第296話 萌える春

 麗らかな春の午後、オレは家の裏庭にいた。


 日陰に置いた屋外用のウッドチェアに体を預け、手には紙の束。傍らの低い机には、同じような紙が山のように積まれている。

 紙の山の上には、重り代わりに使っている狼の彫り物がひとつ。


 紙から顔を上げれば、それなりに広い我が家の庭が目に入る。伸び始めた草木は柔らかに風に揺れていて、とても長閑な風景だ。


 ……まあ多少、無秩序に見えるけれど。


 半分魔物化しかけている梅の木が大きく存在を主張していたり――、

 まだまだ実を付けない若い栗の木が片隅で大人しく立っていたり――、

 オレが育てているハーブ類が雑草と同じ勢いで伸びていたり――、

 ロゼが趣味で植えた花が色鮮やかな春の花を咲かせていたり、と我が家の庭は意外と賑やかだ。


 そんな庭の中で、楽しそうに走り回る姿が2つ。娘のリーゼと白狼のアナだ。幼い両者は体を動かすだけで楽しいようで、飽きずにお互いだけに分かる遊びを続けている。


 今は追いかけっこのようで、リーゼが明るい笑い声を上げながらアナの白い尾を追っていた。


「平和だなあ」


 呟いて、紙の束に目を戻す。山積みの紙は全て報告書の類だ。


 お米関係のものから、委託している魔道具の売れ行き、オレが関わっている食材の取引量や金額、冒険者ギルドに依頼している植物の調査報告など様々。


 こっちは所々平和じゃない。まあ、新しい事業を始めれば問題が発生するのは当然だ。周りと協力しつつ、改善策を練ろうと思う。


 ちなみに個人的に一番残念だったのは、冒険者ギルドからの『たけのこという植物は発見できませんでした』という知らせ。


 春だし久しぶりにタケノコが食べたいなあ、と少し前に考えて依頼したのだが、どうやら近くには生えていないらしい。もちろん食材として流通してもいなかった。

 というか思い返してみれば、この世界で“竹”を見かけた記憶もない。お米や他の植物はあるのだから、竹もあって良さそうな気がするが……この世界の植生は謎だ。


 まあそもそもの話をすれば、なんで地球のものに似た植物が存在するのか、という不思議がある訳だけど。

 ついでに地球人のオレと子供が作れる人類がいる、という点の疑問も解決していない。


 なんだろうか。遠い昔に分かれたパラレルワールドだったりするんだろうか。

 でもその割には星座とか丸っきり違うんだよなあ……どう見ても天の川銀河じゃないし。

 ここら辺は未だによく分からない謎だ。


 地球もこの星も両方、火星人によるテラフォーミングだったりするんだろうか。なんてSFじみた妄想まで飛躍したところで――向かって来る小さな足音に気がついた。


「パパー!」


 笑顔のリーゼが駆け寄ってくる。オレは報告書の束を置いた。


「パパ、これあげる!」


 どうした、と問いかける暇もなく、リーゼは元気よくオレの膝にとりつき、小さな手を差し出してきた。

 何か握っているようだ。綺麗な石でも見つけたのだろうか。


「ありがとう。なんだろう」


 笑顔で手のひらを出すと、リーゼはオレ以上に満面の笑みを浮かべて指を開いた。


 ポトリと何かが手のひらに落ちる。軽い。小石に比べてもあまりに軽い何か。――正体は小さなバッタ・・・だった。


 草に隠れるための緑の体。目立つ後ろ脚。感情のない複眼と目が合う。


 いらねえ……。これはいらねえよ、リーゼぇ……。バッタは稲を齧ったりするから、オレの敵だよ。


「…………よく捕まえたね」


