第245話 拠点制圧作戦

 地中は空中に比べて魔力の探知が難しい。だが、むしろ動いている魔力は良く目立つ。反応は小さくても、スパイの魔力を追うのは難しくはなかった。


 地上を道なりに走るオレ達に対し、地中にいるスパイは直線的で速い。地面を掘りながらではあり得ない速度だ。何より、地面に潜った瞬間以降は魔術の気配がしない。


 これはつまり。


「間諜は今、地下のトンネルか何かを走っていると思います。元々あった物なのか、間諜が掘った物なのかは分かりませんけど」


「……この近辺の地下には、下水用の地下水路があったはずです。それを使用しているのかもしれません」


「なるほどッ」


 会話を返しながら、減速することなく路地の角を曲がるゲネルさんに追従する。


 都市の地下事情までは知らなかったが、他国のスパイが地下通路を勝手に作っているよりはマシだろう。そんな状態では情報なんて盗み放題だ。

 だいたい、自分の足元を友好的ではない人間が好きに掘ってるなんてぞっとする。


 冒険者ギルド側が地下水路に気がつかなかったのは、スパイが正規の出入り口を使用していないからだろうか。地属性の魔術を扱える者は少なくはないが、それでも痕跡すら残さず、一瞬で地面に潜れるなんて聞いたことはない。


 向こうも手練れではあるらしい。


 だがそれでも、向こうはオレのような人間を想定してはいないだろう。地下を進む様子が地上から丸分かりなんて、夢にも思っていないはずだ。


 スパイが手練れであるのは、オレにとってまったく嬉しくない情報だが、オレの存在もスパイにとって悪夢のようなものだろう。

 オレの能力は常識の外側だ。多少強引でもオレを今回の件に引き込んだ冒険者ギルドは、不気味なくらい良い勘をしている。




 それから、無言で、無音で、隠れて駆けて。魔力反応の情報量に小さく頭痛がして来た頃、スパイの動きが止まった。

 場所は古い民家が建ち並ぶ住宅街。ハンドサインでゲネルさんに伝える。


 一定の距離を保つために立ち止まり、待つこと数十秒。再びスパイが魔術を使う。垂直に上へと移動。地上へと出た。そのまま、狭い範囲を歩き回る。――屋内に入ったようだ。


 ゲネルさんを呼び地図を見せてもらう。現在地から、スパイがいる場所を割り出す。地図上にあったのは一軒の民家だ。ここがスパイの拠点らしい。


 ゲネルさんが『進む』と合図を出して歩き出したので、慎重に後を追う。1分ほどで、拠点の民家が窺える位置に出た。木造2階建ての古い民家だ。一階の窓には木の板が打ち付けられ、家の壁には植物の蔓が好き放題に這っている。


