病める私辞める君

アマイロノソラ

病める私辞める君


 カーテンが風に揺れるのだ。


 窓越しの晴天は感覚的に雲六割青四割といった風で、これで晴れだと

言われるのは微妙。それでも色鮮やかな空は人工味が薄くていい。

カーテンを揺らした風はクーラーだったけど。


 外を五分ほど見ただけで飽きが来る。

 春のころは病院の横に桜がいた。秋のころには街並みにイチョウがかかった。冬は二度雪が降った。


別に私が飽きっぽいわけではないと思う。


 夏、ここから見えるのは深緑だけでつまらない。こんなことを言うと

国語の偉い人だとかに怒られそうだが、猛暑もクーラーで帳消しにした

この場所では面白みがないのだ。滴る点滴が目の端に映っている。


 今朝、仕事前にここに寄った母が「今日もあの子来るって」と言っていた。

嬉しかった。この個室の来客は彼だけで八割を占める。そんなことを思い返していると、扉の開く音が聞こえた。


 私は何かの意地で、扉が開いたのには気づかないフリ。


 「やあ」


 私は聞き慣れたその声にいつも通り振り返る。

 「こんにちは。いつもより早い?」


 「そうだね。夏休みだからいつも暇なんだ」


 そうか、そんな時期か。となると、ここに来て一年経つことになる。記念でも何でもないけど。


 「薄々気づいてたけど友達いない人?」

 私はいつも通り茶化してみる。


 「君よりはいます~」


 そう言いながら彼は私のベッドの横にある、背もたれのない椅子に腰を掛けた。


 「理不尽なくらいにハンデが大きすぎるよね」


 私の生活はこの部屋でほとんど完結している。


 「世の中ってのは理不尽なんだよ」


 彼のその返事には一割くらいの本音も交じっているような気もした。


 「まあ、そういうことにしとく~」


 「なんか、うざいし桃は一人で食べよっかな」


  そう言いながら彼が桃の缶詰を私の前にちらつかせる。

お見舞いに桃の缶詰とかベタかよ。という言葉は私の心の片隅に秘めといて

あげることにした。


 「ごめん、嘘、冗談じゃん!」


 私の言葉にフンッ鼻を鳴らした彼は、慣れた手つきでベッド横の棚から深めの皿を2つ取り出す。

 そして、彼は自分に二切れ、私に三切れ。缶は空になる。


 「やーさーすぃーい」


 「病院食ばかりの君と違って僕はポテトでもなんでも食べられるからね」


 「言葉の意図を察している時点でちょっとうざい」


 私の言葉で開かれた桃一切れをめぐる戦いは私にとってくだらなくて新鮮で。気づけば終わっていた。


 「はあ~、なんか新鮮」


 私の何でもない呟きで、彼のぐしゃぐしゃになった髪を直す仕草が固まってしまうのを私は知っていたのかどうか。ちょっとわからない。


 「君、みんなが学校でとっている態度をここで取ってるよね。ひっどいやつ」


 「うるさいな」


 私のお見舞いに来る人はみんな静かになる。きっと私への気遣いでもあるし、

この部屋は彼らの居場所ではないから余計に言葉を選ぶ。


 彼にとっての居場所は教室よりもこの部屋だ。彼がそう認めたから、彼はここへ毎日のように通う。彼に友達がいないっていうのは当たっている気がする。

彼に居場所はない。


 「君、学校楽しくない?」


 私がそう聞くと、彼は「ノーコメント」だなんて言ってあしらった。


 それでも、彼は疲れたようにベッド横の手すりに腕、頭の順で体重を乗せる。頭を撫でたら怒られるだろうか?私はそっと、夏の陽を受け止める黒髪に触れた。

人肌のリアリティがそこにある。彼はなされるがまま。


 「別に。クラスに話し相手もいるし、嫌われてないし、ましてやいじめられてもないんだよ」


 彼のまつげは長い。窓の先から流れる光で照っている。私はその光に

目を細めた。


 「だから、なんともないんだよ」


 彼がここに初めて来た日からだ。彼はここに入り浸っている。それを自覚しないことはむしろ冒涜だ。


 「不謹慎な話だけどさ」


 私には、彼がそれに続ける言葉がわかるような気がした。だって私は彼を心から肯定する。彼は一番救われない人間だ。私でさえほんの少し救われるのに。


 「僕は君になりたいよ」


 あと半年で。瞬き一つの時間で死んでしまう私に。そんなことを言ってしまう。


 別段、その言葉に驚きもしなかった。

 「へえ」と相槌を打つだけ。彼は助けを叫ぶことができずにいる。だから彼はこんな言葉を言えてしまう。私には彼がとても誠実に見えている。


 不幸ならば助けを求められる。彼はそれができずにいる。


 「やっぱり私は、君が好きだよ」


 私はそんな彼を心から肯定する。彼は最低限に幸福だ。彼はそれを自覚する。自分より不幸な誰かがいることを自覚する。そんな彼は救いようがない。だって不幸に近づけないと救われてはいけないって彼が決めたから。そんな彼は誠実に見える

この感覚は私以外に伝わるのか、ちょっとわからない。


 「やっぱり君は、僕を理解してくれる」


 「私たちは爪の先まで似ているんだよ」


 直感でしかない。二人の立場を入れ替えても、傍からは何も変わっていないように見えるはずだ。そんな私だから彼を肯定できる。


 彼の息が私のいる場所にかかる。とても、弱々しく見えた。

 二人の諦観とは場違いに青空がすぐそこにある。四階の窓から見える空は

思うより近いらしい。


 彼は最低限に幸福だ。彼より不幸な誰かがいる。

 彼は傷つけられない。傷を抱えている誰かがいる。

 彼は生きられる。私はもうすぐ死ぬ。


 「辛いね」


 彼が自分に許さない言葉を私は言う。社会は私にそれを認めている。若く死ぬ私は不幸だ。彼のささやかな善意は彼を縛り付ける。誰かよりマシだから苦しんじゃいけない。


 「私は辛いよ」


 苦しむ権利の話だ。社会が彼に認めない権利の話だ。最低限に幸福な少年は、

助けを叫べずにいる。私の涙は感動に昇華するとして、彼の涙に気づく人はいない。これは、個人的な感覚だ。極論だとけなされても構いやしない。


 みんな、苦しいと叫べずにいる。


 「もう辞めたい」


 彼が呟く。その声を一息も聞きそびれてはならない。


 「生きるのがずっと苦しいんだ」


 彼の口から、初めて聞く意志だった。それがどれだけ否定されるべきものだとしても私は嬉しかった。今日まで聞けなかった言葉だ。


 「私も苦しい」


 これは、私だから言える言葉だ。彼の横で死にゆく私だから言える言葉だ。詭弁だなんて言葉、知ったこっちゃない。私と君の中で完結する感性だ。


 「私たちは、苦しいんだよ」

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