 なんと言うべきか悩んだ末に、ようやくそう口にした。ごめんリーゼ、お父さんには心構えができてなかった。


 反省だ。修行が足りなかった。でも、可愛い一人娘がバッタをくれたときには、何と答えるのが正解なのだろうか。

 機会があったら誰か教えて欲しい。求むベストアンサー。


「ぴょん! ってつかまえたの!」


 捕まえたときの腕の動きを再現するリーゼ。

 バッタの捕獲に似合った擬音かはともかく、笑顔のリーゼは可愛らしい。


 ――とはいえ掴まったバッタには人の笑顔など何の関係もなく、軽いひと跳びで草の合間へと帰って行った。


「あ~! にげた! ママにもみせようとおもったのに!」


 ママも虫は喜ばないと思うなあ……。


「も~パパ、ちゃんとつかんでないとダメだよ」


 おっと、怒られてしまったぜ。


「ごめんごめん。でも、虫だって広い場所にいた方が嬉しいとパパは思うよ。リーゼも狭いところに閉じ困られるのは嫌だろう?」


「ん~……いや」


 自分に置き換えて、リーゼは唇を尖らせる。


 オレは笑ってリーゼを膝に乗せた。汗に濡れた髪を拭いてあげながら、他愛もない会話をする。


「リーゼは虫取りが上手くなったね」


 少なくとも去年の秋頃には、跳ね回る虫に追い付くような俊敏さはなかったと思う。


「ミルにおそわったの! むしがこわがらないようにうしろからちかづくんだよ! でもとんでるむしをつかまえるのはミルよりビィがとくいなの! タローのてよりはやいんだよ! へやのたんすでつかえまえたむしをそだててるんだって」


 舌足らずの口がご機嫌に動く。話題はオレを置き去りにするように飛び跳ねる。


 もうすぐ3歳になるリーゼは前にも増して喋るようになった。オレはあまり口を挟まず、一生懸命なリーゼに相槌を打つ。


 小さな唇が作る言葉の数も、乗せた膝から感じる重さも、女の子らしさを感じるようになったつややかな髪も、リーゼの成長を表している。


 変化に時間がかかるようになったオレと比べて、リーゼの成長はあっという間だ。

 こうして膝に乗せられるのは、実はすごい短い間なのかもしれないと、何となく思った。


「……それでいいけどね」


「?」


 不思議そうに見上げてくるリーゼを軽く抱き締める。


 大人の気持ちなんて気にせず、すくすくと育ってしまえばいいと思う。父親なんて置いてけぼりにするくらいで、きっとちょうどいいのだ。





 リーゼとアナにたまに水を飲ませたり、おやつをあげたりと、そうしていれば時間はすぐに過ぎた。


 空は夕方というにはまだ早い色。リーゼとボールで遊んでいたアナが、ピクリと何かに反応し、嬉しそうに「ヒャンッ」と吠えた。


 リーゼの顔が輝く。


「パパー! ママとタローがかえってきたって!」


 以心伝心。リーゼにはアナの言葉が分かるらしい。すごい。いや、本当にすごいと思う。オレでもタローの伝えたいことは何となくでしか分からないぞ?


 実際、魔力に集中してみれば、ロゼとタローは家の近くまで来ていた。


 玄関に向けて走り出すリーゼとアナ。オレは2名を後ろから追いかける。

 ちなみに、ロゼとタローが出掛けていたのは仕事のためだ。


 リーゼが成長してロゼは一時期冒険者へと復帰したのだが、ギルドからの勧誘により、少し前に非常勤のギルド職員となった。


 主な仕事は魔物がいる区域の調査や巡回だ。冒険者の活動範囲ではあるが、儲けが少ない地域などは赴く冒険者も少なかったり、詳細な報告ができる経験を持つ者がいなかったりする。