 中にはさっきのスパイの反応。それから……他に4人いるのが分かる。


 オレを見ていたゲネルさんに頷く。この民家がスパイの拠点で間違いない。それから、中にいる人数を指で示した。


 オレの反応を見たゲネルさんが、再びハンドサインで退くことを合図した。了承を伝え、オレ達2人は速やかに来た道を戻った。



 スパイの拠点から十分に距離を取り、尾行もいないことを確認してから、ようやくオレ達は口を開いた。


「コーサク様。ありがとうございます。ようやく間諜の拠点を掴むことができました」


「いえ。オレとしても冒険者ギルドにはお世話になっているので、協力ができて良かったです。それで、これからどうしますか?」


 オレの役割は拠点を突き止めることだ。これで仕事は終わりのはず。


「少々お待ちください」


 オレの質問に、ゲネルさんは軽く頭を下げて数歩離れた。それから小さく魔術を詠唱する。


 高まる魔力。感覚を開いたままのオレには、空に細い風のトンネルが生まれたのが分かった。オレの感知範囲の外まで続く長いトンネルだ。


 そのトンネルへと向け、ゲネルさんが小声で話す。


 その様子だけを見れば独り言を話しているようだが、どうやら遠隔地にいる誰かと会話しているらしい。風のトンネルを通して、魔術で声を送っているようだ。

 難易度は高そうだが、便利そうな魔術だ。


 繊細な魔力の動きを観察しながら待つこと数分。ゲネルさんが魔術を切った。再びオレへと向き直る。


「お待たせいたしました」


「いえ」


 実際たいして待ってはいない。早い通話だった。


「今後の動きですが、他の人員が到着次第、拠点の制圧へと移ります」


「……早いですね」


 感情の見えない笑みであっさりと言ったゲネルさんに、オレの反応は少し遅れた。


 言葉の通り動くのが早く感じる。拠点を制圧するにしても、スパイ側の人員をもう少し観察してからだと思っていたのだけど……。


「間諜が5名も固まっている現在が、捕らえるには好機であるという判断です。制圧後の拠点は、他の間諜へ対する罠として利用します」


 獲物の巣穴に罠を仕掛けるという訳だ。他に何人いるのかは不明だが、のこのこと拠点に帰って来たら強面のギルド職員にお出迎えされるのだろう。

 問題は、スパイを1人も逃がさず、周囲に荒事があったことも悟られてはいけないという点だが……そこは自信があるのだろう。


「分かりました。それで、オレはどうすればいいですか?」


 帰ってもいいのなら、これで失礼したいけど。


「コーサク様は念のため、拠点の制圧が終わるまで待機をお願いいたします。今はなるべく、この場から離れる者を出したくありません」


「そうですか……」


 小さく返しながら空を見上げる。早朝から動き始めたので、太陽の位置はまだそう高くはない。

 昼からは孤児院に行ってマグロの解体を始めなければならないが……まだ、余裕はあるか。昨日から早めに準備をしていた甲斐があった。


「了解しました。大人しく気配を消して待ってますよ」


 まあ、結果が分からないまま離れるよりは、最後まで見た方がマグロ料理にも集中できるだろう。




 スパイの動きを監視しつつ、待つこと10数分。オレの感知範囲に複数の魔力反応が入った。迷いなくオレ達の元へ向かってくる。移動速度はかなり速い。


 ゲネルさんも気が付いたようで、ピクリと反応した。


「来たようですね」


 その言葉が言い終わると同時に、戦闘用の装備を身に着けたギルド職員達が姿を見せた。静音性を重視しているのか、各部を覆う鎧は全て革製だ。近くにいてもほとんど音がしない。


 薄暗い路地裏に、戦う準備をした人間が無音で10数人。中々に怪しく物々しい雰囲気だ。


 その中に、見知った顔もある。ギルド職員ではない。大柄な体躯に、巌のような存在感。グルガーさんだ。戦闘ということで出て来たようだ。


 グルガーさんと目が合ったので会釈しておく。厳めしい顔はいつも通りの様子だ。緊張しているようにも見えない。


「コーサク様」


 他のギルド職員と軽く打ち合わせをしていたゲネルさんが、オレに近寄ってくる。


「我々が拠点を制圧している最中は、グルガー様と共に行動をお願いいたします。グルガー様には万が一に間諜が逃亡した場合に備え、後詰めの役割を担っていただきます。危険はほぼないはずです」


 グルガーさんは拠点に乗り込まないらしい。他の職員との連携を考えれば当然か。まあ、ゲネルさんが自信あり気に万が一と言うくらいだ。スパイを逃がすつもりなんてないのだろう。


「分かりました。グルガーさんと一緒に待機しています」


「お願いいたします」


 オレの返答を確認し、ゲネルさんはギルド職員達の輪に戻る。オレはその輪から外れたグルガーさんの元へと向かった。


「グルガーさん。一緒に行動することになりました。よろしくお願いします」


「ああ」


 いつものように重々しく、グルガーさんは頷いた。分厚い肉体に、猛々しい魔力。グルガーさんの存在感は頼もしい。スパイが逃げてもオレの出番はなさそうだ。


 それからグルガーさんと無言で並ぶこと数分。ゲネルさんが再び声を掛けて来る。


「それでは、これから間諜拠点の制圧を開始します。お二人も、どうぞよろしくお願いいたします」


「承知した」


「了解です」


 ギルド職員達が、薄闇の中をするりと動き出す。気配はほとんどない。この場にいるオレ達以外に、その動きに気付ける者はいないだろう。


 ギルド職員達が移動した後を、オレとグルガーさんも追う。島では狩りもするからか、巨体であるにも関わらず、グルガーさんの動きは静かだ。


 そしてたどり着いた拠点の手前。オレとグルガーさんは隣接する民家のへいに身を隠す。

 ギルド職員達は、突入のために出入り口や2階の窓付近に張り付いていた。


 じりじりと、場の緊張が高まっていくように感じる。


 間諜とギルド職員の魔力反応を観察していると、ゲネルさんが魔術を使ったのが分かった。


「……風が変わったな」


 ほとんど聞こえないような声で、グルガーさんが呟いた。


 風は変わったというよりは、止まったと言った方が正しいかもしれない。拠点の民家を周囲ごと包むように、風の膜が発生している。その膜が、外からの風を止めていた。


「……風の結界みたいですね。たぶん、この中ではどれだけ騒いでも、外には音が聞こえないと思います」


 オレが小声で呟いた瞬間。その防音の魔術の完成を合図にしたように、ギルド職員達が動き出した。


 どうやって扉や窓の鍵を開けたのかは不明だが、ギルド職員達は扉を蹴破ることもなく内部へと侵入していく。音も出さず流れるように消えていく様子は、狩りをする蛇のようだ。


