第36話冒険者殲滅戦――<人面樹の怪人>(*ビギナ視点)
「よし、ここからは手分けして探すとしよう!」
樹海ある程度進んだところで、リーダーで勇者の魔法剣士フォーミュラは、そう提案してきた。
「ヘビーガさん、ジェガ、イルスの三人、マリーさん、ビギナ、俺の二手に別れよう。暫くこの辺りを探索してまたここへ集合。何かあれば、魔法や、道具でしっかりと連絡をすること。良いね?」
ビギナ以外の一同は頷き、そしてフォーミュラの指示通りに二手に分かれた。
「ヘビーガさん、どうかしましたか?」
ヘビーガの視線が気になったビギナは聞くが、
「いや……」
「おーい、ヘビーガさっさと行くぞぉ!」
ヘビーガはビギナから視線を切り、少し重苦しい足取りでジェガの所へ向かって行くのだった。
「さぁ、マリーさん、ビギナ行こうか! マリーさんは後ろを頼めるかな?」
「了解した」
ビギナはフォーミュラと弓使いのマリーに挟まれた形で、歩き始めた。
季節は初めと言えど夏である。高い木々のおかげで日差しは遮られているものの蒸し暑く息苦しい。更にそこに緊張感があれば、歩くだけで妙な汗が額から零れ落ちる。
「ビギナ、大丈夫?」
「あ、はい……大丈夫です」
妙な緊張感の中、ビギナはフォーミュラへそう答えた。
すると、突然、先行して彼が立ち止まった。
「フォーミュラさん……?」
「……」
「あの!」
「マリーさん、この辺にしよっか?」
ビギナの背中は、突然冷たい殺気を感じ取る。
しかし行動が遅れてしまった。
「なっ――!?」
背後のマリーはビギナを羽交い絞めにし、軽々と持ち上げた。
背が低く、力もあまりないビギナは、足をじたばたさせるだけでマリーの拘束から逃れることは叶わない。
そんなビギナの顎を、フォーミュラは無理やり掴んできた。
ビギナは不自然な笑みを浮かべる彼の顔に、胸が押しつぶされそうな、強い恐怖を抱く。
「この間はさ、良くもこの勇者の俺に、とんだ恥をかかせてくれたねぇ? しかもこの俺が、抱いてやろうとしてたのによ。泣いて喜ぶ方が正しくね?」
「い、いやっ! 止めてくださいっ!!」
無理やり胸を掴まれ、思わず嫌悪の声を上げた。
「おかげで火消しで無茶苦茶金はかかるわ、親父にぶっ殺されそうになるわで散々だったよ。でもまぁ、俺は勇者だ。心は寛大だ。だからもう一度チャンスをやるよ」
「あっ! んっ、くっ……!」
フォーミュラの手の中で、小ぶりな彼女の胸がぐにゃりにと潰れた。
それでもわずかに反応して声を上げてしまった自分自身を嫌悪する。
「相変わらず敏感じゃん。やる気満々じゃん、ははっ!」
「そ、そんなことは……」
「今、この場で俺を受け入れるってんならこの間のことはチャラにしてやんよ。まっ、非処女じゃ魔法使いは続けんの難しいだろうけど、その辺は面倒みてやっから安心しな。俺ん家金持ちだからさ、お前も、お前の実家も含めて楽させてやるぜ?」
女の魔法使いは非処女となることで、邪悪な魔神を召喚してしまうというリスクを背負ってしまう定めにあった。
心の底から信用し、ずっと守ってくれるたった一人の男性へ処女を捧げるか。もしくは魔法使いという職を捨てて、安全な地方貴族の嫁となり、隔離されるか。処女喪失の選択は、どちらかであった。
勿論、魔法使いで無くなるということも困る。しかしそれ以上に彼女は――
「お、お断りしますっ! 無理だって、散々申し上げたじゃありませんか!!」
ビギナは精一杯声を張り上げた。するとフォーミュラの眉間へわずかに皺が寄る。
「じゃあ、少し話を変えよう。今目の前にいるのが俺じゃなくて、クルスのおっさんだったらどーよ? おっさんがお前のことほしいって言ったらどーよ?」
「先輩、だったら……?」
