第292話 居場所

 景色が飛ぶように流れていく。その様子を視界の隅で捉えながら、オレは前方に伸びる土の道に意識を集中していた。


 今はディシールド領への帰り道。改造馬車の車体に当たった風が、すぐ近くでごうごうと音を立てている。


 出ているスピードはシェルブルス領への往路より数割増しだ。行きとは違い魔力を温存しなくてよいという理由もあるが、なによりもオレは早く戻りたかった。


 ここ数日は我慢していたけれど、やっぱり可愛い盛りの娘から離れるのは寂しい。

 それに、義父母の下で危険がある可能性は低いとしても、様子が分からないというのはやっぱり不安だ。この世界には長距離で連絡を取り合う手段がないのだから。


 少しでも早く、無事な家族の顔が見たい。


 逸る気持ちを抑えつつ、安全に運転できる範囲でアクセルを踏み込む。車体の後方は土埃で何も見えない。

 人通りの少ない道で良かった。きっと外から見たら、爆走と言う表現が相応しい状態だろう。


 騒がしいタイヤの音や風音に対し、車内は静かだ。

 というか、少し気まずいような空気に満ちている。原因はどう考えてもデリスさんとジュリアだ。

 2人とも互いの距離を測りかねているように見えた。


 デリスさんは領主となっても部下に親しい態度を取る人なのだが、ジュリアにはどこまで気安く接してよいのか迷っているようだ。

 ジュリアはジュリアで、慣れない礼儀作法を徹底しようとぎこちなくなっている。


 デリスさんの部下の方々はそんな2人の様子を気にしつつ、これから増える仕事のために色々と書き物をしていた。


 オレも運転に集中しているので無言だ。自分の車なのに少し居心地が悪い。

 これは、時間が解決してくれるのだろうか。





 沈黙が重い復路の終わりが見えた。ディシールド領内に入り、領主の館まであと少し。


 ジュリアはあちらこちらに視線を動かしている。好奇心、というよりは不安を誤魔化すような動きだ。

 屋敷に着いたら色々な人に挨拶しなくてはいけないので、それは緊張するだろうと思う。気分は配属初日の新入社員だろうか。

 ……いや、父親がやらかしている上に、ジュリアの行動は故郷の発展にも影響する。もっとプレッシャーがあるか。


 なんとか、あまり背負い込み過ぎずに頑張って欲しいと思う。


 ジュリアの頑張りを祈っている間に屋敷の敷地内に入った。

 さすがに速度を落として徐行する。前方に屋敷の正面玄関が小さく見える。


 さて、この距離ならそろそろタローが気付くと思うんだけど。


 と、思うと同時に玄関の扉が開いた。飛び出てくる小さな白い狼と、同じく小さな人影。その後に大きな白狼と姿勢の良い女性が続いた。


 視力を魔力で強化する。自然と笑みが浮かんだ。

 うん、みんな元気そうだ。



 屋敷の前に馬車を停める。


 降りるとすぐにリーゼが走り寄って来た。


「パパおかえり~!」


「ただいま~!」


 上手く受け止めてそのまま抱き上げる。相変わらずの健康的なぷにぷに感。腕の間にすっぽりと小さな体が収まる。ジャストフィット。

 ついくすぐりたくなる。


 楽しそうに身をよじるリーゼから視線を外し、ロゼへと向き直った。


「ただいま」


「おかえりなさい。何事もなく仕事を終えたようで何よりだ」


 ロゼは安心したように微笑んでいる。……『何事もなかった』かは微妙なところな気がするな。


 そう思ったオレの表情は読まれたらしい。


「む」


 ロゼの目が細まる。『また何か無茶をしたのか』という視線だ。

 大丈夫。無茶はしていない。ただ仕事をたくさん増やしただけ。うん。……さて、どうやって言い訳をしようか……。


 そこまで考えたところで、オレとロゼ、両方の視線が同時に逸れた。


 オレの目は玄関から出てきたデュークさんとロザリーさん、使用人の人たちに移り、ロゼの視線は馬車から降りてきたジュリアに移る。


「む、誰だ……?」


 ロゼが不思議そうに呟いた。他の人たちの視線もジュリアに集まる。

 ただ、前領主夫妻は驚きや疑問の表情を浮かべなかった。デュークさんは興味深そうに息子であるデリスさんに視線を送り、ロザリーさんは考えの読めない微笑みを浮かべてジュリアを見つめている。


 視線に晒されたジュリアは、口元をきつく結びながらも背筋をピンと伸ばした。

 デリスさんが前に出る。


「彼女はシェルブルス家の長女です。交渉の結果、我が領で行儀見習いをすることになりました。モリー、教育係を頼む」


「かしこまりました」


 異を挟む気配すら見せず、モリーさんは恭しく頭を下げた。

 デリスさんは頷き、ちらりとジュリアを見る。


「ジュリア・シェルブルスと申します。皆様、どうぞよろしくお願いいたします」


 挨拶はシンプルだが、とても綺麗な礼だった。ゆっくりと、ジュリアは緊張した顔を上げる。生来の負けん気の強さが浮かんでいた。

 ……思ったよりもちゃんとできるじゃん。


「ふふ」


 小さな笑い声の主はロザリーさんだ。笑みを深め、とても楽しそうな表情をしている。


「詳しい話はあとで聞くとして、服の用意から始めましょうか。モリー、この子に似合いそうなエプロンはあったからしら」


「ええ、奥様、良い心当たりがございます」


「それはよかったわ。さあ、いらっしゃい?」


 ロザリーさんが柔らかく手招きをする。ジュリアは一瞬迷うようにデリスさんを見た。デリスさんは許可するように頷く。


 オレの位置からは、ジュリアがぐっと体に力を入れる様子が見えた。


「はい、大奥様」


 歩き出す。その後ろ姿がロザリーさんと屋敷の中に消えたところで、オレは両肩から力を抜いた。


「……なんか疲れた」


 なんだかオレまで緊張してた。まあ、順調な滑り出しなんじゃなかろうか。


 安堵するオレの隣にロゼが並ぶ。


「ふむ……」


 至近距離から顔を見つめられる。


「……悪い結果にはならなかったようだな。ならばいい」


「顔見ただけで分かるの?」


「ふ、当然だ。私を何者だと思っている」


 ……。


「面倒事ばかり引き受けるオレの、優しくて綺麗な奥さん」


「ふふふ、少し褒めすぎだな」


 そう言いつつ嬉しそうだ。


「うむ、詳しい話は夜にでも聞くとして――疲れさま」


「うん、ありがとう。ただいま」


 2人で笑い合っていると、仲間外れだと感じたのか、腕の中のリーゼが抗議の声を上げてきた。


 離れていた日の分を埋めるように、リーゼからもここ数日の話を聞くことにする。

 腕の中で、可愛い娘は小さな大冒険を一生懸命に語り始めた。


 語彙の少ないリーゼを時折ロゼが助け、足元では活躍を誇るようにアナが走り回る。タローはいつものように優しい顔で座っている。


 帰って来たなあ、という気分だ。家までは遠いけれど、やはり家族がいる場所がオレの居場所だ。

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