第300話 蜜蜂を追い

 例え大きな問題が見えているとしても、小さな問題を放置するわけにはいかないのが世の中というもので。


「さて、まずはタローを呼びに行くか」


 リリーナさんの馬車から降りたオレは、今日も賑やかな町中で呟いた。


 逃げ出した“混じり草”を探して欲しいという依頼。その原因であろう正体不明の事象は今も続いている訳だが、今のところオレに出来ることはない。


 影響範囲を示した地図が完成するのも明日。焦ったところでどうしようもなく、今は空いた時間を有効活用するのみだ。


「魔物を使った品種改良……。そう簡単に狙った通りにいかないとしても、かなり時間を節約できるはず。――よし、さっさと探そう」


 軽い足取りで道を進む。


 本来、植物の品種改良というのは地道で時間がかかるものだ。良い特徴を持つものを選び出して交配させる、ということを延々と繰り返していくしかない。

 ウチでは自称元植物学者のエイドルが嬉々として行っているが、そう簡単に結果が出るものでもなく、満足できる品種ができるまでに年単位の月日は覚悟している。


 目指す先は遠く、欲しいものは多い。


 単純に収穫量の多い稲も作りたいし、味に特化した高級品種も作りたい。ここより環境の悪い地域でも育つ丈夫な稲も欲しい。

 全てが高水準の特別な品種がつくれたら最高だろう。


 ……10年で済めば安いものだと考えていたけれど、それがショートカットできるなら、


「手を伸ばさない理由はない、ね」


 すれ違う人から奇異の目で見られた。いつの間にか笑っていたらしい。まだ“混じり草”の影すら捉えておらず、完全に捕らぬ狸のなんとやら、という状況だが、それが気にならないくらいにはワクワクしていた。


 楽しみだ。美味しいお米が誰でも手軽に食べられるようになったら、この世界ではどんな料理が生まれるだろうか。オレには思いつかないような、予想外で美味しい料理が生まれると嬉しいな。





 鼻歌混じりに歩くうちに、目的地が近づいて来た。お馴染みのグラスト商会の孤児院だ。


 今日はロゼが冒険者ギルドで仕事のため、リーゼは孤児院で見てもらっている。タローとアナももちろん一緒だ。

 タローだけを連れ出すのは中々骨が折れそうだが、なんとかするしかないだろう。


 さっと入って、速やかにアリシアさんに事情を説明し、他の子たちの注意を惹かないうちにさっとタローを連れてくる。

 場合によっては非常食として持ち歩いているクッキーを放出するのも止むなしだ。


「オレの身代わりとして足りるかな、と」


 腰に巻いたポーチの中を探る。クッキーの他に、貝柱の干物、干した蛸足、白身魚とチーズを練り込んだ携帯食料などが入っている。


 海のものに偏っているのは、海産加工品の知名度を上げるためだ。売上アップを目指し、行く先々で知り合いに配っている最中なのである。

 まあ、これだけあれば子供たちの注意も逸らせるだろう。


 全力で動き回るチビッ子たちの体力は無尽蔵かと思うほどで、一度捕まってしまったらそう簡単には放してくれない。

 今は時間がないので、相手をするのはまた今度だ。代わりにおやつで我慢して欲しい。


「さてと、この位置だと、そろそろタローが気付くかな――って、うん?」


 立ち止まる。斜め前方、道沿いにある空き地に茂った背の高い雑草が、ガサリと音を立てて揺れた。


 なんだ? と思うと同時に、草むらから小さな影が飛び出して来た。良く日焼けした、活発そうな幼い男の子だった。というか見知った顔だ。


 真ん丸な眼と視線が合う。


「リーゼの父ちゃんじゃん! なにやってんの? 仕事は?」


「ある意味仕事の最中だよ。こんにちは、ビィ。そっちこそ、そんな草むらで何してたの?」


 ビィ。孤児院の中では新参の子だ。確か、今年で6歳だったか。本名はビーシェド、らしい。


 らしい、と言うのは、孤児院に来た当初のビィは幼く、普段から愛称で呼ばれていたこともあって、自分の名前があやふやだったからだ。

 ビーシェッドやビーシュドだった可能性もあるが、今はビーシェドという名に落ち着いている。


 とはいえ今はそんな過去も気にせず、立派にやんちゃ盛りのいたずらっ子だ。無類の虫好きで、色々な虫を捕まえて来てはイルシアに叱られている。

 今日の夕方あたりには、帰ってきたリックにタンスに隠した虫たちを逃がされることだろう。


 その光景を想像して、虫嫌いな子が泣きそうだなあ、と思っていると、ビィがはっとした表情になった。


「そうだった! じゃあなリーゼの父ちゃん! おれ急ぐんだ!」


 何かを思い出したように、ビィが急いでオレの横を通り過ぎようとする。


 とりあえず、一歩ずれてビィの進路を塞いだ。


「なんだよ、急いでるって言ったじゃん!」


「一人で出歩くのはダメなはずだろ?」


 屈んで視線を合わせる。


 この都市は治安が良い方だ。それでも犯罪がないわけではない。実際に子供の誘拐事件は起こったことがある。

 それに荷揚げの労働者の中には酔って乱暴になる者もいるし、たまにどこかの商人が馬車を危険な速度で走らせていることもある。


 子供たちにとっての危険はそこかしこに転がっているものだ。だから孤児院では、子供たちにそれを教え、遠くまで遊びに行かないように、そして一人では出歩かないように注意している。


