第26話 違うわね。
気が付くと私は、彼氏とその彼氏と腕を組んでいる女の前に居て、喚き散らしていた。
女の方は、少し困ったような顔をしながら、でもその口元は笑っていた。
「あらあら、こんな可愛い彼女がいるのに、私とエッチな事したらダメじゃない?フフっ、私は帰るわね?」
そう言って、彼氏の腕から離れ、何処かに消えて行った。
一人取り残された彼氏は、通り過ぎて行く人達の視線を浴びていることになのか、私に浮気現場を見られた事に対してなのかバツの悪そうな顔をして、私を目立たない場所に誘導しようと肩に手をかけた。
「一花、ちょっとここじゃ話せないから、向こうに行こう。な?」
そう言って見せる笑顔は、何時もの爽やかな笑顔。
遊びだと思っていた。
遊びのつもりだった。
けど、何時しか私はその笑顔が好きになっていた。
「ねぇ貴方、先輩を何処に連れていくのかしら?」
こんな状況であるにも関わらず、その笑顔が何時もと変わらないから、まだ浮気をする前なのでは無いかと、小さな希望を抱きかけた時、私の背後から忌々しい後輩の、怒りを押し殺した様な声が聞こえた。
「君達は?一花の後輩?」
突如現れた山口美月とその仲間に話しかけた彼氏は、やはり爽やかな笑顔だった。
私に、私だけに見せてくれると思っていた笑顔。
「えぇそうよ。貴方、さっきの女と浮気をしたわよね? 」
「え?いや、してないって。俺の事知ってるだろ?この辺りでは有名になっちゃったからさ、ああいう女の人が引っ付いてくるんだよ?」
確かに、そう言われればそうなのかもしれない。
来年には全国的にも有名になりそうな彼に、今のうちに唾をつけておきたいと思う人は多いだろうし、付き合いたいと思う人だって。
「じゃ、じゃあ誤解…なの?」
「当たり前だろ?俺には一花がいるんだか…」
「忍!」
「んん、これでどうかな?」
折角彼氏が話しているのに、それを遮るかのように山口美月はその仲間の名前を呼んだ。
忍と呼ばれたその子は、スマホの画面を私達に向ける。
そこには――
「いやぁぁあぁああぁぁああああぁぁぁああ!」
◇◇◇◇◇
「ちっ…」
私が向けたスマホの画面を見て、先輩は叫び声を上げた。
少々刺激が強かったかも。
それにしても男の反応が舌打ちって、本当に最低だよ。
私が見せた画像は、さっきの女の人と先輩の彼氏が、カーセックスしている画像だった。
良くやるよ。
撮るのも嫌だったし、こんな画像スマホの中に入れたままにしておくのも嫌だ。
気持ち悪い。
人気の少ないコインパーキングの奥でやってるなんて、頭おかしい。
一つ気になったのは、撮る時に女の人は気がついていたようだった事。
私に視線を向けようとはしなかったけど、男がこちらを振り返りそうになった時、男の頭を抱えてこちらを見せないようにしていた。
あの人何を考えているのか分からないな。
ちょっと怖い。
「あぁ〜もう。一花ごめん!事情があるんだ。ここでは話せないから、ちょっとついてきてくれない?君達も事情を知りたいだろ?一緒に来る?」
先輩はこんな物を見せても彼氏を信じたいのか、彼氏に肩を抱かれても抵抗はしなかった。
私達は先輩の肩を抱いて歩き出した男の後に着いていく。
◇◇◇◇◇
何てものを見せるのよ!
私の最後の望みは潰えた。
やつぱり彼は浮気をしていたんだ。
頭の中がぐちゃぐちゃで、顔なんか酷い有様だと思う。
皆に綺麗だと言われ続けてきた私の、今の姿は無様だ。
ひび割れてしまったプライドに、彼の甘い言葉が響いてくる。
事情があった?
