第28話侍女騎士の最後の記録
「クルスしゃん、しゅみまぇん。私の根はこれ以上先にしゅしゅめましぇん……」
ちびロナは凄く残念そうに、クルスの肩からするりと降りた。
不安げなロナの様子に、クルスはこみあげてくるものを感じる。
「道案内ありがとう。必ず無事に戻ってくる。必ず」
指でそっとちびロナの頭を撫でながら、約束する。そうすると、彼女の顔から不安げな様子が霧散した。
「待ってましゅね。ベラ! クルスしゃんをお願いしましゅ!」
「まっかせるのだ! 僕はさいきょうなのだぁ!」
ちびロナに見送られ、クルスはベラと共に、丘の斜面を登り始める。
きつめの斜面を登り切りると、そこかからは樹海が一望できた。
森の守護者と名乗るラフレシアとマタンゴが、物見櫓として使うには好都合な風景だった。
そして丘の先には光りを通さない闇を湛えた、大きな横穴があった。
「行くぞベラ」
「わかったのだ」
ベラはクルスの緊張感を気取ったのか、声を殺してそう言い、腰に携えていた二振りの短剣を抜いて構えた。
クルスは背中に背負った松明を手に持ち、マッチで火をつける。
赤々と燃える炎を光源にして、暗澹たる洞窟へ踏み込んでいった。
なるべく足音を殺しつつ進んでゆく。しかし殺し切れない足音が狭い洞窟に反響してしまう。
もしもこの奥にラフレシアとマタンゴがいるならば、気づかれているはず。
いつ何が起こってもおかしくはない。気を引き締めつつ、更に洞窟の奥へと向かってゆく。
その時足下で“パキリ”と乾いた音が上がる。
思わず怯んで飛び退き、先ほどまで自分がいたところを炎で照らす。
そこには明らかに枯れ果てた大きな花びらのようなものが転がっていた。
「それは枯れたラフレシアの花びらなのだ。クルス、周りも照らしてみるのだ」
ベラに言われた通り、クルスは周囲を赤い炎で照らしだす。
闇の中の至る所には赤い巨大な花と、真っ赤なキノコが至る所に生えていた。
「本来のラフレシアとマタンゴはこうしてひっそりと生えているだけなのだ。咲くのに数年もかかって、咲いても数日で枯れてしまうのだ。でも、森に危機が迫った時、人を誘い込んでその死骸に寄生して戦うのだ。力を最大限に発揮するための生態なのだ」
真っ赤な花と茸は互いに寄り添うようにして、暗い洞窟の中でひっそりと咲いている。不気味ではあるものの、どこか美しさがあるように思えて仕方がない。そんな花と茸の中に、クルスは異質なものを見つける。
「なんなのだ?」
「羊皮紙だ。しかし何故こんなところに?」
疑問に思いつつも、クルスはひもを解き、何枚も折り重なっていた羊皮紙を広げる。
そこにはびっしりと、文字が綴られていた。
●●●
私はフェア=チャイルド。カロッゾ家のご息女セシリー様の侍女であり、ご当主様より僭越ながら“騎士”に任じて頂いたものです。
私の両親は元々、カロッゾ家にて兵の育成を受け持っておりました。しかし私が13の頃、両親は魔神皇の残党との戦いで命を落としました。そのため私は天涯孤独となってしまいました。そんな私をカロッゾ家は拾ってくださり、兵にして頂きました。更には三女のセシリー様の侍女騎士にまで召し上げてくださったのです
ここまでお引き立て頂いたお家へは感謝が絶えません。ですので此度、私が起こした行為はお家にとっては反逆行為と指をさされても仕方がありません。
それでも此度、このような行動に走ったのは、すべてお仕えする“セリシー様”の最期の願いをかなえる為でした。
私は反逆者と名を刻まれても構いません。代わりにどうか、懸命に生きたおセシリーお嬢様の生涯を、記憶して頂ければと切に願います。
セシリーお嬢様は、お生まれになった直後より病弱で、脚も良くなく、出歩くことはままなりませんでした。そのため生涯のほぼをお屋敷で過ごされました。
お嬢様が知りうる世界は、お屋敷で与えられた一室と、その窓から見えるお庭の風景だけでした。また奥様はお嬢様をお産みになられてからすぐに亡くなられておりました。ご当主様もカロッゾ家の当主として、民のために日々聖王国中を奔走し、大変お忙しい身の上でした。
一族の方々も一様に、民のため、聖王国のためにと国中を回っておいででした。
誰もが病弱なお嬢様の面倒を見ることはできませんでした。
故に、僭越ながら、私がセシリー様をお守りしつつ、お世話の一切合切をさせていただいておりました次第です。
お嬢様は病弱ではございましたが知的好奇心が大変盛んな方でした。特に植物や、植物に類する生き物の生態に大変ご興味を持たれておりました。そこで私は、可能な限りお嬢様へ外の話を、特に植物に類する生態の話を、可能な限り持ち帰り聞かせておりました。
その中でもお嬢様は、ここ最近発見された新種の植物――森の深い闇の中でひっそりと咲く“ラフレシア”という花に大変興味を持たれておりました。
「このような不気味な花のどこがよろしいのですか?」
「だってこの花は咲くのに何年もかかって、見られるのはたった数日! 見ることができたらすごくラッキーじゃない!」
お嬢様はそう仰り、笑顔を浮かべられたことは今でも忘れられません。
もしかするとお嬢様はこの時からご自身のお体のことに気が付いておいでで、ラフレシアの持つ“もう一つの生態”が念頭にあったのかもしれません。
やがてお嬢様の容体は日に日に悪化の一途を辿って行きました。
高熱は日常茶飯事で、眠っていることも多くなりました。辛うじて生きながらえている状況でした。
もはやいつ、何が起こってもおかしくはない状況だったのです。