 だが、今のビィはどう見ても一人だ。というか、ビィが飛び出して来た草むらは、孤児院の裏手から隠れて抜け出した場合の通り道に当たるはず。

 つまり、みんなには黙って出てきた疑惑が濃厚。


「ビィ、どこに何しに行くのかな。アリシアさんには出掛けてくるって言った?」


 オレの問いに、ビィはやましいところがあるのか、うっ、と息を詰まらせた。


「言ってない。言ってない、けど……ほんとに急いでるんだよ! ああ、ほら! もう見えなくなる!」


 ビィはオレの背後を見つめて焦った声を上げた。何があるのかと振り返ってみるが、オレの後ろにはいつもと変わらない町並みが広がっているだけだった。うん? 何が見えなくなるんだろう。


「ハチだよハチ! ミツバチ!」


 ビィが懸命に指をさす。小さな指の方角を追い掛けて目を凝らすと、確かに、空中に小さな点が見えた。

 魔力で目を強化すれば、それが蜜蜂であることが分かる。今この瞬間も、小さな羽を震わしてオレたちから遠ざかっていた。


「蜂蜜でも狙ってるの?」


 蜜蜂を追いかけることに成功すれば、蜂蜜を貯めた巣へと辿り着くことができる。

 オレも昔どこかの森でやったことがあるが、想像した数倍は大変だった記憶がある。


 蜜蜂を追う理由なんて、蜂蜜以外にはないだろう。ついでに、いくら蜜蜂とは言えビィ一人では危ない。

 そんな気持ちと共にビィを見つめたが、


「ちがーう! あいつらの巣はうちの物置のうら! はちみつはたまにもらってる!」


 新情報。アリシアさんたちは知っているだろうか。今はリーゼより幼い子がいないけど、乳児に蜂蜜は厳禁だから伝えておかないと。

 孤児院の子が善意であげたりしたら不味い。


 それにしても、蜂蜜以外でミツバチを追う理由とは?


 オレの疑問に、行く手を塞がれたビィは早口で答えてくれた。


「今日の朝からあいつらが何匹も同じむきに飛んでいったんだよ! きっとどこかにでっかい花があるんだ! おれ聞いたことある! おとなの背よりでっかい花の話! きっとそれだよ!」


 ビィはぴょんぴょんと飛び跳ね、オレとミツバチの視線を行き来させている。今すぐにでも走り出したい、という表情だ。


 実に子供らしい無邪気な好奇心。だけどそれを微笑ましいと思う余裕もなく、オレはビィの言葉を頭の中で反芻していた。


 同じ方角に飛んでいった蜜蜂。虫好きなビィが言うなら通常とは違う動き。今日の朝。

 ――“混じり草”が消えたのは?


 瞬時に思考を回す。


 リリーナさんが“混じり草”の捜索をオレに依頼した理由の一つは、“混じり草”が持つ擬態能力のためだ。


 魔核や余計な部分は地面の下に隠し、近くの植物に完全に紛れてしまうらしい。その道のプロでも外見から見分けるのは困難なほどそっくりなのだとか。

 たぶん、天敵である草食の魔物に食べられないための能力だと思う。


 だけど植物にとって、ある種の虫は共生の相手だ。全ての虫まで欺く理由はないだろう。

 そして、“混じり草”が今、なにかの花に擬態していたとしたら? 魔力を豊富に含んだ花粉に、蜜蜂が釣られていたとしたら――


 焦れた顔のビィを見る。


「ビィ、オレが一緒に行ってあげよう」


「ほんと!?」


 ビィは驚きに目を見開き、それから輝くような笑顔を浮かべた。


「それじゃあついて来て!」


 走り出すビィを追い掛ける。


 結局、孤児院の誰にも言付けしていないので、帰ってきたらアリシアさんにお小言をもらいそうな気がする。まあ、そのときは素直に叱られよう。


 もちろん2人で。





 ビィが言っていた大人より大きな花、というのは実際に存在する。

 とある魔境に咲く花で、食虫植物ならぬ食魔物植物だ。語呂がすごく悪いな……。


 蜂蜜よりも甘い匂いを発して魔物を誘きよせるのだが、その甘い匂いには実は毒が含まれており、美味しい食べ物を求めて近寄った魔物は不幸にも永遠に意識を失って花の養分になる。


