしに、綺麗だと思った。

「…でもね、あれがかわいいっていうのはないと思う」ほぼ負け惜しみのように呟くと、

「みんなちがってみんないい、だもーん」と

すねたような声色で返された。

「あと奈月でいいよ。橋本奈月、だなんてフルネームで呼ぶの長くてめんどいでしょ」

「橋本さんからで勘弁してください」

「さすがに欲張りすぎたか。うん、よろしくね。あ、そうだ」

「どうしたの?」

「さっき野々村さん、猫がかわいいって言ったよね」

「そうね」

「うちの子、ちょっとハシビロコウに似てるかも。ほら見て」橋本さんはまたスマートフォンを差し出した。見ると、灰色でずんぐりむっくり、黄色い目を細めてふてぶてしくこちらを見つめていた。

「…ほんとだ」

「でもかわいいでしょ」

「まあね」

「でしょー」

橋本さんは大きくにっこりすると、スマートフォンをしまったその手で私の左手を握った。

「次は日本史だよ。早くいこ」


私は今も自分がかわいいとは思わない。

相変わらずスカートは膝を覆い、唇はかさかさのまんま、前髪は重たく目元ぎりぎりを死守している。あと、ハシビロコウのかわいさもいまいち理解できない。

でも、こんな自分でも(奇特だとは思うけど)かわいいと言ってくれる人がいるっていうのは、案外悪い気がしない。私でもあの子みたいにちゃんと目を合わせて話せば、分かること・伝わることがあるのかもしれない。

まずは目を合わせよう。自分から何でもいい、話してみよう。そうすれば、何か変わる気がする。

教室に入ると、橋本さんが上体をぺたんと机にくっつけて座っていた。ぴんと両腕を伸ばし、じっと目を向けたその先には、私が貸したお気に入りの短編集がちょうど真ん中あたりで開かれている。

おはよう、と声をかける。橋本さんは顔を上げて、にこにこしながらひらひらと手を振る。

まずは何を話そうかな。ほんの少しだけ頬をゆるめながら、彼女の席に向かって歩き始めた。








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鳥と私にまつわるエトセトラ みおつくしのしずく @PedroSanchez

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