第286話 悪魔の右手焼き
むか~し昔、この町が小さな漁村だった頃。海には多くの魔物が棲んでいました。
魚を獲るためには、狂暴な魔物や、毒を持つ魔物を慎重に避けなければいけません。漁は難しく、村人はいつも貧しい思いをしていました。
そんなとき、村のある青年は浜辺で不思議な形をした宝石を見つけます。
青年はその宝石の正体を知っていました。同じ物を村の長が大切に飾っていたからです。
その宝石は『悪魔の宝玉』の欠片。3つ集めれば、どんな願いでも叶えてくれるという“悪魔”を呼ぶことができる宝物です。
村の長の分と、青年が見つけた分、必要なのは残りひとつ。
青年は来る日も来る日も宝石を探して砂浜を歩き回ります。
そしてある年の酷い嵐の後、青年は砂に埋まっている宝石を見つけました。
嵐のせいで、青年は何日もまともに食事ができていません。空腹で堪らなかった青年は、すぐに村の長の家に行きました。
ところが、村の長は麦を買い付けるために出掛けていました。青年は悩んだ末に、村の長の宝石を勝手に持ち出します。
青年が願いを叶えれば、村の長も喜んでくれると思ったのです。
空腹でふらふらとする体で何とか歩き、青年は再び海へと来ました。冷たい波が足を濡らします。
心臓を高鳴らせながら、青年は宝玉の欠片を組み合わせました。
あっという間に、3つの宝石は継ぎ目一つ見当たらない『悪魔の宝玉』となりました。
青年は震える声で悪魔を呼びます。
「悪魔よ、わたしの願いを叶えてください」
宝玉は青年の呼び声に応えるように光り輝きます。
光が収まると、青年の前には“悪魔”がいました。愉快そうに笑って波の上に立っています。
『やあ、君の願いはなんだい?』
青年はごくりと唾を飲み込みました。
「こ、ここの海から、魔物を減らして、たくさん魚が獲れるようにしてください」
“悪魔”はずっと笑っています。
『魔物を減らして、魚を増やせばいいんだね? いいよ。だけど、君は対価となるモノを持っていないようだから――こうしようか』
“悪魔”が軽く手を振ると、青年の首が抜けました。
「へ?」
青年は生きています。痛みはなく、血の一滴も零れていません。しかし、確かに頭は胴体から離れています。
驚きのあまり、青年はぱくぱくと口を動かすことしかできません。
“悪魔”はそんな青年を気にすることなくまた手を振ります。
次々と、手が抜け、腕が抜け、脚が抜けていきました。
そして“悪魔”が大きく手を振ると、青年の手足は様々な海の生き物に変わって波の中に消えて行きました。
ついでのように、青年の頭は大きな貝へと変えられます。
青年は話すこともできず、残った自分の胴体を見上げました。
『これで魚は増えたね。それじゃあ魔物を減らそうか』
楽しそうに“悪魔”が言うと、残った胴体の背中から
それだけではなく、力強い尾鰭が伸び、狂暴そうな頭が生まれます。
青年の胴体は一匹の鮫になりました。
『毒は効かないようにしたから、好きなだけ食べるといいよ』
知恵のない鮫は食べ物を求めて泳ぎ去りました。“悪魔”は貝に笑いかけます。
『これで君の願いは叶ったね。おめでとう』
そう言って“悪魔”は消えました。
こうして厄介な海の魔物は減り、獲れる魚は増えました。しかし代わりに、成長した鮫によって一年の大半は漁に出ることができなくなりました。
胴体から生まれた鮫は、自らが人であったことも分からず、村人たちにも襲い掛かるからです。
村は青年が思い描いたほどに豊かになることはありませんでした。
そして貝となった青年の行方は、誰も知りません。
……というのが、カチヤさんが話してくれたこの町に伝わる昔話だ。相変わらず、悪魔が出て来る伝承にはロクなものがない。
さて、なんでこんな後味の悪い話を聞くはめになったのかと言えば、タコの名前の由来に関係するからだ。
この町でのタコの呼び名は『悪魔の右手』。由来はさっきの哀れな青年の昔話から来ている。
様々な海の生き物に変わった青年の四肢。そのうちの右手がタコに変わったと伝えられているらしい。
つまり厳密に言うと――『悪魔(によって変えられた青年)の右手』、が正しい。
伝承だから、かなり盛っている部分もあると思うけど……ちょっと食欲のなくなる話だ。
いやまあ、もちろんそれでも食べるけどさ。それはそれ、これはこれ。タコは美味い。
「そういえば、『右手』がこれなら『左手』はどんな生き物なんですか?」
隣でタコを茹でているカチヤさんに尋ねる。
「『悪魔の左手』ならあっちに干してあるよ。見えるかい?」
カチヤさんが指差す先は、船着き場からは遠く見えにくい。仕方ないので少し魔力を目に籠めた。
ええと、あれは……、おおっ!? 干しイカ!!
