第288話 状況整理

 屋敷へ戻り、夕食後。


「では、今日集めた情報の共有を始めようか」


 広い客室の中で、デリスさんがそう切り出した。

 室内にいるのはデリスさんと部下の方々、それとオレ。デリスさんの部下が防音の魔術を使用したので、盗み聞きされる心配もない。


 デリスさんは並ぶ面々を見渡し、オレに視線を止めた。


「そうだね……まずはコーサク君にこの町の印象を聞こうか」


 おっと一番手か。今日巡った町の様子を思い返してみる。……カツオ節、新鮮な魚の刺身、貝、ウニ、たこ焼き、具材たっぷりの漁師鍋……、


「とても美味しかったで――じゃなくて、ええと、オレにとっては魅力的な食材がたくさんある町でした。ただ、穀物と野菜が少なくて、食材が魚介類に偏り過ぎているので、食生活は豊かとは言えないかな、と思います」


 漁師鍋もかなり塩分が濃かったので、健康面はあまり良いとは言えない気がする。


「あとは、領主がいる町の割に寂れているな、という印象を受けました」


「うん、そうだね。シェルブルス家は新興ながら強い力を持っているはずだ。それなのに、この屋敷ですら見ての通り質素なものだ。僕も実際に見て驚いたよ。その点も整理しながら進めよう。――地図を出してくれ」


 部下の一人がさっとテーブルに地図を広げる。

 うねうねと曲がる海岸線と、山と森を避ける道、点在する町の名前、さらに所々に細かい情報が書き込まれている。シェルブルス領の地図だ。


「ありがとう。さて、僕たちがいるのはここ、領主がいる町だが、塩の生産場所と海運の港はこの町から離れた場所にある」


 デリスさんの指先が地図をトントンと叩く。言葉通り、『塩の生産地』、『大型船の港』という文字がこの町から離れた場所に書き込まれていた。


「こちらの港の様子はどうだった?」


 デリスさんが部下の一人に尋ねる。


「はい。この町とは異なり人口も多く、かなり活気がある様子でした」


 部下の方々はオレがたこ焼きを作り始めた辺りから姿を消していた。

 どこに行ったのかと思えば、手分けをして町の外にまで情報収集に向かっていたらしい。


 海運用の港はこの町から距離があるが、デリスさんの部下の一人は風の魔術の熟練者だ。それこそ風より速く走る。


 その部下が「詳細はこちらを」と何枚かの報告書をテーブルに広げた。

 港町の簡単なスケッチが一枚に、船の大きさや数、交易品の内訳、出入りする馬車の台数などの記録が何枚かに渡り記載されている。


 ざっと内容に目を通す。

 ……自由貿易都市に匹敵するとは言わないが、さすがにかなりの規模だ。領地の中心地としては、この港町の方が向いている気がする。


 デリスさんも報告書を読み、真剣な表情で頷いた。


「この短い時間でよく調べてくれた。さて、僕たちがいるこの町と、交易用の港町の違い、それは、港町はシェルブルス家が他家から奪い取った町だということだ。――ここで少し歴史の話をしよう」


 地図の中、『鮫の絵』が描かれた海を指先がなぞる。


「昼間に聞いた昔話が真実であるかは不明だが、この周辺の海に何代も前から鮫の魔物が棲みついていることは事実だ。そのために漁業は安定せず、住民は豊かとは言えない暮らしをしていた」


 デリスさんは一瞬苦い表情を浮かべる。


「そして初代シェルブルス家当主が産まれた時代、この町は帝国の領土に組み込まれることとなる。……当時の人間がどう判断したのかは分からないが、初めの年から税を納めるように求められたようだ。不幸なことに暴虐鮫の活動による不漁が重なり、とても税を納める余裕などはなく……初代当主は海賊行為に手を染めることとなった」


 それがシェルブルス家の始まりらしい。


「……よく国から討伐されませんでしたね」


「どうやら、奪った品の半分を国に献上することで見逃してもらっていたようだ。……言いたくはないけれど、同じ国の中で略奪を黙認するなんて、当時の国の判断は間違っていたと思うよ」