だからこそ私は、何度もご当主のバグ様へ、お嬢様にお会いになって元気づけて頂きたいと懇願いたしました。
ご当主様は何度かお聞き入れ下さり、面会には来てくださいました。しかしお忙しい身の上のため、お時間も短く、起きていらっしゃるお嬢様とお会いすることはついぞ叶いませんでした。
ノブレス・オブリージュを守る高潔なカロッゾ家――しかし、自分の娘を、しかも明らかに死期の迫っている娘を放置するのが、果たして良いことなのでしょうか。
カロッゾ家にはお嬢様以外に、ご健勝な一族の方が多くいらっしゃいます。
もしかするとご当主様は、病弱なセシリー様などは不要で、興味が無いのではないか。そう思ってしまう私自身が居りました。
このお屋敷で、セシリー様のことを第一に考えているのは私だけなのでは、と思ってしまう節はありました。
「あら……フェア、居たの。おはよう……」
「おはようございます、お嬢様。本日のお加減はいかがですか?」
「いつも通りね。でも、フェアの顔をみると元気が湧くわ」
「お嬢様……ありがとうございます」
「ねぇ、フェア」
「何か?」
「私、ラフレシアが見てみたいわ……」
お嬢様はこれまで何も望まず、文句も言わずお部屋にいらっしゃいました。
そんなお嬢様が、初めて自ら何かを願い出た瞬間でした。
ずっと御そばにお仕えしていて、お嬢様のお命があと僅かなのは、それとなしに気づいて居りました。きっとお嬢様もご自分に残された時間が少ないとお思いになられたのでしょう。
もはや一刻の猶予もない――私はお嬢様を連れだすと決断いたしました。
病弱なお嬢様を外へ連れ出すことは固く禁じられておりました。更に、これから向かうところは、ラフレシアの発見報告が上がっているものの、危険と噂される“樹海”
下手をすれば、魔物に二人共と殺されてしまうかしれません。そもそも、お嬢様をこのお屋敷へ戻すことは無理かもしれません。
しかし、それでも、お嬢様が願われたならば……!
私は装備を整え、お嬢様をしっかりと背負い、闇夜に紛れてカロッゾのお屋敷を脱しました。そして迷わず“樹海”へ踏み込みました。
「良い匂いね。これが自然の香りなのね」
樹海に入った途端、背中のお嬢様はとても嬉しそうにそう仰いました。
ここまでの道のりの中で、少なからず迷いがありました。今、己がしていることが、自分よりも大事想うお嬢様のお命を、自らの手で縮めてしまっているのではないかと。
しかしこうして背中にいらっしゃるお嬢様がお喜びならば、この決断をして良かった思いました。
ですがそう思えたのもつかの間の出来事でした。
やはり樹海は数多の魔物が潜む大変な危険な場所でした。無数の魔物が襲い掛かり、何度も命の危険に会いました。
私はお嬢様に使える侍女騎士として、御身を守りました。
ですが凶暴な魔物の歯牙は、お嬢様と私を躊躇なく切り裂きました。肌が溶け出す液体や、吸い込んだだけで血反吐を吐いてしまう毒霧を何度も浴びてしまいました。もはやお嬢様と私は無事にお家に帰ることが叶わぬほどの深手の数々を負ってしまいました。
しかし、そんな中でもお嬢様は、御身をまともに守れない私に文句の一つも仰いませんでした。
ただ静かに私の背中に身を寄せ、時にはせき込みながら、心配をしてくださいました。
すでに私も満身創痍でございました。数多の傷と、毒を浴びたおかげで、自身の死期が近いのを悟って居りました。
それでも私は樹海を歩き続けました。何としても、お嬢様の悲願を、鮮やかに咲き誇る“ラフレシア”の花を、一目でもご覧いただきたい。
その一心で。
朦朧とする意識の中、私はお嬢様と共に、近くに見えた洞窟に飛び込みました。
そしてそこでようやく“ラフレシア”の花を発見するに至りました。
しかしそこにあったのは、既に枯れ果て、無残にも花びらを散らすラフレシアがあっただけでした。
私は愕然としました。しかし満身創痍の身体はこれ以上歩き出すことができませんでした。
「申し訳ござません、お嬢様……」
「気にしないで。これで十分に満足よ?」
「しかし!」
「ありがとう、フェア……もうこれで十分。だって、咲いていなかったとしても、それでも今目の前にラフレシアがあるのだから……」
私はお嬢様と身を寄せ合い、眠りに落ちました。そして再び目覚めた時、お嬢様はもう二度と目を開けることはありませんでした。
穏やかなお顔でした。満足され、深い眠りに就かれたのだと思いました。そしてここがお嬢様の僅か十数年という短い生涯の終焉の場となりました。
このまま誰の記憶にも残らず、大地に帰ってしまうのは心苦しいと思いました。その瞬間から、私はお嬢様の生きた証を残すべく、この書を書くことにいたしました。
いつの日か、誰かがここを訪れ、セリシー=カロッゾという少女が、この世界に存在したということを知って頂くために。
そうしてこの手記を書き終えた頃、すっかり冷たくなったお嬢様にある変化がありました。
お嬢様の綺麗なブロンドの髪の間。そこに咲き始めた、赤い大輪の花が。
「お嬢様、ラフレシアはお嬢様を選んでくださいましたよ。良かったですね……」
●●●
クルスは読み終えた羊皮紙から顔を上げる。胸中には複雑な思いが交錯していた。
「人間、ここで何をしているのかしら?」
その時、凛とした声がクルスの背中へぶつけられる。
彼は徐に、後ろを振り返る。
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