第299話 依頼

 リューリック商会は老舗の大商会だ。数百年の歴史を誇り、この地域における食材の取引を実質的に支配している。

 広大な農地と莫大な利権を持ち、農業組合をはじめとした多くの組織を傘下に収めている正真正銘の巨大組織。


 都市の舵取かじとりを担う四商会の一角でもあり、その影響力はオレからは想像もできないほど。

 そんな商会のトップとなれば、市井の人間からは雲の上にいるような存在だ。


 オレも色々と協力しているとはいえ、リューリック商会の取引相手としては小規模も小規模。吹けば飛ぶように軽い。

 進めている稲作事業でもリューリック商会に大部分を頼っている状況であり、どうやっても頭が上がらない相手だ。


 ――そういう訳で、『少しお話しをしましょう』というお誘いに対し、“ノー”という選択肢は存在しないのである。


 ということでリリーナさんに誘われ馬車の中。


「コーサクさん、春になると色んなことが起きるわね」


「そうですね。良いことも悪いことも起こります」


 冬を終え、温かくなったことで作物は育ち始める。だけどこの季節は同時に、寒さで大人しくしていた魔物たちが動き出す時期でもある。

 寝起きで腹を空かせた魔物が悪さをするのも、この世界ではある意味春の風物詩。食糧を多く扱うリューリック商会は毎年対策に追われていることだろう。


 と、挨拶がてらに短い雑談を交わしたところで、オレは座り心地の悪さに少しだけ腰を動かした。


 街中を進むために造られた馬車は通常より小さく、車内は狭い。とはいえ、隅々まで気遣いの行き届いた車体は揺れもほとんどなく、座席に敷かれたクッションは体が沈み込みそうなほどふかふかだ。