イカ刺し、煮物、イカ天、イカリング! 生のヤツがあったら買わせてもらおう!
というか、右手がタコ、左手がイカなんだな。右足と左足はヒラメとカレイだったりするんだろうか。
ちょっと気になる。まあ、食欲の関係上、これ以上は聞かないけど。
「コーサクさん、欲しいなら後で持ち主を紹介してあげるよ」
「ありがとうございます! ぜひ!」
イカ、ゲット! お酒好きのロゼも喜ぶな!
一人でテンションを上げていると、近くで静かに座っていたデリスさんと目が合った。
微妙な笑みを浮かべている。
「コーサク君はどこでもいつも通りだね……」
むしろテンションが上がってますが。
「そっちの兄さんは海に慣れてないみたいだね。悪魔の右手も食べれば美味いよ?」
カチヤさんが鍋の中から茹でたタコを持ち上げる。足はくるくると巻き、美味しそうな赤い色に変わっていた。
「これが、美味しい……」
デリスさんは眉をひそめながら、自分の常識と戦っているような顔をしている。
まあ、タコを初見で「美味そう」と思えたらすごいよね。見た目怪物だし。最初に食べた人はすごいと思う。
「デ――お義兄さん、見た目と味は関係ないですよ。それに、今から作る料理は悪魔の右手の身も見えないですから」
そう。今さらだが、さっきからオレはタコ料理を作る準備中だ。
デリスさんが町の住民の暮らしを知りたがっていたので、それなら同じ物を食べて、親しくなって直接話を聞いてみましょう。と、オレが提案した。
タコまで食べてしまえば、住民からすかした余所者だ、と思われることもないはず。ということで食べるのはタコ料理に決まった。というかオレが説得した。
……もちろん、デリスさんに話した言葉は本心だ。
だけどそれはそれとして……オレ自身がタコ料理を食べたかったです。はい。
うんまあ、誰も損をしないし、いいんじゃないだろうか。
デリスさんは住民の警戒を解くことができるし、オレはタコ料理が食べられるし、町の人にも料理を配るつもりでいる。当然、お金も渡してある。
みんな満足。
……ただ、デリスさんの試練に挑むような表情には少し罪悪感が湧いているので、頑張って美味しく作ろうと思う。
「コーサクさん、茹で終わったけど、後は小さく切ればいいんだよね? それで、悪魔の右手を使ってどういう料理を作るんだい?」
「そうですね――オレの故郷で、“たこ焼き”と呼ばれていた料理です」
タコと言えば、な料理だ。タコ飯も捨てがたかったが、この町でカツオ節も手に入ってしまった。
出汁も取り放題な環境だし、これはもうたこ焼きを作るしかないんじゃなかろうか。
というか、かれこれ10年くらい食べてないので、たこ焼きを思い浮かべたら食べたくて仕方なくなった。
舌がもうたこ焼きの気分になってる。
幸いなことに、改造馬車で来たので自家製のソースも持って来てある。必要な物は一式デリスさんの部下に運んでもらったので、後は料理をするだけだ。
タコはもうカチヤさんが切り終わる。出汁と小麦粉、卵を混ぜた生地はオレが作った。
あとは――、
「鉄板はさすがにないので、例のごとく魔道具で代用です。『防壁』発動」
腰の高さに板状の防壁を展開し、タコ焼きを焼くために半球型に凹ませていく。人が集まって来てもいいように、少し多めにしておくか。
「……コーサクさん、なんだい、それ……?」
カチヤさんが奇妙な物を見る顔をしている。その反応をされるのは久しぶりだ。ええと、どれに対する『なに』だろうか。全部?