最悪の状況だった。しかしそれでも尚、信頼する冒険者“クルス”の名を、たとえ嫌悪するフォーミュラの口からきいたとしても、胸の内が僅かに華やぎ、恐怖が和らぐ。
もしも今目の前にいるのがクルスで、もしも自分のことを欲してくれたならば……
【頑張れ、ビギナ。俺にできることだったら何でも協力する】
以前、星空の下、クルスはそう言ってくれた。その前からも、ずっと彼は彼女のことをたくさん手助けしてくれた。
夢である立派な魔法使いになれるよう、いつも協力してくれた。仮に、彼と望むような関係性になったとしても、夢を叶えるその日まで、彼ならきっと――
「先輩はこんなことしません!」
気づけばビギナはそう叫んでいた。
「さぁどうかな? あいつだって一応男だぜ?」
「でも先輩なら、クルスさんなら無理矢理酷いことをしようとはしません! 絶対にですっ!!」
すると、それまでずっと笑顔を浮かべていたフォーミュラの顔がぐにゃりと歪んだ。
「俺を差し置いて、あのおっさんだと! 舐めるのもいい加減にしろ、この
「きゃっ!」
鋭い平手がビギナの頬を激しく打った。白い頬が真っ赤に染まり、強い痛みが広がってゆく。
「もう良い分かった! てめぇが妖精の末裔だろうと、もういらねぇ! 俺のもんにならないんだったら、お前なんて頼まれてもぜってぇ抱いてやらねぇ! マリー、しっかり押さえてろっ!」
フォーミュラは腰の鞘から立派な聖剣を抜く。剣の放つ冷たい輝きを見てビギナは息を飲んだ。
「や、やだっ! なんで、そんな! こんな! マ、マリーさん離してっ!! こんなの許して良いんですかっ!?」
ビギナが必死に身をよじると、マリーは更に強く拘束してきた。
「ふふっ……」
耳元でマリーは不気味な笑い声をあげた。
「マリーさん……?」
「怖いでしょ? 理不尽を強く感じるでしょ? 良いのよ、それで。もっと怯えなさい。竦みなさい。貴方が恐怖し、絶望すればするほど、贄として相応しくなる。妖精の血を引く、貴方ならば、尚のこと」
「に、贄……?」
「偉大なる御方の再臨のためのね。ふふっ」
「それじゃあ、さようならだビギナ」
フォーミュラは聖剣を大きく振りかぶる。ビギナは明確な殺意を前にし、我慢できずに目を閉じる。
(先輩、助けてっ……!)
そして思わず、心の中でそう願った。
刹那、何かが空を引き裂く音が長耳へ届く。
「あっ、くっ……あああっ!」
フォーミュラのうめき声が聞こえるのと同時に、拘束が解かれた。
唖然とするビギナをマリーは投げ捨てる。
宙を舞う中、ビギナは目にした。
フォーミュラの籠手の継ぎ目に突き刺さる、一本の粗末な矢を。
「ち、畜生! だれだぁー……!」
「ちっ!」
マリーは舌打ちをしながら蹲るフォーミュラを守りように立ちふさがる。そして素早く矢を上向きに放った。
“キンッ!”と金音が響き、矢は明後日の方向へ弾き飛ばされる。
ややあって、何かが木の上から飛び降りて来た。
深く被ったフードの奥に見える不気味な“木の仮面”。
羽織ったマントには無数の木々が生えている。
人の形をした怪異。図鑑で見た様子とはだいぶ違う。しかし敢えてビギナの前に現れた怪人へ敢えて名前を与えるならば。
この存在を何かしらの名前で定義づけるのならば――【
人の顔を持ち、森をさ迷い歩く樹木の魔物であると。
人面樹の怪人は一瞬地面に転がったビギナを見やる。意思がまるで読めない不気味な仮面。
しかし何故か、その仮面にビギナは暖かい気持ちを抱く。
「お、お前! 何者だぁ!!」
フォーミュㇻは手の甲に刺さった矢を抜きながら、マリーの後ろで怒りの声を上げる。
そして鋭い殺気を放ち、地を蹴った。
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