翼ある者たちの物語
@chibiko30
第1話 大転換
地上は、激しい寒波に襲われていた。大地は深い雪に覆われ、母なる河も固く凍てつき、この地に住む者はすべて、命の糧を失い、静かに滅びに向かって突き進むのみかのように思われた。
「何ということか。かくも厳しい冬は、わしのこれまで生きてきた中でも初めてのことじゃ」
吹きすさぶ猛吹雪の中に立ちつくし、一族の長老はうめくようにつぶやいた。
「このままでは我々は全滅を待つだけです。この状況を打開するためにも、いよいよ転換の時に至ったと考えるべきです、リーダー」
若年者のグループの中から、その年で既にコロニー随一の“賢者”と目される若者が進み出て、コロニーの統率者である“リーダー”に提言した。
「転換?君が考えているのはまさか……」
年齢的にはまだ中堅ながら、その的確な判断力と統率力、そして果敢な行動力により、他の誰よりもコロニーの中で厚い信望を集めている、強く聡明なリーダーは、一瞬驚いた目で賢者を見つめた。すらりと伸びた優雅で美しい肢体を共通して持つ彼ら一族の中でも、リーダーの美しさは神々しいまでの威厳をたたえ、とりわけ際立った姿を有していた。しかし、その彼でさえも今は、長期の栄養不良と厳寒のために衰弱し、荒れ狂う吹雪の中、周囲の枯れ果てた灌木と見分けがつかないほどにやせさらばえていた。
「そうです、“彼ら”と接触する。それが現時点で我々が生き延びるための唯一の手段と言わざるを得ません」
若い賢者はコロニーのある湿地の先の白樺林の更に彼方を指し、決然とした口調で答えた。その方角の遙か遠くに、ぽつぽつと小さく、いくつかの建造物が点在しているのが見えた。そこは彼らが
「ならん、
長老が口をはさみ、激しく反対の意をまくしたてた。
「奴らが我々一族になした仕打ちを忘れたか。かつてはこのコロニー以外にもいたるところ、我らの同胞がいた。奴らが渡ってくる以前、この空の下、いずこも我らの楽園だった。そもそも、冬も、寒さに震えることなく温暖な地で安楽に暮らすことができたのだからな。我々の苦難が始まったのは、奴らが入ってきたからではないか。奴らは数と、我々には太刀打ち不可能な文明力に任せて続々と侵出し、我々の土地を次々と奪い、我々は住む場所を追われていった。それだけではない。連中と接触した同胞はすべて捕らえられ、片端から虐殺されたのだぞ。もう、このコロニーの外にはこの大地の上どこにも我らの仲間はいない。我々がここでこうしてかろうじて生き延びてこられたのは、先祖伝来の暮らし方を捨ててまで連中との接触を一切断ち、姿を隠して生きてきたからではないか」
「わかっています。もちろん、その点も熟慮した上での提言です。私も彼らへの警戒を心から解いたわけではない。正直、あの建造物を見るだけでも足のすくむ思いです。しかし、かつて同胞達を迫害した者たちとあの居住地の住民とでは同種の
「畏敬の念?信仰?友好関係だと?ハッ、何もわからぬくちばしの黄色いひよっこが、愚かなことを。たとえ、食料があるにせよ、どうせ、我々をおびき寄せるための罠に決まっているではないか」
「罠の危険性も確かに否定しきれません。しかし、それでも、試みるだけの価値はあると思います。このまま、ここで手をこまねいていても、どうせ、全員、死を待つのみなのですから。我々がこれまでなんとか守ってきた一族の血をここで絶やさないためにも、たとえ1パーセントでも、可能性があるなら、賭けてみるべきです。勿論、提案した責任者として私がまず接触します。どうか、決断を。リーダー」
賢者は再び長老からリーダーに向きを変え、強い決意を込めた口調で言った。
「だめだ、お前はこのコロニーに今、欠けてはならない存在だ。俺に行かせてくれ」
「いいえ、私が行くわ」
「いや、僕が」
彼に賛同したコロニーの若いメンバーが次々と彼の後ろに続いて立った。その誰もが、飢えと寒さに衰弱した顔ながら、瞳だけは同じ決意を秘めた色の光に輝いている。みな、リーダーがその口を開くのを、息を詰めてじっと待っていた。
しばらくの沈黙の後、リーダーは提案者である賢者に向かい答えた。
「私も君の意見に賛成だ。確かに、長老の危惧ももっともだ。だが、今はこの冬をいかに乗り越えるかが、差し迫った最大の問題だ。ともかく、まず、決死隊を編成する。その結果如何によって、今後の方針を決めよう。隊長は私だ。君は万一のことがあった場合、対策を講じるために残ってくれ。あとのメンバーは、ほかに今名乗り出た者と、偵察経験のある者の中から一名ずつ指名する」