 長時間乗っていてもきっと疲労は最小限だろう。


 うん。座り心地が悪い、というのは間違いだな。悪いのは“座り心地”ではなく“居心地”と言うべきか。この馬車はオレにとっては高級すぎる。


 車体そのものを含め、目に見えるものは全て最高級の逸品。

 オレが腰掛ける座席の背中部分には、薄暗い車内でさえ滑らかに光って見えるような紅色の生地が張られている。

 外回りをしてきたオレには背中が付けづらい。


 馬車に乗った直後から背もたれに寄りかからず、ずっと背筋を伸ばした状態だ。きっと、リリーナさんからは非常に良い姿勢に見えていることだろう。


 金額面で言えばオレの改造馬車も引けを取らないとは思うけど……あっちは戦闘にも使う実用品で、こっちは美術品のような高級さだ。緊張感が違う。


 ついでに、乗っている主も。


 失礼にならない程度に目の前に座る人物を見る。


 巨大組織であるリューリック商会をまとめ上げる商会長。美貌の女傑、リリーナ・リューリック。


 初めて出会ってからもう何年経ったか。確か今年で19歳だったはず。少女と呼ばれる時期は終わり、今はその美しさを満開に咲かせている。

 本人の魔力量も相まって、至近で見ると圧力がすごい。いや、本当に。


 以前は『氷のような』と囁かれた美しい顔に、今は柔らかさが浮かんでいるのは本人の成長だろうか。

 若者の成長は速いなあ。


 まあ、オレがロゼと結婚して、リーゼが産まれてもう3歳になるんだから、リリーナさんが大人になるのも当然か。う~ん、光陰矢の如し。


「――お互いに時間に追われる身でしょうし、本題に入りましょうか」


「ええ」


 綺麗すぎる微笑みに背筋を伸ばす。

 ここ数年でオレは人に指示を出すような立場になった。その結果、理解したことが一つある。


 それは、リリーナさんが桁違いに優秀だということだ。


 昔も理解していたつもりだったが、それはやっぱり「つもり」でしかなかったらしい。より深く商売に関わるようになって、ようやくヤバさを実感した。


 組織を回すというのは非常に大変なことだ。それを自由貿易都市トップの規模で、さらに10代という若さで背負えてしまうリリーナさんは、一種の怪物に他ならない。


 吹けば飛ぶような魔道具職人けん農場経営者のオレとしては、リリーナさんとの交渉事は常に全力だ。気を抜くような余裕はない。


「コーサクさんに、ひとつお願いしたいことがあるの」


 穏やかな声色だったが、自然と警戒度が上った。

 この時期に、大商会のトップからの直接のお願い。十中八九面倒事だろう。リリーナさんは必要とあれば平気で無茶難題を押し付けてくる人だ。


 驚きが顔に出ないように、意識して表情を固めておく。


「どういった内容でしょうか」


「いま起こっている出来事に関係するものよ」


 何かに反応している魔物たち。正体不明の異変。

 リリーナさんは小首を傾げる。


「私の商会でも、魔物に関する報告が上がってきているわ。暴走と呼ぶには静かで、平常と呼ぶには騒がしい――不思議な現象ね」


「そうですね。今のところオレも、手掛かりすら掴めていません」


 今日の調査結果を共有する。認識を阻害されている可能性がある、と報告したとこで、リリーナさんは僅かに目を細めた。


「そう」


 短い相槌。ポーカーフェイスな瞳の奥でどれほど思考を巡らせているのか、オレには読み取れない。


 ほんの数秒の沈黙の後、リリーナさんは再び視線の焦点をオレに合わせた。


「今、私たちは冒険者ギルドと協力してこの異変の影響範囲を調べているわ」


 私たち、というのは商人のことだろう。遠方の出来事ひとつで利益と損害が出る商人たちは、誰よりも情報に敏感だ。

 そして異変の範囲を調査中、か。


「脚の速い船便からの報告では、都市から離れた地域では異変が起きていないそうよ。大陸を覆うような何か・・ではないようね」


「それは……少しは安心できる情報ですね」


 世界規模ではないのなら、仮にこの異変が進行した場合でも避難という選択肢がある。

 ……あくまで選択肢なだけで、実行は難しいだろうけど。


 眉が寄るオレに構わず、リリーナさんは涼しげに言葉を重ねる。


「良い知らせでしょう。影響のある地域が限定的なら、中心部にこの異変の原因があるはずよ」


「確かに、その可能性は高いですね」


 音や光がそうであるように、魔力的な効果は中心地から広がるように影響をもたらしていく。

 異変が発生している範囲を地図にまとめることができれば、その中央には何かしらの痕跡があるだろう。

 やっぱり人海戦術は強いな。いくら魔力が読めても、個人ではやはり出来ることに限界がある。


 オレは頷いて、リリーナさんに依頼の内容を確認する。


「それじゃあ、オレへの“お願い”というのは、中心地が分かった後の調査ですか?」


 別にわざわざ馬車に呼ばなくとも、声をかけてくれたら進んで参加したけど。

 何となく抱いた違和感を証明するように、リリーナさんは緩やかに首を振った。横に。


「調査協力については都市運営からコーサクさんに依頼が届くわ。影響範囲の調査も、明日の昼頃までは時間が必要でしょう。私のお願いは別の件よ」


 都市運営の職員と、一部の商人と冒険者はたぶん徹夜だな。お疲れ様です。


 さて、それはそれとして、この異変の中で別件の依頼とはどんな面倒事だろうか。


「もっとも、今回の異変と無関係ではないのだけれど。――コーサクさんには、魔物を一体探して欲しいのよ」


「はあ……魔物を、ですか?」


 このタイミングで、あらゆる伝手を持つリューリック商会が、わざわざオレに魔物の捜索を依頼?


「ええ。実はこの異変の中で、飼育している魔物が一体逃げ出してしまったの」


 ……なるほど? ついさっきの伝書鳩と似たようなものか。

 リューリック商会は異変の調査で忙しいだろうし、オレは例え空だろうが『防壁』の魔道具で歩ける。特におかしくはない。


 ……ふむ。いつも世話になっている点や今後の付き合いから、この依頼を断る選択肢はないな。

 飼育されている魔物なら、そこまで危険でもないだろう。


「そういうことなら協力しますよ。どんな魔物ですか?」


「ありがとう。コーサクさんならそう言ってくれると思っていたわ。――“混じり草”という魔物なのだけど」


「ええ。了解しま――」


 気軽に頷きかけて、オレは脳内でリリーナさんが口にした名前を反芻した。


 “混じり草”。記憶にある。昔、お米を探すときに調べた魔物。その幼体を指す呼称だ。


 他の植物を取り込み。纏い。体の中で別種の植物を生み出す能力を持つ。生み出す植物には異形なものも多く、自らの身を守るために、鋼鉄のような外皮を持つ“実”を生むことすらある。


 この世界でも珍しいその魔物を直訳した名前は――植物プラントキメラ。


「……そんなの飼ってたんですか……?」


「幼体は大人しくて、植物の品種改良に便利なのよ?」


 リリーナさんは微笑を浮かべて小首を傾げた。そこらの男なら一発で骨抜きにされそうな仕草だ。


 いや、そんなことより――え、魔物使って品種改良しての!? マジかよリューリック商会!!


 驚愕である。いや、本当に。前々からリューリック商会は質の良い作物を取り扱ってるなー、なんて思ってたけど、まさかプラントキメラすら利用しているとは。


 商人恐るべし。


「本来なら、簡単な囲いさえ用意していれば逃げ出さないのだけど、この異変に影響されて活発に動き出したようなの。気が付いたときには姿を消していたわ」


 恥ずかしい限りね。と、リリーナさん目を伏せた。リリーナさんが直接世話をしているはずもないが、失敗の責任は商会長として背負うらしい。


 リリーナさんは上目遣いにオレを見る。


「人を傷付けるような力はないから、捕まえるだけなら誰でもできるわ。……でも、動きを止めた“混じり草”は普通の植物と見分けがつかないの。だけど、コーサクさんなら探しものは得意でしょう? ――請けてくださらない?」


「ええ、まあ、いいですけど……」


 魔力が分かるオレなら、他の植物とならんだ“混じり草”でも判別は可能だ。ついでにタローも連れて行けば完璧だろう。


 ……問題があるとすれば、オレの魔力察知をリリーナさんに教えたことがない、という点か。

 情報を尊ぶ商人ゆえに、これまで突っ込まれたことはないのだが……付き合いも長いし、行動からバレたかなあ。さらっと言ってくるからリリーナさんは怖いんだよなあ。


 ていうかこれ、オレに頼むのって、大事おおごとにしないためでもあるよなあ。秘密裡にオレに仕事させて、商会の不祥事はもみ消すつもりだよこれ。


「――コーサクさんが“混じり草”を無事に連れ戻してくれたら、御礼としてこれから品種改良に使わせてあげてもいいわよ?」


「ぜひやらせてください。今すぐ探してきます」


 一瞬も迷うことなく答えた。いや、やっぱあれだよ。組織は綺麗事だけじゃ回せないよね。時には柔軟さも必要だと思う。


 うん……もっと背が低くて丈夫な稲が作りたいんです……。


「ふふ。よろしくね。コーサクさん」


「ええ。喜んで」


 似たような笑みを浮かべて、オレとリリーナさんの契約は完了した。



 ――ちなみに、上目遣いならウチのリーゼの方が可愛いと思う。

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