四十三夜 桂

「どんな場所なんですか?」


 白のコンパクトカーを運転しながらあおいが言う。四年前、筑紫つくし総合探偵社に入社して、最初に命じられたのが免許の取得だった。当時は新型感染症の影響で公共交通機関での移動がはばかられていた。

 虎児とらじと組んで遠方まで調査に行くことも多く、運転免許をとりに行かされたのだ。


『山間の小さな村で、いかにも限界集落って感じの場所かな』


 葵は今、伊達メガネを掛けていた。黒縁の太いフレームで少々野暮ったいが、小型の通信機器と骨伝導イヤホン、そして小型のカメラが仕込まれている。そのメガネから骨伝導イヤホンを通して宗弥そうやの声が聞こえてきた。

 葵は自らの運転で〝月の祝福〟教団のある白銅はくどう村へと向かっていた。

 車内には葵ひとり。そして彼女の運転する車以外、山間やまあいの県道を走る車もない。小型の通信機でも連絡できる距離に宗弥はいるはずだが周りに姿は見えなかった。


『でも、教団ができてからは若い人も来てるからね。多少は活気づいてるよ……と言っても溝はありそうだけど』


 葵の車は土砂が除去されたとおぼしき場所に差し掛かった。工事用信号が設置してあり、信号の色は赤。葵は停止位置が示された看板の近くに停車する。

 車の左側にある山肌は大きく削れ、流れて来た土砂の多さを物語っている。右側の対向車線はその半ばから崩れていた。

 崩れている手前には赤のカラーコーンと黄色に黒のストライプのコーンバーが置いてあった。片側交互通行になっているが対向車がくる気配はない。

 信号が青に変わると、葵は車を走らせた。


「溝?」

『うん。元々の住人との間にね。少し前の情報だから今は違うかもしんないけど』


 先ほどの場所から二キロくらい走っただろうか。道路から見える山肌が、所々削れているのが見える。そして目の前が開け、その先に小さな集落が見えてきた。棚田がいくつも連なる風景。家の数も、多くはないがいくつかの地区に別れ寄り添うように建っている。

 この村でも山肌が大きく削れている箇所があり、埋もれるように家があるのが見えた。すでに復旧している家屋もあるが、まだそのままになっている箇所も散見する。


「そうですか……あ、もうすぐ着きます」

『わかった。こっちは到着までまだしばらくかかる……え? 何?』


 話しかけられたのか、宗弥が誰かに向かって応えている。


『虎児サンが気をつけろって』

「わかりましたって、先輩に伝えてください」


 この感じだと虎児が運転しているのだろう。宗弥に問いかける虎児の様子が目に浮かんで、葵は少しだけ笑った。


『あと、メガネはこまめに充電してね。さすがにそっちの電源が入ってないと、僕の方で捕捉できないから』

「はい」


 県道を外れ、車は集落に入っていく。カーナビからは誘導の音声が流れていた。古い鳥居が建つ神社を通り過ぎ、黒塗りの立派な木塀に囲まれた屋敷へとたどり着く。

 葵はそのまま、塀の前にある駐車場代わりの広場へと車を停めた。

 車を降りてトラベルバッグを持つ。いつもならパンツスーツ姿の葵だが、今回は白のブラウスにベージュのパンツ。ローファーといった出で立ちだ。


「入ります」


 簡素だが立派な門を潜る前にひと言呟いた。言わなくても宗弥には葵のメガネから送られた映像が見えているはずだ。それでも葵はなんとなく言ってしまう。

 門の向こうには広い敷地が広がっていた。目の前には昔の庄屋屋敷しょうややしき改装リフォームした大きな建物が一つ。それ以外にも和風の家屋が何棟か建っていた。そちらの方は今風の建築だ。一番奥に見えるのは古い造りの蔵か。


 葵は正面の屋敷に向かう。引き戸になっている扉をあけ、玄関へと入った。広めの玄関の床は石畳になっている。上がりがまちの向こうには、玄関をそのまま等倍したような広さの廊下になっており、現代建築風に言えばエントランスホールといった感じだろうか。床板は綺麗に磨かれていた。

 正面と右手に引き戸が見えた。左手は細くなった廊下になっている。


「すみません」


 葵が声をかけた。しばらくして正面の引き戸が開き、生成の作務衣を着た中年男性があらわれた。


「はい。えっと〝月の癒し〟をご予約の方ですか? 今月は十四日の月曜からになっていると思うのですが……」


 男は丁寧な様子で葵に伝える。その表情に警戒した様子はない。だが、関係者以外は中に通さないという意志も感じられた。


「いえ。先日、連絡させていただいたたちばなと申します」葵は偽名を名乗る。「紹介状を持って本日伺う約束をしておりました」


 そう言って、葵はバックの中から封筒を取りだしてみせる。


「あ、えーと。少々お待ち下さい」

「どうしましたか?」


 男が奥に下がろうとした時、葵の後ろから女性の声が聞こえた。


かつらさま」


 男が葵の後ろを見て言う。その言葉につられるように、葵も後ろを振り向いた。

 そこには背の高い女性が一人、立っていた。男と同じ生成の作務衣姿。

 背は葵より頭一つ半は高い。虎児よりも高いだろうか。だが体のラインは葵と同じく女性的な曲線が少なかった。

 失礼だとは思いながらも、葵は女性を見て電柱を思い浮かべた。


 襟足を伸ばしたショートヘアーは元は明るい茶色に染めていたのだろう。今は上の方から黒くなり始めていた。その下には細めのアーモンド型の目があり、瞳は穏やかな雰囲気をたたえている。年齢は葵と同じくらいか。しかし女性の持つ雰囲気は葵よりもかなり年上だと感じさせるものだ。

 葵がそんな感想を抱いているとは思ってるはずもなく、桂と呼ばれた女性は葵を見て微笑んでみせた。


「――!」


 桂の右耳にだけピアスが見えた。作務衣姿には不釣り合いだと思い、葵の視線がピアスを捉える。そしてピアスがしずく型にカットされた月長石をあしらったものであることに気づき、思わず緊張する。

(この女性ひと……もしかして)

 葵はじっと桂を見つめる。視線に気づいた桂が不思議そうに葵を見た。


「どうかしましたか?」

「あ、いえ」


 葵は慌てて視線をそらした。


「この方は、どなたかの紹介でいらしたらしくて」

「こちらが紹介状です」


 葵は手に持った封筒を、桂に差し出して見せた。桂はそれを受け取ると表を見て、すぐに裏を確認する。


「……わかりました。わたしがご案内しましょう」


 封筒を葵に返してから、桂が言う。それから男の方を見て頷いてみせた。


「お願いします」


 桂が草履をぬいで、廊下へと上がる。彼女はそのまま男の横に立っていた。


紫雲しうんさまは、どちらですか?」

「先ほどまで、教祖さまとご一緒に大広間にいらしゃいましたが……」

「ありがとう。行ってみます」


 桂が葵に、ついて来いと視線を送る。葵は男に会釈をすると、桂の後をついて中へと入って行った。

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