みなの中から一瞬ざわめきがもれたが、リーダーの口調には、一切の異議を許さない強い威厳があった。
その場で隊長であるリーダーと指名された二名からなる飛行決死隊が編成され、直ちに白樺林を超えて侵入者の居住地目指して出立した。長老や賢者を始め、見送るコロニーの者たちすべては、彼らの姿が林の向こうに消えても、不安と期待の入り交じった眼差しで、その残像を追うかのようにいつまでも動かず立ちつくしていた。
林を越えると、眼前に、いよいよ
「さあ、あの居住地だ。食料置き場らしきものがあるのが見えるだろう。あれは、我々のために彼らが設置したものだ。まず、私が行く。君たちは、ここで、待機してくれ。もしも、私に万が一のことがあった場合は、私にかまわず、直ちにコロニーに引き返し、仲間たちに報告して今後の方策を練るように諮るのだ。いいな、これは命令だ。……だが、それはあくまでも最悪の場合だ。おそらく、彼の推測通り、危険性は低い。安全が確認されたら、直ちに合図を送る。もうすぐ、飢餓から解放されるだろう。希望を持て。では、行くぞ」
最後はことさら、明るい声でリーダーは言うと、単独、地を蹴って建造物のそばの平地に向かって離陸した。
目標地点に達すると、細心の注意を払って着陸し、辺りを用心深く見回す。特に危険性を発するものは、今のところ、彼のアンテナにはキャッチされない。かわりに、甘い匂いが嗅覚を刺激した。小さな、光沢のあるカプセル状の粒がびっしりと詰まった、楕円形の筒状の物体がいくつも目の前に飛び込んできた。見たこともない物体だが、それが食料であることを本能的に彼は感じ取った。一粒つまんで口の奥に飲み込む。甘い汁が口いっぱいに広がる。食道から空っぽの胃袋に食料が降りていく。体中にしみわたるえもいわれぬ快感を、リーダーは静かに噛みしめた。このまま、我を忘れてむさぼりたいという衝動は理性によって抑えられた。侵入者たちの居住する建造物を伺う。特に変化はない。更に一粒つまんで口に入れる。再び、警戒を解かずに建造物を伺いながら、更に一粒……。この行為を何度か繰り返した後で、リーダーは確信した。
-やはり、これは罠ではない。彼の言葉通り、彼らは我々に対して純粋に友好を求めている。我々は生き延びられる。食料を確保し、生命の危機から脱出できるのだ-
一族の存亡の危機を免れた安堵感と、使命が果たせた充足感に満たされ、リーダーは、吹雪に閉ざされた空に向かい、すっくと首を伸ばすと、待機している決死隊員を呼び招くための合図を送った。
-コォォー、コォォー
高い音程の合図が雪原の遙か遠くまで響いていく。その合図に導かれるように、隊員たちの飛影が現れた。彼らが着地してくるのを、リーダーは静かに待ち受けた……。
「あっ、ねえ、鶴だよ、丹頂鶴だ。見て、うちの畑のトウモロコシをたべてるよっ」
窓から外を覗いていた子どもが興奮した声で家族を呼んだ。その声を聞いて家中の人間がそっと窓辺に集まり、庭先の畑を覗いた。激しい吹雪の中、確かに、一羽の丹頂鶴が畑に束ねられたトウモロコシをついばんでいる。
「本当だ、あの用心深い鶴がやっと来てくれたぞ。この寒波でほんとに食べるものがなくなっちまったんだな。まあ、連中にとっちゃ、災難だろうが、これまで辛抱強く努力を重ねてきた甲斐があったよ。どんなにこの日を待ったことか。このまま、餌付けがうまくいけば、何とか丹頂鶴を絶滅から救うことができる。それにしても、やせ細ってはいるが、なんてきれいで堂々とした鶴なんだ。きっと、ありゃ、鶴の村の村長さんだな。ああ、高く鳴いている、仲間を呼び寄せてるんだ。ほら、もう二羽が飛んできたぞ。あはは、食べてる。後から来た鶴たちも食べてるよ、うちのトウモロコシを」
大人たちも目を細め、うっすらと目に涙をにじませて、雪の中の鶴たちの姿に見入った。 大寒波が襲った年のこと。最北の地の、蛇行した川の流れる湿原に近い村で、いつの頃からか渡りをやめ、留鳥となってその地に棲息する丹頂鶴の、それは、ついに、地元有志による人口給餌が苦闘の末、成功した瞬間であった。
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