ブキッチョなコックさん

@Teturo

第1話 金色の鵞鳥亭


 都心から私鉄で郊外に30分程離れた所に、「金色の鵞鳥亭」というレストランがあります。2階建てで、一階が店舗、二階が住居になっていて、お店の内装は樫の腰板に漆喰の壁で、さりげなく印象派の絵画が掛けられています。


 分厚い無垢のテーブルが、一寸びっくりする位、十分な間を空けて並んでいました。中庭を見渡せるガラスドアの向こうには、ウッドデッキが設えてあり、柔らかい太陽光線が、店の中を照らしています。

 飾り気の無い素朴な料理を出すレストランですが、食べ終わると必ず豊かな気持ちになるのでした。

 

 レストランには背の高い太っちょのコックさんと、背の小さな可愛らしいフランス人の奥さん、それに無口なお兄さんの3人が働いています。

 僕は、このレストランの大ファンで、お祝い事があれば友人たちと集まりパーティを開くのでした。お祝いが無くても、チョクチョク一人で食事に行くのですが……


「今日は。フランソワさんはお休みなの?」

 仕事の合間に出来た時間でレストランに寄ると、無口な若者がメニューを差し出しました。

「お昼だから軽めに。今日はお魚がいいのかな?」

 若者は微笑みながら頷きます。彼は徹底的に無口な人なので、初めてあった時には、そういう障害がある人なのかと思いました。しかし、厨房に入るためのスイングドアに頭をぶつけた時、

「痛てっ」

 と呟いていたから口は利けるのでしょう。また不愉快な無口癖ではないので、このレストランの常連さんには好感を持たれているようです。


「いらっしゃい、先生。彼女は一寸用足しで出てるんですが、すぐに戻りますよ」

 コックの守口さんが、厨房から顔を出しました。彼も無駄口を利くタイプではありません。お店の十年目開店の記念日に他のお客さんが帰った後、二人きりで呑み明かしたことがあります。

 ほとんど僕の経歴を全て話したと思える程、いろんな事を話しました。でも後で思い出すと、

「それは素晴らしいですね」

 とか

「そうですか」

 位しか、守口さんは話していないのでした。


「先生。一寸、清水の事で相談があるんですが、お時間はありますか?」

 南仏風ホタテのコキールを中心とした食事が終わり、食後の紅茶を持ってきながら、守口さんは私に話しかけました。ちょうどランチタイムも終わって、他のお客さんは誰もいません。


「そろそろ奴にも、余所で勉強させる時期が来てると思うんです。しかしどうしても、ここを離れたがらないんですよ。先生からも勧めてやって貰えませんかね」

 コックさんの世界では、最終的に自分の店を持つ事が一つの理想になっています。その為に、一つのお店で働くのではなく、幾つかのお店で修行する事が一般的なのです。でも勝手にお店を飛び出すのと、師匠から紹介されて、お店を移るのでは大きな差がありました。


「清水君が、ここを出て、お店の方は大丈夫なの?」

「大して客の来る店でもないし、大丈夫です。それより奴が小さくまとまってしまう方が心配でね」

 守口さんは腕を組んで、ため息をつきます。無口な若者は調理技術に関して言えば、一流シェフである守口さんにも認められているのでした。また彼には、自分を超える料理人になってもらいたいのでしょう。

「……守口さんや奥さんが話して聴かない事で、僕が力になれるとは思えないんだけど」

「奴は何も言いませんが、先生には一目おいていると思うんです」



 数日後、「金色の鵞鳥亭」定休日、僕はお店を訪ねました。

「先生。いらっしゃい。今日は清水の腕を見てもらえませんかね」

 昼過ぎの店内は営業時と同じように整えられています。守口さんは庭の見える席に僕を誘いました。月桂樹の大木が、柔らかな風に揺られています。白衣でなく普段着の彼は、厨房に合図を出しました。


 食前酒から始まり、素晴らしいコース料理でした。少し暑い日でしたので、スープは冷製のパリソワーズ。たっぷりのサラダは初夏の季節を喜べる、色とりどりの野菜達です。美味しいドレッシングもあるのですが、本当に塩だけで、一皿食べられてしまうほど、ステキなサラダでした。


 メインの鴨肉のコンフィーは、一寸余所では食べられないような一品です。塩を抜く加減や、スパイスの使い方が他所とは違うのでしょう。

 給仕をしていたフランソワさんも新しいワインを持って、私たちの席に座りました。

「いかがでしたか? 彼の技術は十分水準を越えていると思います。清水君の説得をお願いしたいのですが」

 きれいな発音の日本語で、彼女はいいました。守口さんは黙って、腕を組んでいます。



「私は自分の店など持ちたくないんです。ここで、ずっと働ければ」

 清水君とちゃんと話したのは、初めてかもしれません。僕は調理場で、自分の食べ終わった皿を洗いながら、清水君の話を聞きました。店を出て話をするよりも職場で話した方が、気を使わなくて良いと思ったからです。

 守口夫妻は都内にデートに出かけました。帰りは深夜になる予定です。


「そういう人生もあると思うよ。それは悪い生き方ではないし、僕の知っているコックさんにも、そういう人がいたんだ」

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