第101話英雄と凡人。母と娘。魔物と人間。


目覚めの朝の筈なのに、窓の外は淀んでいた。


 タウバは去ったが、ティータンズは赤紫の雲に包まれたまま。

それでも雲の向こうの太陽は必死に地上を照らそうと、空へと登っている。


 まるで希望が遮られているような。


 壁に背中を預けて、うたた寝さから覚めたクルスはそんな光景を見て、気持ちを沈ませる。

 

「お待たせしました。少しは眠りましたか?」


 脇の扉からロナが車椅子の車輪を転がしながら出てきた。

 ロナの顔をが見られたことで、多少、ここの淀みが晴れたような気がするクルスだった。


「少しな。ロナは?」

「私も少し。ビギナさんと一緒に」

「そうか」


 昨晩、【破邪の短刀】を持ち出したビギナを宥めるべく、クルスとロナは彼女を部屋まで連れて行き、寝かしつけていたのだった。


「良かったら、朝の散歩しませんか?」

「……ああ」


 クルスはロナの後ろへ回り、車いすを押し始めた。


 眠れば少しは気分が晴れると思った。しかし、相変わらず胸の奥には重い塊が鎮座しているように感じられる。

やはり自分自身が、ロナの真実を聞いて、戸惑いよりも"気後れ"をしているのだと改めて感じた。


 今、目の前にいるは建国七英雄の一人:ベルナデット=エレゴラの生まれ変わりである少女。


クルスのような下賤の身の者が側に居るなど恐れ多いことであった。

 だからなのか今まで身近に感じたロナが別次元の、遠い存在に感じられる。


 真実を知った困惑よりも、実はクルスにとってこちらの方が大きい影響を与えていた。

 

「寝不足ですか?」

「ああ」

「大丈夫ですか……?」

「……ああ」


 気のない返事をしつつ、クルスは扉を押し開け、風光明媚な魔法学院の中庭へ出た。

明るさはあるも、空は相変わらず赤紫の雲が覆われていた。


 学院校舎からでも見える、禍々しい塔は相変わらず赤紫の輝きを帯びている。

ビギナの見聞によれば、あの塔はティータンズから定期的に魔力を吸い取って、どこかへ転送し続けているとのことだった。

 だから気持ちが重いのか、否か。


「クルスさん、こっちへ来ていただけませんか?」

「ん?」

「良いから私の前に来ていただけませんか?」


 クルスはロナに言われた通り、正面へ回る。

彼女はそっと手を伸ばし、そしてクルスを優しく抱きしめる。


「クルスさんが落ち込んでるのは、その……私が"ベルナデット"だったからですか?」

「――っ!?」

「やっぱり……クルスさんはそういうこと、結構気にしますよね?」

「……」


 ロナはより強くクルスの頭を抱く。

 身近に感じた彼女の暖かさは、これまでと何も変わらない。何も変わってはいないのだと。


「確かに私はベルナデットとしての記憶を取り戻しました。でも私がイデさん……イーディオン=ジムを支えていたのはベルナデットの頃の話なんです。彼女はもう50年以上も前に、この世界から消えました」

「……」

「今の私はアルラウネのロナ。貴方が名前を付けてくれて、そして愛してくれている存在です」

「……」

「だからお願いです。いつも通りに接してください。私はロナです。例えベルナデットの記憶を取り戻しても、私が貴方のロナであることは変わりありません」


 すべてお見通しだった。もはや、格好をつけたり、取り繕う必要などなかった。

言いたいことを言うべきだ。そう思ったクルスは、


「済まなかった……正直、気後れしていた。だって君は、俺よりも遥かに素晴らしい存在で……だから、急に君を遠くに感じて、それで……!」

「大丈夫です。そういうところも含めて、私はクルスさんを愛していますから。本当はベルナデットとしての記憶を取り戻したことは黙って置くつもりだったんです。きっとクルスさんが嫌な気持ちになるんじゃないかって思って……」