あの画像を見た瞬間、私の彼に対する感情は消え去ってしまった。
彼に促されるままついて行ったのは、自分自身のプライドを守る為なのだと、後で気が付いた。
連れていかれた先は、ダーツバー。
高校生が出入りするような場所ではないと思うけど、その時は何も考えられないまま、ついて行った。
お店はまだ開店していなくて、準備中の看板が扉の横に立てかけてあり、店内に入るも人は居なかった。
「ここさ、知り合いの店なんだよ。今飲み物貰ってくるから、あの端の席で皆座ってて。」
彼はそう言って、店の奥に消えて行った。
涙も引いてきて、漸く頭が回るようになって来た時、同じテーブルに着いている相手に気が付いた。
私が一番気に入らない相手に醜態を晒してしまった事に気が付き、心に入ったヒビが、ピシリと音を立て深くなる。
「なによ、私にこんな思いさせて、どういうつもり?仕返しかしら?!もう気づいてたんでしょ、嫌がらせしてたの。」
そうだ、気づいてるいるんだろう。
私がやった子供のような嫌がらせを。
山口美月を睨みながら言うと、隣に座っている彩葉と言う後輩が眉間に皺を寄せて抗議してくる。
「ちょっと先輩?美月はねぇ…」
「彩葉、今はいいわ。それよりも、彼が来たみたいよ?」
奥からこちらに来る足音が聞こえてきた。
彼が飲み物を持って来たのかと思うけど、足音は一つでは無かった。
「おお!可愛い子ばっかりじゃん?!」
「JK!JKがいっぱい!」
彼とは別に五人の男達が現れ、その顔には嫌な笑みを浮かべていた。
私が絶対に知り合いにならないような、頭の悪そうな格好をした男達の間を縫って、彼が前に出て来る。
「やっちゃって良いですよ?もう面倒だし?」
彼は爽やかな笑顔で男達にそんな事を言った。
男達は色めき立ち、奇声を上げ始める。
一人が扉に向かい、カチリと鍵を閉めたのが見えた。
「ど、どういう事?事情を話してくれるんじゃなかったの?」
事態が飲み込めなくて、震える声で彼に聞いた。
「女なんて少し有名になった相手には、簡単に股を開くじゃん?お前達女が俺をブランド品みたいに見てるんだから、俺だって女を利用させてもらいたい訳。こう言うのなんて言うんだっけ?…ウィンウィン?だったっけ?お前もそうだろ?一花?」
「…っ!」
何時もの爽やかな笑顔で醜悪な言葉を吐く彼が、まるで別人に見えた。
とは言え、彼の言っている事を私は否定出来なかった。
確かに、私も同じような感覚で付き合い出した。
だけど――
彼は私達から一番離れた席にドカりと座り、タバコに火を付ける。
「着いてきた後輩ちゃん達には悪いけど、まぁ気持ち良くなれるんだから、許してね?」
男達が嫌な笑みを浮かべながらにじり寄ってくるのを見て後ずさるも、壁に阻まれこれ以上下がる事は出来ない。震えながら、この後に訪れる地獄のような事態を幻視して、頭の中が真っ白になっていく。
その時、黙って座っていた山口美月がそっと立ち上がった。
「ねぇ、私少し聞きたい事があるのだけれど?」
ハッとして彼女の横顔を見つめる。
少し上向きに顔を傾け、目は細く眇られ、まるで見下すかのような視線に、物理的な冷たさを感じ、先程までと別の震えが起きる。
彼女はゆっくりと、優雅にさえ見えるような足取りで、男達の方に歩いて行く。
「うおっ!この子めちゃくちゃ可愛くね?」
「俺が一番でいい…っかはっ!」
自分達の方へ歩いて来た山口美月に、一人が手を掛けようとした瞬間、男は糸が切れたように崩れ落ちた。
「………は?」
何が起きたか分からない男達は、床に倒れて意識を失っている男に視線を集めた。
ダァン!