 そして10秒もしないうちに、拠点の中から騒がしい気配が届いてきた。ギルド職員達による制圧が始まったようだ。いくつもの魔術の発動を感じる。


「……始まったか」


 争いの気配に、グルガーさんも動き出した。拠点である民家へと近づく。オレもその後を追って隣に並んだ。戦闘が始まった以上、隠れる必要性は薄い。


 民家の敷地内で、グルガーさんは仁王立ちだ。戦闘が続く壁の向こうを見透かすように、じっと目を細めている。


 2人で無言で待機する。戦闘はギルド職員側が優勢だ。既に2人を沈黙させた。これなら、すぐに終わるはず――


「……この戦いでは、若い者が多いな」


「……?」


 グルガーさんが急に何の話題で話し出したのか、良く分からなかった。若い者? ギルド職員達の話だろうか。薄暗くて全員の顔は見えていないが、言われてみれば若い人間が多かった気がしなくもない。


 だけどそれがどうしたのか、と思った瞬間、近くで魔術の発動を感じた。


 破砕音と共に、オレ達2人の至近で民家の壁が弾ける。飛び散る木片。千切れた蔦が空を舞い、壁には大人一人分ほどの穴が開いた。


 そして、屋内の暗がりから誰かが飛び出してくる。


 どこにでもいそうな顔と恰好をした男だ。ただ、この状況と戦意剥き出しの表情は、決して堅気の人間ではないことを示している。


 ――どうやら、万が一の状況らしい。


 そう認識すると同時に、男がオレとグルガーさんを見た。鋭い視線が走る。


 次の瞬間。男は音が鳴るほどに地面を蹴って走り出す。


 オレの横を通るように・・・・・・・・・・


 ああ、こいつ。オレの方が弱いと思ったな――


「『戦闘用魔力腕』」


 瞬時に現れた巨大な腕で宙を凪ぐ。高速で走った五指が、逃亡を図った男を鷲掴みにした。


「がっ……!?」


 男の苦悶の声と共に、遅れて風が吹き荒れた。驚愕の表情を浮かべる男と目が合う。怒りに燃えた赤銅色の目だ。


「くそっ……離せっ!!」


「……離す訳ないだろ」


 そもそもスパイを全員捕らえるのが今回の作戦だ。オレがギルド側の立ち位置である以上、みすみす逃がしたりはしない。


 そして何より、こいつはオレの顔を見た・・・・・・・


 ああくそ、顔くらい隠しておくんだったな。まあいい。その反省は後だ。問題に向き合え。オレは冒険者ギルドの人間じゃない。だが、協力者ではある。そして、組織に属していない人間だ。


 それでスパイに顔を見られた。他国の、おそらく貴族のスパイに。オレの風貌を忘れることに期待するのは無駄だろう。


 この男がこれからどう扱われるのかは不明だが、ギルドの裏の仕事に協力したという情報は、とても……とても、オレにとって都合が悪い。余計な勘繰り。あるいは恨みがオレに向く可能性がある。


 オレだけならまだしも、オレの家族にも。


「ぐあっ!」


 魔力の腕に力が籠る。戦闘用に調節したこの腕は、中型の魔物くらいは握り潰せる。


 家族に危険が及ぶ可能性があるのなら、この場で、この手で、この男を殺すべきだろう。守るために必要なら、手を汚すことに躊躇う理由はない――


「――やめておけ」


 冷たい覚悟が胸に満ちた瞬間に、グルガーさんがオレの肩に手を掛けてきた。振り返れば、厳めしい顔が近くにある。


「やめておけ」


 もう一度、グルガーさんはそう繰り返す。説得のつもりらしい。簡潔過ぎるだろう。


 だが、その短い言葉に、戦闘の緊張が緩んでしまった。胸の奥に仕舞い込んでいた、ロゼとリーゼの顔が浮かび上がる。


 それだけで薄れた殺意に、思わず溜息が出た。


「はあぁ……」


 にぶったなあ……。甘くなったのか、それとも優しくなったのか。駄目になったのかもな。


「ぐ……おい……離せ……」


 ちょっとうるさかったので、魔力腕を激しく回転させる。数秒で静かになった。高Gによる気絶だ。


 動かなくなった男を地面に横たえたところで、民家の中からゲネルさんが慌てた様子で出て来るのが見えた。屋内での戦闘は終わったらしい。


 こいつの扱いは冒険者ギルドに任せるとしよう。現場は少し頼りなかったが、トールさんなら上手くやってくれるはずだ。


 そう思いながら、白目を剥く男へと視線を送る。


「……オレのカレー生活のために、良い情報を出してくれよ」


 正解だった気も、間違ったような気もするけど、まあ、カレーを食べる度に、血の色を思い出さなくてもいいだけ、良い選択をしたのかもしれない。


 さて、これでこの仕事は終わりだ。さっさと帰って、マグロパーティーに挑むとしよう。

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