五十六夜 フリやないからな

宗弥そうや、すまんかった。いまからそっち帰るわ」


 あおいと別れて数分後。獣道けものみちを歩きながら、虎児とらじが言う。足場の悪い斜面なのに、虎児の足運びに不安はない。


『…………』

「宗弥?」

『虎児サンごめん。神社に引き返して』

「葵に何かあったんか?」

『葵チャン、女の子に待ち伏せされてる。あれ、早乙女さおとめ百合ゆりだ』

「なんやて」


 虎児は振り返り神社の方向へと駆けだした。その速度はまるで平地を走っているかのようだ。


「相手は百合ゆりとかいうの、一人なんか?」

『うん。あっ』

「今度はなんや?」

『〝月を喰らいし者エクリプス〟ってバレたみたいだけど……様子が変だ』

「どういうこっちゃ? 神社まで戻ったで。葵はどこや?」

『虎児サン、ストップ。いますぐ敵対ってわけでもなさそう。石段下いしだんしたの鳥居にいるけど、見つからないように回り込める?』

「わかった」


 虎児は石段から大きく外れ、雑木林の中を音もなく下っていく。その姿は狩りをする時の肉食獣のようだ。

 鳥居が見える、少し高い位置に虎児は陣取った。その気になれば飛び出して不意をつける位置。

 そこから葵ともう一人、少女の姿が見えた。


「もし、この里から紫雲しうんを追い出してくれるのなら、協力してあげてもいいわ」


 葵とは違う声が虎児の耳に届く。少女――百合のものだ。


「紫雲さまは――」

「あら。私の前で信者のフリはしなくてもいいわ」

「……紫雲は」葵は言い直す。「教団の要で、信者たちからも信頼されているように見えますが?」

「教団そのものが無くなっても、私たちは困らないわ。むしろ無くなってくれると助かるかも」

「教団……も?」

「権力争いの類だとでも思ったの?」百合は葵に向かって、くすりと笑ってみせた。「紫雲が教団を立ち上げた時、歓迎している人もいたわ。教団と言っても信仰の対象は月だったし。

 私は最初から反対したけど」

「月とこの村に関係が?」

「この神社の名前は調詠つきよみ神社。月読命つくよみのみことを祀っているのよ」


 そう言って百合は石段の上、やしろのある方向を見た。つられて葵も見る。


「満月の夜に月読命の声を聞き、不思議な力を使える巫女のいる里。その巫女って、何かに似てると思わない?」

「! 〝月に捕らわれし者ルナティック〟」

「もともとここは、平家の落人おちうどたちの隠れ里だったのよ。逃げる途中、姫君が月読命の声を聞いてこの地に辿り着いたのが始まり。みんなで寄り添って生きる、いい里だったわ。紫雲が来るまでは」

「その姫君って……」


 百合はどことなく日本人形を思わせる風貌をしている。もし平安時代の着物を着せたならば、よく似合うだろう。


「まさか」


 百合が笑って見せる。それは見た目にそぐわない、年齢を重ねた者が見せる妖艶な笑みだった。


「そこまでおばあさんではないわ。でもあなたより、ずっと年上なのは確かね。とにかく。私も里の者たちも、昔みたいに静かに暮らしたいのよ」

「村……里のひとたちみんなで協力して追い出せないのですか?」

「〝月の祝福〟――あなたたちが言うところの〝月の贈り物ギフト〟ね――を受けているのは私とお父さまだけ。それも荒事あらごと向きではないから紫雲にかなわない。力づくで追い出すことは出来ないわ。

 だから、あなたたちと手を組みたいと思ったの」


 そう言って百合は葵を見つめる。葵は俯いて、何か考え込んでいるようだった。そして顔を上げ、虎児が潜んでいる方向を一別した。


「葵?」


 一瞬だが、確かに視線は合った。そして視線には強い力が込められていた。そのことに虎児は戸惑う。


「あたしたちは……かつらさんを探して、この村にやってきました」


 葵が言う。その言葉を聞いて虎児が飛び出しそうになる。まるでそれを察知したかのように葵が牽制の視線を送ってきた。視線を受けて虎児はその場に留まる。


「桂? あの記憶をなくしてる女性ひと?」

「はい。桂さんに会わせたい人がいます。それに協力してくれることが交換条件です」


 百合はじっと葵を見つめる。その瞳はまるで心の奥まで覗き込んでいるかのようだ。


「……それでいいわ。詳しい話はまた改めてしましょう。できればお父さまにも聞いて欲しいし」


 十秒も見つめていただろうか。百合は笑顔を浮かべ言った。そして葵に背を向け去っていく。


「なんや、ややこい話になりよったな」


 百合の姿が完全に消えてから、虎児が葵の所へとやってきた。


「先輩。よく〝待てステイ〟ができましたね」


 葵が感心したように言う。


「お前、ワイを犬かなにかやと思うとらんか?」

「先輩が猫派なことくらい知ってます」

「好みの話やないわ。まぁ、ええ。それよりあの提案はなんや」


 虎児の言葉に、葵はとぼけた顔をしてみせる。


「かつ……佳乃よしのさんと先輩を会わせる手配です。手引きするのがあたし一人より確実だと判断しました」

「いや、でもお前――」

「とにかく」葵が虎児の言葉を遮る。「詳しい作戦が決まるまで、先輩は宗弥先輩の所にハウスです」


 言葉は少しふざけているが、虎児を見る葵の瞳は真剣だ。


「……わぁった。お前を信じて待っとるわ」


 それを聞いて安心したのか、葵は笑ってみせる。


「ではあたしは教団の方へ戻ります」


 それだけ言って、葵も去っていった。虎児も宗弥の元に帰るべく、再び山の中へと入って行く。


『……虎児サン』

「なんや」


 イヤホンから宗弥の声が聞こえてきた。


『虎児サンって女性の尻に敷かれるタイプだよね』

「い、いきなりなにを言ってんねや」

『だって、昔話でも佳乃って人に尻に敷かれてたじゃん』

「いや、別に尻に敷かれたわけやのうてな。あれはあいつが頑固……ってちょと待て」 虎児が足を止める。「あの話をしとったとき、葵はメガネの電源切っとったやろ。なんでお前が知っとんねん」

『あのさぁ。虎児サンと僕、いまどうやって話してると思ってんの?』

「あっ」

『気づいた? 葵チャンがメガネの電源切っても、虎児サンの通信機から丸聞こえなんだよね』

「……宗弥」


 唸るように低い声で虎児が言う。


『ちょ。怖いよ虎児サン。心配しなくても、ウチの女性陣には言わないから』

「ホンマやねんな?」

『もちろん。僕は情報の専門家だよ。信用第一。軽々しく情報ネタを漏らしたりはしないって』

「絶対に言うなよ。特にあの双子には」

『わかってるよ』

「フリやないからな」

『わかってるってば』


 イヤホンから返ってくる宗弥の声には、笑いが含まれていた。

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