 甘い匂いがしたら引き返せ、というのがその魔境に入るときにもらえる忠告だ。

 まあ、風向きによっては匂いを感じた時点でアウトだったりもする。そんな魔境の名に相応しい花である。


 で、もちろん。ビィの想像とは違い、蜜蜂が集っていたのは危険な毒花ではなかった。


 都市の一角。空き家になっている家屋の裏庭でオレとビィが見つけたのは、雑草に侵食された花壇と、前の住民が残していったと思われる野生化した数種類の花々だ。


 春に咲く花たちが、誰にも見えない地でひっそりと風に揺れていた。


「ふつーの花じゃん……」


 ビィはがっかりしたように肩を落とした。きっと、何かとてつもない発見があると思っていたのだろう。


 その様子に笑いながら、オレはひとつの花へと近づいた。淡い紫のグラデーションを描く花。花弁の大きさは控え目だが、その飾らなさが好ましいと思う。


 蜜蜂たちにも、とても好かれているようだ。


 地面に膝を付き、目を閉じる。魔力へと集中。弱いながらも、普通の植物ではありえない魔力を感じた。


「よし、当たり。開け『工具箱:短剣』」


 魔力で出来た短剣を手に取ると、目の前の花が風もないのに揺れた気がした。


「なにやってんのー?」


「まあ、ちょっと待ってなよ」


 不思議そうなビィに言い、オレは花の根本を手で押さえた。慎重に地面を掘っていく。


 軽く掘っただけでも、根の規模が普通とは違うことが分かる。いや、根じゃない。魔核を内包する“混じり草”の本体というべき植物の塊が、そっくり地面の下に埋まっていた。


 光を感じてか、絡まった蔦がウゾウゾと触手のように蠢いた。


「うわあっ、なにそれ!?」


 後ろでビィが驚きの声をあげた。構わずに、オレは魔力アームも併用して“混じり草”を地面から引き揚げる。


 地上に姿を現した“混じり草”は、色々な植物の特徴が混じった植物キメラに相応しい見た目だった。

 オレが余裕で抱えられるサイズ。大人しいというのは本当のようで、警戒したように身を丸めるだけだ。


 擬態のために作られた花は、するすると体の内側へ引っ込められていく。もう意味がないことを感じ取ったらしい。


「ふむ……」


 不思議なその姿を観察する。意外に早く終わったな。こんな簡単に“混じり草”の使用権を分けてもらうのは少し悪いような気も……いや、そうでもないか。


 この通り、根を掘り返せば“混じり草”の擬態を見破るのは簡単だ。とはいっても、都市中の雑草を掘り返すなんて真似はやっていられない。

 リューリック商会が多くの人員を抱えているとはいえ、人手も金も時間も無駄すぎる。


 かなりの秘密事項だと思われる“混じり草”の利用権を報酬にしても、オレに依頼した方が安上がりだったのは確かだろう。

 まあ、今回はビィのおかげで、魔力察知もほとんど使う必要もなかったけど。


 貴重な手札を切ったリリーナさんには申し訳ないが、今回はオレの運が良かったと思ってもらおう。


「……うん? でもこれ、最終的にリューリック商会が利益を回収してないかな?」


 オレはお米を育てているが、自分の販路などは持っていない。収穫したお米はリューリック商会に売っている。

 オレの農場で育てるお米の品質が上がり、販売量が増えるほどリューリック商会も儲かる訳で……、


「おお……さすが、ただじゃ起きないな。リリーナさん」


「なあリーゼの父ちゃん、ぶつぶつ言ってないで、それのこと教えてよ」


 ビィの声の意識を戻す。


「ああ、これね。見ての通り魔物なんだ。今日はこいつを探すのを頼まれてさ」


「魔物! 草の魔物なんてはじめて見た!」


 純粋な反応が微笑ましい。


「これは子供だけど、大きいのだと家くらいのやつもいるんだ。他の草や木を取り込んで、自分の武器にするすごく珍しい魔物だよ」


「すげー!」


 目を輝かせるビィ。オレはその反応に笑いながら、取り出した麻袋に少量の土を敷き、“混じり草”を入れた。

 あとはリューリック商会に届けた依頼達成だ。


 ビィに向き直る。


「ちなみに今言ったことは他の人には内緒。ここだけの秘密な」


「――うん!」


 ビィは興奮した顔で頷いた。蜜蜂を追い、いつもの街並みの片隅で珍しい魔物を見つけた。立派な大冒険だろう。


 秘密にすることも素直に了承してくれたし、オレに言うことはない。


 ――オレの鞄からクッキーが減っている理由は、きっと誰も知り得ないだろう。

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