 ロナの優しさに触れて、クルスは温かい気持ちを得る。

 やはりロナは、彼が愛する心優しい存在で、心を深く通わせた存在だと改めて思い知った。


「ありがとう、ロナ。俺のそばに居てくれて……」

「それは私もですよ。私もクルスさんに出会えて本当に良かったです……」


 どちらともなく、互いに顔を寄せ合い、口づけを交わす。


 たとえロナの正体が、建国七英雄の一人であろうと関係ない。

ロナはロナであり、クルスの愛する人。これからも共にありたい存在。

強くそう思う。


「クルスさん、一つお願いを良いですか?」

「なんだ? 何でも言ってくれ。できることならなんでもする」

「ありがとうございます。では私をリンカさんの所へ連れてってくれませんか?」

「わかった」


 クルスは気持ちを改めて、車椅子を押し始め、校舎に併設された大講堂アリーナを目指してゆく。



⚫️⚫️⚫️



 大講堂には多数の魔法学院の教師や生徒が、寝込んでいた。

その間を動ける人が駆け巡り、看護に当たっている。

 今、寝込んでいるのは"禍々しい塔"に運悪く多くの魔力を吸われて、動くことが叶わなくなった人々らしい。


 そんな中にリンカとオーキスの背中を見つけたクルスたちは近づいてゆく。


「サリスちゃん、頑張って……」

「おはようございます、リンカさん」


 サリスの手を握りしめ励ますリンカへ、ロナは声をかけた。


「お、おはようございます。何かご用ですか……?」


 リンカは振り返り、ロナと同質の青い瞳に彼女を写した。


「少しだけ時間をいただけませんか?」

「時間ですか?」

「ええ。貴方のお話がしたくて。これまで貴方がどうやって過ごしてきたのかを聞きたくて」

「え? は、はぁ……?」


 突然の申し出にリンカは戸惑いを露わにする。


「少しの時間で、話せる範囲でかまわん。ロナの願いを聞いてくれないか?」


 クルスは念を押す。すると、隣のオーキスが首を縦に振った。


「リンカ、行って。サリスのことは任せて」

「……わかった。サリスちゃんのことよろしくね」


 リンカはロナとクルスに導かれ、講堂の隅へと向かってゆく。

そして幼く、優秀な魔法使いは包み隠さず、これまで話をロナへ聞かせた。


 気づけば父母はなく、兄と幼少期は過ごしたこと。しかしその兄が亡くなり、ラビアン教会へ引き取られたこと。

そして魔法学院での日々。サリスに出会い、オーキスとも友人となって、今では学院生活を謳歌していることを。


「今、学校は楽しいですか?」


 ロナは微笑ましそうにそう問いかけ、


「はい、楽しいです。オーキスやサリスちゃんのおかげで、今はとっても」


 少しリンカの顔に陰りが見えたのは気のせいか。

 するとロナは、リンカの髪をそっと撫でた。そうされたリンカは驚きの中にも、どこか喜びを感じているようにみえる。


「大変でしたね。でも今が楽しいのならそれで良いんです。明けない冬はありません」

「ロナさん……?」

「リンカさん、どうかこれからも健やかに、そして楽しく学院生活を送ってくださいね」

「は、はぁ……?」

「もう十分です。クルスさん、お願いします」


 ロナの言葉を受けて、クルスはキョトンとするリンカへ会釈をして、講堂を後にした。


「まるで母親のようだったな」

「そう、ですね……」


 何気なくクルスがそういうと、ロナは躊躇いがちに答えた。


「? どうかしたか?」

「いえ、なんでも……」

「どう見てもそうとは思えん。隠し事はしないでくれると嬉しい」

「えっ、でも……」

「良いから! 俺は君の全てが知りたい。君の全てを受け止めたいんだ。俺に素直になるように言ったのは君の方じゃないか」


 クルスは努めて優しくそう問いかける。

暫しの沈黙の後、ロナの背中が僅かに震えた。


「……わかりました。話します。リンカさんは、たぶん……ベルナデットだったころの私とイーディオンとの間にできた子供だと思います」

「君と聖王の?」

「はい……」


 魔神皇討伐後、キングジムことイーディオンとベルナデットは密かに恋に落ち、子供設けた。

そんな事実は記録には残されていない。残っていれば、聖王国の屋台骨を揺るがす一大事に繋がりかねないことだった。


「確証はあるのか?」

「母親、ですもの……わかりますよ、自分の娘のことだったら……」

「しかしもしそれが本当ならロナと聖王が子供を成したのは55年も前にことになるが?」

「はい。だから余計に娘だって、思えるんです」

「?」

「あの子の出自を聞いて、思い出したんです。ベルナデットだった私は樹海で最期を迎えました。そして最期の瞬間にまだ赤ん坊だった子供を、“リンカ”を誰かに託して、一緒に飛ばしたことを……ごめんなさい、なんでそんなことをしたのか、まだ思い出せなくて……」


