青信号と蛙の声

ささきゆうすけ

青信号と蛙の声 1

 クラクションの音はまだ続いていた。スーパーの値引きされた惣菜を買い占め、音楽雑誌の気になるコラムを立ち読みしただけでも、三十分は経っただろう。袋の底に寝かされた軟骨の唐揚げを気にしながら、サユミは野次馬根性よろしく横目で音の主へ近づく。

「あのう……」

 男は動かず、死体のように道路の真ん中にうつ伏せに寝そべっている。鳴り止まないクラクションのせいで聞こえていないだけかもしれないので、一応、大きめの声で尋ねてみる。

「もしかして死んでますかあ?」

 数秒、反応は無く、もう一度声を掛けようと思った瞬間、頭の後ろあたりに声が聞こえた。

「ああ……。やっぱりあなたもそう思いますか?」

 サユミは直感的に、倒れている男の声だと気づいた。目の前にいる男の声が後ろから聞こえてくるといったことは、サユミにとってはよくあることだった。

「あなた、やっぱり死んでるみたいですね」

 死体のように倒れていた男はやはり死体だったようだ。ということは、僕は幽霊? と、男はわんわん泣き出し、聞いてもいない家族の話を始めた。

 

 僕は、父を四歳の時に亡くしました。母は何日も何日も泣いていました。当時二十六歳だった母は、これから先の長い人生、どうやって生きていけばよいのか不安で仕方なかったはずです。僕と、二つ下の妹を、どうやって養っていけばよいのか、親戚も力になってはくれませんでした。当時、親戚たちは父との結婚を誰一人認めなかったのです。ろくに仕事もせず、家にも帰らず、遊び歩いているような人でした。一緒に暮らし始めてから父は変わった、と母は言っていましたが、最初からそういう人だったんだと思います。現に周りの人は全員が反対していましたから。人はどうして大事なことを見失うのでしょうね。

 

 男の話は止まらなかった。

「あのう、続きは帰ってから聞きますね。動けます?」そろそろ疲れましたというサユミの言葉に、男は何度も、すいません、すいませんと頭を下げた。

 

「けっこうすんなり動けましたね。体のほうは見送らなくていいんですか?」

「こうして動けますから、別にあの体にこだわることもありません。未練なんて無くなりました」

 サイレンの音が近づいてくるとともに、逆にその場から離れていくのは、何か悪いことでもして追われているような気分だった。

「無くなった?」

「無くなりました。この長い人生で、あんなに自分のことを話したのは初めてでした。こうして死にきれないのも、きっと何かに未練たらたらなんでしょうけど、なんだか胸に突っかかるみたいなものが、今は何もありません。不思議です」

 

 普通に考えたら、今日の出来事全てが不思議だった。寄り道なんかするんじゃなかったかなあとサユミはため息を吐いた。

 声だけの男は、しばらく無言でついてきているようだったが、家の最寄りのコンビニが見える頃にはもういなくなっていた。

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