 国全体として見れば余計な争いが生まれただけ。略奪には何の生産性もないから、ただ損だ。

 まあ、当時のシェルブルス家に国への帰属意識が強くあったとは思えない。むしろ反発の方が大きかったんじゃないだろうか。


 オレは地図に描かれた領地を眺める。

 今オレがいる町は領地のほぼ西端だ。他にいくつかある町は、東へ行くほどに大きなものとなっている。


「この広い領地は、シェルブルス家は略奪を続けた結果、という訳ですか……」


 そして寂れたこの町は、まともな産業もない上に交易の港からも距離があるせいで、初代当主の時代から発展していない、と。


「でも、塩の生産地や大型の港まで手に入れたのに、なんで領主の館を移さなかったんでしょうね?」


「何かこだわりがあるのかもしれないけれど……嫌な想像をするなら、暗殺対策かもしれないね」


「ああ、なるほど……」


 そもそも海賊行為なんてものが敵を作らない訳がない。その上、塩の利権や港を奪う際には、かなり酷い脅しも行ったようだ。

 ぶっちゃけ、周囲の貴族なんてほぼ敵だろう。


 そして、貴族が送ってくる暗殺者というのはとても面倒くさい。

 何食わぬ顔で道行く住民に変装していたり、露店の店主が急に毒の塗られたナイフを突き出して来たりするのだ。


 不特定多数が出入りする交易の町と、寂れた漁師町を比べれば、明らかに後者の方が身を守りやすい。


 今日の感触からすると、町の住民は全員が顔見知りのようだったし、知らない人間が来ていればすぐに警戒されるだろう。

 ……もしかして、オレに絡んで来た若い漁師たちの行動は、あれはあれで領主の安全のための牽制だったのだろうか。


 ……ん~、考えすぎかな? まあ、その真偽はともかく。


「ずっと暗殺者に狙われ続けるのは、精神的にかなり疲れますからねー……。安全な場所に引きこもりたい気持ちは分かります」


 オレが昔この国を離れた理由も、そういえば四六時中襲ってくる暗殺者の対応に疲れたからだった。

 若かった頃の無茶の一つだ。懐かしいな。


「……コーサク君の実感の籠った言葉がとても気になるけれど、今は話を先に進めよう。順調に領地を拡大してきたシェルブルス家だが、その経済状況は決して良好とは言えない」


 デリスさんが部下に目配せすると、さらに数枚の紙がテーブルに載せられた。

 シェルブルス領の収支を推測した表のようだ。他にも隣接する貴族領の簡単な情報が書かれている。


 オレも魔道具職人として自分で帳簿を付けているので、黒字か赤字かの判断くらいはできる。

 ……どう見ても赤字だ。


「というか、他の貴族領からの関税が馬鹿みたいに高いですね……」


 表向きは普通に交易してるけど、経済的には戦争中だろ、これ。


「それだけ他家に嫌われているということだろうね。シェルブルス家の行動が最も大きな原因ではあるけれど……ここまで拗れたのは、血の尊さに固執する貴族たちの態度にも原因があると思うよ」


 確かにオレが知っている範囲でも、かなりの貴族は平民を同じ生き物だとは思っていない。

 歴史のない成り上がりなんて認めるはずもないか。


「でも、デリスさんたちはこう……何て言うか、そういうのあまり気にしてないですよね?」


「僕の家は魔境から国を守ることを第一としているからね。権力志向とはあまり縁がなかったことが、他家とは価値観が違う理由だと思うよ」


「そういうものですか」


 オレはそのおかげでロゼと結婚できたので、デリスさんたちの感覚は歓迎だ。


「話を逸らしてすみません。――資料を読む限り、この領地はともかくシェルブルス家自体には、あまり金がないみたいですね」


「そうだね。シェルブルス家は様々な手を使って他家の土地を奪ってきたが、領地に加わった町などに重税を課すようなことはしていない。むしろ税や規制は緩めているようだ。これは次の町を狙うためと、あとは反乱を恐れてだろう」