 ロナは苦しそうに頭を抱えた。さすがにこれ以上は止めておいた方が良いらしい。

 

「もう良い、わかった。無理に思い出す必要はない」

「ありがとうございます……嫌ですよね。私の昔話なんて……しかも、他人との子供のことなんか……」

「むしろロナのこと深く知れて俺は嬉しい。俺の方こそ、昔のことを無理やり話させて済まなかったな」

「クルスさん……」


 クルスが撫でるとロナは微笑む。たとえ昔に何があろうとも、今の彼女はロナであり、ベルナデットではない。

愛する彼女であることに変わりはない。


「クルスさん」


 真剣なロナの声がクルスの耳を打った。彼女は引き締めた表情を向けて来る。

クルスもまた真剣に彼女へ向き合った。


「クルスさん、貴方には真実を告げます。私の命は残り少ないです。根を切って、樹海からでたことが私へ強く影響を及ぼしています」

「そうか……」


 ロナの腐った根を見た時から、それは感じていたことだった。

しかし改めて、本人からそう告げられ、強い衝撃が走ってゆく。

 本当は泣き叫びたかった。だが、今の彼女は悲しみ以上に重要なことを告げようとしている。

そう察したクルスは、自らの我がままにも近い思いを封じ、ロナへ向き合う覚悟を決めた。


「だったらこの命を、最後の一滴まで、この国とそして、リンカの未来に捧げたいです」


 その時、ティータンズの晴天が曇天へ変わった。不快な空気が風に乗ってくる。

 クルスはただならぬ雰囲気を感じ取る。

 

 ロナもまた表情を強張らせていた。

 

「あまり時間は無さそうですね」

「そうなのか?」

「はい。今のタウバは力を取り戻していません。サリスさんの身体を使っていたことが良い証拠です。しかし時間が経てば経つほど、奴を倒すのは難しくなります」

「今なら対処はできると? そういうことだな?」

「はい! もし、私の想定通りに行くのならば、今でしたらタウバを倒せます!」

「なるほど……」


 実際、世界の命運など、クルスにとっては些末なことだった。ただ、皆との平穏を守りたい――残り少ない命を使ってでも、戦おうとしているロナの気持ちに応えるべく。

 

「考えはちゃんとまとまっているんだな?」

「勿論です」

「さすがだ。では早速、皆と話をするとしよう」

「はい! よろしくお願いします! あと、えっと……」

「ん?」


 ロナはそっとクルスの手を震える指先で握りしめてきた。

 どこか覚悟のような気持ちが、指先を伝わってくる。


「約束を、今から…………」

「約束?」

「も、もう! 私、確かに魔物ですけど、一応女なんですよ? 前に、アルビオンでお願いしたじゃないですか!」

「アルビオンで……ああ、あの約束か」

「私はそう長くはないですし、タウバのこともありますので……」


 いくら頭で否定しようとも、ロナに残された時間は少ないのだと思う。

そしておそらく、この先は穏やかな生活ではなく修羅の道。

たしかに、彼女の願いを叶えるのは、このタイミング置いてほかにはない。


「……わかった」


 クルスはロナを背中から抱きしめる。

 

「ありがとうございます。できたら、言葉を欲しいです……」


 ロナから香る、森の爽やかさを目いっぱい吸い込み、彼女を身近に感じる。

そうするだけで、暗い気持ちは彼女を求める強い衝動に覆われていった。


「ロナ、君が欲しい。君と深く交わりたい。君の全てを俺にくれ」

「はい、差し上げます。私の全てを、貴方へ……今、私、とっても幸せです……。クルスさん、大好きですっ……!」


 ロナは体を震わせつつ、涙を流した。

 こんな涙など見たくはなかった。

 幸せの中で、彼女と深く結ばれたかったと、クルスは思う。



 空は不気味な雲に覆われ、外の世界には絶望が忍び寄ろうとしている。

しかし、そんな中でも、人の男と魔物の少女は、互いに探り合いつつ交わり始めた。

 愛する人との幸福な時間であった。

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