男達が倒れている男に気が向いている隙に、更に一人男が崩れ落ちる。
「え?…ちょっ…え?」
私も何が起きているのか分からない。
一瞬にして五人いた男のうち、二人が床で気を失っているのだ。
動揺して床で伸びている男と山口美月を交互に眺めていると、背後から肩を叩かれる。
振り返ると、忍と呼ばれていた後輩が、目元は髪の毛で隠れて見えないけど、顔をほのかに染め、憧れの人を見つめるかのように、口元を綻ばせて私に言った。
「先輩、ここは
「ク、クイーン?」
◇◇◇◇◇
山口美月は優雅に歩く。
男達は仲間が倒れたのが目の前の美しい女性の仕業だと気づいたようで、怒声を上げて殴りかかろうとする。
あぁ〜、ここからじゃ後ろ姿しか見えないけど、多分美月は笑みを浮かべているんだろうな。
やっぱり美月は私の憧れの人。
隣にいる彩葉は苦笑いしているし、こんな姿を初めて見る撫子は目をまん丸にして口を開けている。
美月の事が気に食わない筈の先輩も、その目は美月に釘付け。
一体どうなっているのだろう。
殴りかかってくる男の拳をゆっくりとした動作で交わし、すれ違いざまに喉の当たりを手で撫でているように見える。
それだけでまた一人倒れた。
「ちょ!アンタら!女子高生一人相手に何やってんだよ!」
先輩の彼氏が焦り出す。
それはそうだろう。
美月の視線はずっと先輩を射抜いているから。
目を逸らさず、襲いかかってくる相手を見もせず、ほら。また一人倒れた。
「な、なんだこいつ!?」
最後の一人になった男が後ずさるも、美月はゆっくりと近づき、すれ違ったかと思うと同じように崩れ落ちた。
美月はそのまま、先輩の彼氏の前に立った。
「え?ちょ…何これ?」
タバコを取り落とし、椅子から立ち上がって壁に張り付いている先輩の彼氏が、倒れている男達に目を向け、さっきまでの余裕の笑顔も消して、顔を引き攣らせている。
「聞きたいことがあると言ったでしょ?」
美月の冷たい声に反応して、先輩の彼氏は恐ろしいものを見る目で、美月に視線をうつした。
「は?え?なに?」
「貴方は大泉先輩と付き合っているのでしょ?」
「あ、あぁ。」
「何故彼女を泣かせるのかしら?彼女は守るものでは無いの?何故女の子に優しく出来ないの?」
「え?いや、や、優しくしてるって…」
パァァン!
静かになった店内に、大きな音が響き渡る。
「いっ、っ…!」
先輩の彼氏は、美月に叩かれた頬を抑える。
「違うわね。ちゃんと答えを言いなさい。」
「…ってぇなあ!」
パァァァン!!
痛みによって怒りに火がついたのか、殴り返そうと拳を振り上げた先輩の彼氏の頬に、再び美月のビンタが炸裂した。
丁度顎の辺りを叩いたようで、先輩の彼氏は膝から崩れ落ちる。
それでも意識は失っていなくて、美月の前で、まるで正座をするように座り込み、先程着いた怒りの火も鎮火して美月を見上げた。
「違うわね。」
「あ、…あの、これからは、ちゃんと…」
パァァァァン!!!
「違うわね。」
「す、すみませんでし…」
パァァァァァン!!!!
「違うわね。」
「お、お金払います。契約金が…」
パァァァァァァァン!!!!!
「違うわね。」
「うっ…ぐすっ…ど、どうすれ…」
パァァァァァァァァン!!!!!!
「違うわね。」
どれくらい時間が経っただろう。
先輩の彼氏が何か言う度、美月はその頬を張る。
美月は多分自分の中で答えがあって、それを言うまで続くんじゃないかな?
ふと隣を見ると、先輩は口元を緩ませ、泣きながら笑っていた。
プライドの高い先輩の溜飲が少しは下がったのかもしれない。
「違うわね。」
「ぐっ…ううぅ…っ、お、俺が…クズだからです。」
涙と唇を切ったことによって流れ出る血をした垂らせ、誰なのか判別出来ないほど腫れ上がった顔をした先輩の彼氏がそう言うと、美月は大きく頷いた。
「そうね。貴方がクズだから出来ないのよ?女の子とお付き合いなんて、貴方には100年早かったわね?」
「は、はぃ…」
用は済んだとばかりにこちらを振り返ると、先輩の彼氏は土下座のような格好で床に突っ伏し、気を失った。
「ねぇ先輩、男なんて私の父さん以外こんなものよ?今度はまともな人を選んだ方がいいと思うわ?」
美月が笑顔でそう言うと、先輩も小さく笑った。
「えぇ、そうね。そうする。…ありがとう、山口さん。」
私達は揃って店を後にする。
もう一つ、やる事があったから。
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