第231話 閑話 独り立ち準備

 コーサクさんによると、私は箱入り娘というものらしい。料理を覚えるために夕食の準備を手伝う中で、雑談の一つとしてそんな話が出た。


「オレの故郷ではそういう言い方もあるね。ケイトさんの場合はちょっと違うかもしれないけど。まあ、あまり世間慣れしていないお嬢様、みたいな感じで使われるし、だいたい意味は合ってるかな」


 野菜の皮を器用に剥きながら、コーサクさんはそう話す。


「そう聞くと、確かに私にぴったりな言い方ねえ……」


 言い返す余地もない。私の知識も経験もごく狭い範囲の物でしかない。今やっている料理の手伝いでも、自分の未熟さは良く分かる。

 自分の手元にある野菜は、コーサクさんが剥いた物と比べて明らかに不格好だ。


 肩を落とした私に、コーサクさんは声を掛けてくる。


「あ~、あんまり落ち込まなくていいよ。今は最初だから色々やらせたり言ったりしてるけど、初めから何でも上手くは出来ないものだし。慣れれば大丈夫だよ」


「ええ、ありがとう。分かってるわ」


 まずは自分の力量を理解することが大事だと、コーサクさんには言われている。その点は理解している。自分の立ち位置が分からなければ、目標も立てられないのだ。

 何かに挑戦して、失敗して初めて自分の出来ないことを知ることができる。今の失敗も大切な経験の一つだ。


 それでも、失敗して落ち込むのは避けられないのだけど……。


「まあ、ケイトさんは初めてにしては上手いと思うよ」


 私を励ますように、コーサクさんはそう言った。


「そうかしら……?」


 手元の野菜を見てみれば、お世辞にしか思えない。


「そうそう。オレも最初の頃はよく指切ったりしてたし。ロゼなんか料理できるようになったのは最近のことだよ。ちょっと前までは、魔物を狩る、血抜きする、解体する、焼く、の大雑把な野営料理しか出来なかったんだから」


「本当に? 今の姿からは想像もできないわね」


 コーサクさんは手元も見ずに皮剥きを進めているし、旅の途中で見たロゼッタさんの様子には、そんな気配は感じなかった。


「本当だよ。だからケイトさんもすぐに上達できると思うよ。それに、ケイトさんは良い舌を持ってるからね。料理を覚えるのはオレ達より速いと思う」


「……舌が良いと、料理は早く覚えられるのかしら?」


 味覚の鋭さは私の唯一と言っていい長所だけれど、料理の上達に関係あるのだろうか。


「大丈夫だよ。料理の技術は色々とあるけど、やっぱり基本は味見だからね。その点、ケイトさんはかなり有利だよ」


 コーサクさんは楽しそうに笑う。


「それじゃあ、早速やってみようか」


「え?」


「今日のスープの味付け。まあ、何とかなるよ」


 ……いきなり責任重大ね。大丈夫かしら?




 先ほど皮を剥いた野菜が鍋の中で煮えている。形が悪いのは私が切ったものだろう。


 夕食用の野菜スープの鍋の前で、私は一人緊張している。隣では、コーサクさんが気楽な顔で調味料を準備していた。


「簡単に料理を上手く作るなら、レシピを準備して、決まった材料を決まった手順で進めるのが楽なんだけどね。それだと応用ができないから」


 塩の壺を私に手渡しながら、コーサクさんは言葉を続ける。


「毎日料理をするなら、レシピ通りの材料が常にピッタリあることなんてほとんどないし、食材の質もいつも同じじゃない」


 乾燥させて砕いた香草入りの小瓶が近くに置かれた。


「オレもロゼも元は冒険者だったけど、旅の間は秤なんて持ち歩けないしね。目分量で調味料を入れて、味見しつつ調整していくのが基本だよ」


 最後に、味見用の匙と小皿が準備される。


「ケイトさんは舌が良いからね。どのくらい調味料を入れると、どのくらい味が変わるのか。それが分かれば、味付けに関してはすぐに覚えられると思うよ。それじゃあ、味見をしつつやってみようか。ああ、火傷には気を付けてね」