 そのため、定期的に冒険者ギルドの職員が現地の確認を行うのだ。


 ロゼはその生い立ちから事務仕事もできるのだが、やはり適性は戦闘行動に特化しているし、本人も体を動かすことを好む。


 ロゼの強さであれば龍でも出て来ない限り魔物からは逃亡できるし、タローも一緒であればまず先制されることはない。


 もちろん心配ではあるので、本当に危ない地域に向かう際には事前に言ってもらうようにしているし、できる限りの魔道具を持たせている。


 たぶん、そこら辺の商会の金庫を襲うより、ロゼの装備を奪った方が高いと思う。できたらだけど。オレには無理だ。そもそもロゼはオレより魔力多いし。


 帰ってきたロゼの魔力に消耗はほとんどなかった。今日も無事に終わったんだろう。


 玄関前に到着する。ロゼとタローもちょうど帰ってきた。


「ママおかえりー!」


 リーゼが革鎧姿のロゼに抱き着く。


「ただいま、リーゼ。こら、服が汚れてしまうだろう――いや、既に泥だらけのようだな」


「ずっと庭でアナと遊んでたからね。おかえりロゼ。タローもお疲れさま」


「うむ、ただいま。それなら納得だ」


 汚れているならもう仕方ないだろう、とロゼはリーゼを抱き上げた。


「リーゼ、今日もいっぱい遊んだ?」


「うん、あそんだ!」


 ロゼは満足そうに頷いてリーゼを下ろした。リーゼは同じようにタローに抱き着く。


「おかえりタロー!」


 低く喉を鳴らして応えるタロー。その姿は堂々としたものだ。というか最近さらに成長したのでデカい。白い毛にリーゼが半分埋まっている。


 まだ小さなアナは楽しそうにタローの周りを跳ねていた。

 これで2頭とも成長し切ったら、我が家のエンゲル係数はすごいことになりそうだ。今でもけっこう高いのに。


 未来予想に苦笑しつつ、ロゼに声をかける。


「まずは装備を外そうか。手伝うよ」


「ありがとう。助かる」


 再び庭に向かう。ロゼが身に着けている革鎧は軽いものだが、鎧は鎧だ。ロゼ一人でも着脱はできるが、手伝ってもらう方が当然楽だ。


「今日はどうだった?」


 ロゼの背中側。革の紐を緩めながら聞いてみる。


「うむ、それが……差し迫った危険はなさそうなのだが、魔物の動きがおかしいのだ」


 思わず手を止めた。


「……まさか特級の魔物が活動してるとか?」


 身の危険を感じた魔物は自身の縄張りから逃亡する。そしてそれは、より強い魔物が原因である場合が多い。どんな生き物だって、食べられるのは嫌だ。


 また、特級の活動を完全に予測することは不可能に近い。特級の魔物が棲むのは魔境の奥深く。人には濃過ぎる魔力に覆われた場所だ。

 調査をするにしてもレックス位に魔力があるか、それこそオレのように魔力の影響を受けない人間でなければ向かうことすらできない。


 最悪の事態を想定したオレだが、ロゼの反応は違った。


「いや、どうにも特級の魔物が原因ではないようなのだ。反応がこれまでの記録とは異なっている。――範囲も、だ。特級の魔物が原因であれば、その方角に近い魔物が恐慌するだけだが、今回は都市内部の魔物も反応しているらしい」


「それは――」


 めちゃくちゃ強い魔物が現れたのでは――と思ったが、それは違うか。都市内の魔物と言えば馬車を牽く魔物だったり、伝書鳩的な役割をする鳥類がいるが、その魔物たちすら怖がるようなら、オレにだって魔力で分かるはず。

 というかそこまでヤバいなら、近くにいる魔物はもう逃げ惑って、都市周辺は大騒動だろう。


 ……そういえば、今日読んだ報告書でも、農家で飼ってる魔物が変わった行動をしている、とか載っていたな。もしやあれもか。


「――なんでだろう?」


「私にも分からない。タローにも原因は分からないらしい」


 揃ってタローを見る。


「タロー。強い魔物はいる?」


 いない、というようにタローは首を振る。さすが我が家の白狼。賢い。


「原因がどっちにあるかは分かる?」


 重ねた問いに、タローは悲しそうに唸るだけだった。分からないらしい。


「こういう状況なのだ。冒険者ギルドでも困っているのだが――コウは何か感じるか?」


「う~ん、特に何も? でも都市の中だとあまり集中できないからなあ」


 魔力察知の能力は便利だが、人や魔道具、魔物が多い場所ではオレが情報を処理しきれない。

 都市の外に出て集中すれば分かるだろうか。


「オレも気になるし、時間があるときに都市の外で探ってみるよ」


「頼んだ。……何事もなければ良いのだが」


 ロゼは、アナと戯れるリーゼを見ながら呟いた。


 何事もなければいい。その通りだ。

 それでも何となく、オレの経験はトラブルの予感を告げていた。

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