「魔道具ですよ。自由に形を変えられるので料理にも便利です。この凹んだところに生地を流し込んで焼くんですよ」
「へええ……外には変わった料理の仕方があるんだねえ……」
デリスさんが何か言いたげな顔をしている。
「あ、コーサクさん、こっちは切り終わったよ」
「ありがとうございます。それじゃあ始めますか。『加熱装置』起動」
防壁を熱し、油を馴染ませる。
そして油の温度が良い感じになったら、生地を流し込む。
ジュワーッ、と気持ちの良い音が鳴り、出汁の香りが立ち昇った。この時点で美味そう!
思わず頬が緩むが、気を抜かずに素早くタコを並べる。
そして、両手に細く削った木串を装備。
「さて――」
ここからが本番だ。綺麗にひっくり返すことができなくては、せっかくの美味しいタコに申し訳がない。
だが、オレは最後にたこ焼きを作ったのは遠い昔。一発成功は難易度が高い。ので……、
「身体強化、発動……!!」
魔核から汲み出した魔力を全身に巡らせる。感覚が研ぎ澄まされ、指の先まで思い描いたように反応する。
よし、全力!!
火の通り始めた生地を区切り、様子を見ながら手早くひっくり返していく。
「へえ、綺麗に丸くなるんだねえ」
カチヤさんが隣で目を丸くしていた。裏のない反応に何となく嬉しくなる。
味でも喜んでもらえるように、焼き加減に意識を集中させた。
そして、
「よし、出来上がり!」
焼けたたこ焼きを器に盛り、ソースを塗る。その上から削ったカツオ節をまぶした。
手に入る食材で作ったシンプルなたこ焼きだが、一先ず完成だ。……青のりが欲しいな。
「では、お義兄さん、どうぞ」
「うん……ありがとう」
たこ焼きと木串を渡す。デリスさんは数秒間、たこ焼きを見つめ、意を決したように口に入れた。
――あ、熱々だから気を付けて、って言い忘れた。
「んっ!? あふ! はふ、はふ――んん!」
デリスさんは驚いたように眉を上げる。
熱さに耐えながら咀嚼して、ちゃんと飲み込んでから口を開いた。
「コーサク君、これは美味しいね! 普通の肉とは違うけれど、悪魔の右手も良い味だ。とろみのある生地も素晴らしい。魚の味が上手く溶けているよ」
「気に入ってもらえたなら嬉しいです」
たこ焼きを器に盛りつつ笑みを返す。
「あたしも一つもらおうかね」
「どうぞ」
音と匂いに釣られた町の人にも声をかける。
「よければ皆さんもどうぞ。遠慮なく食べてください」
警戒に好奇心に食欲に、色々な表情を浮かべる町の人にたこ焼きを渡していった。
「あつ! あつつっ! おお、熱いけど美味いな!」
「ああ、うめえ! 堅干しをこうして食うのは初めてだぜ」
「ん~、トロトロっ! 海の味がする!」
気に入ってもらえたようで何より。
たこ焼きが足りなくなりそうなので、オレは再び焼く係に戻る。……あれ、オレ食う暇なくない?
……まあいいか。落ち着いたら食べよう。
はふはふと、みんなが同じような姿勢で食べている不思議な光景に、さらに町の人たちが集まり始めた。
デリスさんはたこ焼きを片手に和やかに町の人と会話している。うん、目的達成。
「カチヤ姐さん、何か美味しそうな匂いがするんだけどー……って、ああ!!」
急な叫びに視線を向ければ、そこには見覚えのある少女の姿が――というか、領主の娘のジュリアだ。
広間も交渉の場も水で押し流したお転婆娘さん。ドレスから町の人間と同じような服装に変わっている。
デリスさんとオレの顔を見て、瞬時に踵を返したジュリアの首根っこを、カチヤさんが素早く追って鷲掴みにした。
「こらジュリア。顔を見て逃げるなんて失礼なことをするんじゃないよ」
「ぎゃー、放して姐さん! ちょっとその2人はマズいのー!」
バタバタと暴れるジュリア。あんまりな光景に、デリスさんは困ったように笑っている。
とりあえず、オレはジュリアの分のたこ焼きを焼くことにした。
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