 コーサクさんは完全に見守る体勢のようだ。これから先、スープの味付けは私一人。小さなリーゼちゃんも飲むスープ。失敗はできない。


「……少しずつ入れていけばいいのよね。頑張るわ」


 初めての挑戦に緊張しながら、私は塩の壺へと手を伸ばした。




 夕食時。自分で作ったスープを口に運ぶ。味付けは悪くなかったが、野菜の食感があまり良くなかった。切り方が悪かったのと、味付けに時間をかけ過ぎて火が通り過ぎてしまったらしい。


 スープを啜りながらコーサクさんは、


「うん。美味しいよ。野菜が柔らかいのもリーゼにはちょうどいいしね」


 と朗らかに言い、ロゼッタさんも、


「うむ。良い味をしている。初めてとは思えないな」


 と褒めてくれた。


 2人の間に座るリーゼちゃんが食べる様子にも不満は見えない。一応、スープは成功らしい。でも……。


「ありがとう。でも、次はもっと上手く作るわ」


 そう言うと、2人は私を見ながら優しい笑みを浮かべた。


 その視線が何だか気恥ずかしくて、もう一度スープを口に含む。初めて作ったスープは、記憶に残りそうな味だった。





 翌日の朝。ロゼッタさんに庭へ呼ばれた。


 まだ肌寒い風の吹く庭へと出ると、ロゼッタさんに小振りの刃物を手渡された。初めて持つが、短剣と呼ばれるもののはずだ。


 ――庭の手入れでもするのかしら?


 短剣の鋭い輝きを見ながらそう考えていたが、どうやら違うらしい。ロゼッタさんが真剣な表情で話し出す。


「コウがケイトに教えるのは食事に関すること全般と、お金に関する知識、それにこの都市の決まり事などだ」


「ええ」


 そのことは聞いている。どれも独り立ちするのなら重要なものだ。


「対して私が教えるのは、掃除、洗濯、裁縫、護身術になる。それ以外については、2人で協力して教えるつもりだ」


「ええ……」


 ――掃除、洗濯、裁縫……護身術。この並びに護身術が入ってくるのは普通なのかしら?


 私の疑問に構わずに、ロゼッタさんは話し続ける。


「この都市は安全だが、犯罪がない訳ではない。そして、生きて行く上で魔物の脅威から無関係でいることはできない。今から私が教えるのは、ケイトが自分で身を守る方法だ。最初の一撃を防ぐことができるだけでも生存率は各段に上がる。心して覚えて欲しい」


 ロゼッタさんの強い視線からは、私を案ずる感情が窺える。


「ええ、分かったわ。何からすればいいのかしら」


「まずは基礎として素振りからだな。短剣を持った状態のものと、素手の状態での型をいくつか教えよう。見本を見せるから、同じように動いてくれ」


 そう言って、ロゼッタさんは体を動かし始めた。ゆっくりとした動きなのに一切揺れがなく、しなやかな動作は非常に美しい。


 ――これ、真似できるのかしら。


 不安を覚えつつも、私はロゼッタさんの動きを追うことにした。




 結果的に言えば無理だった。ロゼッタさんのように、あんなに軽やかに体は動かない。無理に追い付こうとした結果、これまで運動してこなかった私の体はすぐに悲鳴を上げた。


 息を荒くしながら座り込んで休む。呼吸というのは、こんなにも大変なものだっただろうか。


「ふむ……。体力が少なすぎるな。どんな職に就こうと資本は体だ。もう少し鍛えた方がいいだろう。武器を振るう前に、明日からは体力作りだな」


 ロゼッタさんが、私に飲み物を手渡しながら言う。この分だと、私が短剣を持てるのはまだまだ先になるだろう。護身術の習熟は遠いようだ。


 そして、護身術以外にも覚えなければいけないものはたくさんある。


 ……独り立ちするのって、とても大変なのね。


 世間の人達は素晴らしい。そう感嘆しながら、私は呼吸を整えるために大きく息を吐いた。

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