 生活が楽になるのならシェルブルス領に吸収されてもいい、と考える住民は確実にいるはずだ。

 絵に描いたような悪徳貴族というのは、そこらに普通に存在しているのだから。


 平民にしてみれば、ザークショットは統治者として上等な部類に入るだろう。

 現に、他の領地から重い関税をかけられている状況でも、ザークショットの政策により領民たちの生活は悪くないようだ。


 ……代わりに、シェルブルス家は赤字の状態だけど。


「ん~……やっぱりこれ、他の領地から土地を奪い続けることを前提に動いてますよね?」


「そうだろうね。シェルブルス家には現在、大規模な農地を作れるような平地は存在しないが、もう少しで穀物の一大産地に手が届く位置まで来ている。その土地を手に入れ、食糧の自給率を上げることができれば、領地をさらに拡大させることができただろうね」


 デリスさんの言葉は過去形だ。


「もう無理ですか?」


「ああ。先代陛下の時代までは、シェルブルス家は大量の献上品を国に送ることで、その行動を黙認されていた。しかし、今代の皇帝陛下は国内での無体な行いは許さないおつもりだ。既にシェルブルス家には警告が行われたようだよ。よって、これ以上の領地拡大は絶望的だ」


 他者から奪うことで巨大になったシェルブルス領は、泳ぎ続けなければ死ぬ魚のようだ。

 進まなければ自分の命さえ維持できない。


「国への献上品がいらなくなったなら、その分余裕ができる……という訳にもいかないですか……。赤字には変わりないですもんね」


 そのうち金も尽きるだろう。

 オレの言葉にデリスさんは頷いた。


「加えて言うなら、周囲の貴族との関係改善も不可能だろうね。領内の税を上げれば一時の延命はできるだろうけれど……その先に良い未来は存在しない」


 ふむ、改めて整理してみたけど……やっぱり、もうこれ詰んでない?


 周囲はほぼ敵。国も味方じゃない。白旗を上げると周囲の貴族に食われる。八方塞がりだ。


 ……だからこそ、ザークショットは自分を殺させて、ディシールド領に全てを負わせるような無茶を選らんだのだろうけれど。


 いや、その前に、初代皇帝の血を引くリーゼを奪う、という行動があったか。

 よく考えれば、命を捨てるというザークショットの選択を後押ししたのは、オレなのかもしれない。


 もちろん、愛娘を守ったことに後悔なんて欠片もない。……ただ少し、後味の悪さが口に残るだけだ。


 そして、それはどうやらデリスさんも同じらしい。

 眉を寄せ、考え込む義兄に尋ねる。


「それで、デリスさん、どうしますか・・・・・・?」


 部下の方々の視線もデリスさんに集まる。

 注目されたデリスさんは眉間を揉み、考えを整理するように天井を見上げた。


「……今日、僕は多くの住民と話す機会を得た。その感想は、国で生きる民に違いはない、というものだ。我が領と同じように、この町の民も日々を逞しく生きている。そして――」


 小さな吐息が漏れる。


「ディシールド家の本分は国の盾であること。ひいては民を守ることにある。……この領地に生きる者も同じ国の民には変わりがないからね。できることなら力になりたいと、僕個人・・・は思うよ」


 理想的な言葉だ。ただデリスさんは、既に個人ではなく領主である。


 デリスさんは苦笑を浮かべながら部下たちの顔を見回した。


「領主として優先しなければならないのは、この地の民ではなく、我が領の民だということは分かっている。今日中に、領主としての姿勢を決めておくよ。だから心配はしないでくれ」


 部下の方々は揃って頭を下げた。


 今のオレはただの護衛。いち領主の判断に口を出すことはしない。

 だけど、仕事が終わった後の行動は自由だろう。そのことをデリスさんに伝えようと口を開きかけたところで……この部屋に近付く魔力を感じた。


 使用人、じゃない。この魔力の大きさは――。


 扉がノックされる。部下の一人が素早く地図と資料を回収し、もう一人が扉へ向かった。開けた扉の向こうには……、


「よう。少し早いが、交渉を始めるとしようか」


 何故か酒瓶をぶら下げたザークショットが、口の端を曲げて立っていた。

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