二十九夜 美紀と恵

美紀みのり。みのり!」


 を呼ぶ声がする。あの時と同じ力強さで、美紀を呼ぶ声がする。


「…………めぐっちゃん」


 美紀は目を開けた。目の前にけいの顔がある。


「美紀、大丈夫か?」

「うん。めぐっちゃん、来てくれたんだ」

「当たり前だろ。どこにいても探してやるって、約束したろ?」

「あはは。覚えてたんだ」

「おまえこそ、忘れてたんじゃないのか?」

「そんなことないよぅ」


(なんだろう)

 美紀の胸からなにかこみ上げてくる。目の回りがじんじんする。

(ああそうか。泣きそうなんだ、あたし)

 美紀は恵の頬に触れ、親指と人差し指で摘んで力を込めた。


「痛って、なにすんだよ、いきなり」

「えへへ。夢じゃないんだ」

「当たり前だろ」


 恵が顔をしかめた。その様子がなんだかおかしくて、美紀は笑う。

 美紀を見ていた恵は、ふと視線をそらした。そして目を合わさないまま、ぶっきらぼうに言う。


「俺には美紀が〝ひつよう〟なんだ。どこにいても探し出す」

「うん。あたしも、めぐっちゃんが〝ひつよう〟だよ」


 恵は驚いたように美紀を見た。二人の視線が絡み合う。


「聞きましたか、たきっち先生」

「ああ、聞いたともみぽー助手」


 瑞穂みずほ美音子みねこの声に、二人は慌てて目をそらす。


「た、立てるか美紀?」

「え? あ、わわわ」


 言われて初めて、美紀は自分が恵にかかえられていることに気づいた。


「た、立てるよ、ほら」


 恵から離れると、取り繕うように美音子たちの方を向いた。


「オトさん、みぽー、会いたかったよぉ」

「滝っち、今まで二人だけの世界に浸っていたくせに、何か言ってやがりますよ?」

「みぽー、ひどいよ」

「うむ。しかし先ほどのは名ゼリフだったな。ぜひとも録画して後世こうせいに残そう」


 美音子はスマートフォンを取り出すと、カメラアプリを立ち上げた。そしてレンズを美紀の方に向ける。スマートフォンにつけられた、木彫りの猫のストラップが揺れていた。


「ささ、来崎くるさき、遠慮せずに思いの丈をぶつけるんだ」

「オトさんまで、いじめっこだ。めぐっちゃん助けて」


 美紀は恵の後ろに隠れた。


「うむ。折原おりはらとのツーショットも悪くないな。どうせならさっきのように見つめ合ってくれるといい絵になるんだが」

「先ほどの言葉は美紀へのプロポーズということでよろしいですね?」


 瑞穂がマイクを持つ真似をして、恵に手を突き出してきた。美紀に盾にされた恵は、瑞穂のレポーターばりの攻勢に圧倒される。


「ちょ、山村やまむらたきやめろ」

「さあ、あなたたち帰るわよ」


 佳乃よしのの声に、助かったとばかりに恵はその場を離れる。


「あ、めぐっちゃん。置いてかないでよぅ」


 追いかけようとした美紀に、美音子と瑞穂が両側から挟み込むように抱きついた。瑞穂は美紀の横顔に、美音子は美紀の頭に、それぞれの額を寄せてくっつける。

 そして二人は、ぎゅっと押しつぶさんばかりに力を込めた。


「な、なに? ふたりとも苦しいよ」

「おかえり、美紀」

「無事でなによりだ」


 二人とも何かに耐えるように、言葉を紡ぐ。美紀を離さないとばかりに抱きつく瑞穂の体は、少し震えていた。


「みぽー。オトさん。……ただいま」


 潤んだ声で、でも笑顔を浮かべて美紀が言う。瑞穂も美音子も笑顔を返す。

 三人は抱き合ったまま、佳乃の元へと歩いていった。


「そうだ! おじさんは!?」


 佳乃と紅葉くれはを見て、美紀が慌てたように言う。境内を見回したが、虎児とらじの姿はどこにもなかった。


「年寄りは疲れたって、帰ったわ」


 佳乃が何か言う前に、紅葉が答える。そんな紅葉を見て佳乃は笑った。


「虎児なら大丈夫よ。車に乗ってから話してあげるから、ここを出ましょう」


 佳乃の言葉に、六人は境内を後にする。佳乃、紅葉、美音子、瑞穂、美紀、恵の順番で、石段を降りていく。


「きゃ」


 美紀は階段の途中で足を踏み外した。そのまま倒れようとした美紀の手を、恵が素早く掴む。


「あ、ありがと」


 恵は黙って美紀の横にくると、手を握ったまま歩き出した。美紀も握り返す。どちらも顔を合わさない。

 美紀の顔に自然と笑みが浮かんだ。


「あーもう、今年のクリスマスは完っ璧かんっぺきにアタシ一人寂しい思いしてるよ」


 前を歩く瑞穂の愚痴が聞こえる。


「なら、みんなでクリスマスパーティーでもするか?」

「滝っちたちと一緒に? ジョーダン。余計むなしくなりますぅ」

「男を一人呼べばいいだろう」

「え? 滝っち呼んでくれるの?」

「みぽーが連れてくるのだよ」

「クリスマスって、あと三日しかないじゃん。そんなの、無理だー」

「とりま、陸上部の男子どもに声をかけてみればよかろう」

「そんな適当なのやだー! アタシも美紀みたいにキュンキュンしたーい!」


 そんな親友たちのやりとりを聞きながら、美紀は視線だけで恵を見た。


「ねぇ、めぐっちゃん」

「ん?」

「あたし、今年のクリスマスプレゼントはペンダントがいいな。こないだ買ったの、なくしちゃったみたい」


 美紀の首には、もう月長石ムーンストーンのペンダントはなかった。


「知らん」

「けち」


 恵は軽くため息をついた。


「……言うのが一週間遅いんだよ。他ので我慢しろ」

「じゃあ、来年ね」

「……考えとく」


 クリスマスまであと三日。そのころには満月になっているはずだ。

(でも――)美紀は思う。自分はもう、月の歌声を聴くことはないだろう、と。

 それは恵と繋いだ手のぬくもりと同じぐらい、確かな確信だった。


 美紀は繋いでいる手に力を込めた。恵もそれに応えるように強く握り返してくる。手は少し痛かったけど、美紀とって不快な痛みではなかった。

 それは自分がこの場にいるという痛み。そして自分のことが〝ひつよう〟だという証なのだから。


『美紀と恵』 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る