第192話 復活

 居間の中で、『治癒の聖女』であるフィリアさんと向かい合う。お互い椅子に座り、膝を突き合わせる距離感だ。


 魔核の治療を前にして、期待と緊張感で心拍数が上がっているのが分かる。不安もあるが、聖女と呼ばれる程の力を信じたい。


 内心ドキドキしていると、フィリアさんの茫洋とした目と視線が合った。


「服を……脱いでもらってもいいでしょうか。直接触れる方が、治癒の効果が高いので……」


「はい。分かりました」


 指示の通りに服を脱ぐ。この世界の人は、他人に触れることで魔力の状態が分かる。帝国でお世話になった治療院の先生によると、魔術による治療では患者の魔力状態の把握が必要、とのことだ。


 ということで、素直に上半身裸になった。ちょっと肌寒い。


 オレの準備ができたことを確認して、フィリアさんは一つ頷いた。


「それでは……治療を始めます」


 少し強さを増した瞳がオレを見つめる。


「よろしくお願いします」


 言葉と共に軽く頭を下げる。頭を上げた後は、治療をしやすいように、背筋を伸ばしてじっとしておくことにした。さあ、どうぞ。


 フィリアさんがすっと腕を伸ばす。白く細い指が、オレの胸へと当てられた。それと同時に、フィリアさんの眉がピクリと上がる。


 その反応は、オレの魔力の少なさのせいか、それとも割れた魔核の感触に驚いたのだろうか。気にはなるが、フィリアさんの邪魔をしないように沈黙を保つ。


「……」


 何かを探るように少しだけ目を閉じてから、フィリアさんは手のひら全体をオレの胸へと当てた。少し冷えた手の感触に、軽く鳥肌が立つ。


「では……いきます」


 その言葉と同時に、オレは魔力のざわめきを感じた。目の前に座るフィリアさんの中で、魔力が精緻に編み上げられていく。


 フィリアさんは目を閉じ、祈るように集中していく。美しい銀色の髪とあいまって、その姿はとても神秘的だった。


 ああ、これは確かに、聖女と呼ばれるに相応しいだろう。


 さっきクッキーを食べて顔を赤くしていた人と、同一人物とは思えない変わりようだ。


 フィリアさんの姿に目を奪われていると、温かな魔力が注ぎ込まれて来るのを感じた。治療の始まりのようだ。


 ……そういえば、聖女の治癒に痛みが伴うのかを聞き忘れた。魔核が割れたときは、凄まじい痛みに襲われたものだが、治るときはどうなのだろうか――


「『精霊よ。全ての傷を癒して』」


 考え事は、フィリアさんの声に遮られた。


 聖女の祈りに反応して、オレの中にあるフィリアさんの魔力が熱を持って動き始める。温かな魔力が、オレの魔核を包み込むのを感じた。


 割れた魔核の修復が始まった。そして――


「ぐっ……」


 鋭い痛みに、つい声が漏れた。歯を食いしばって、それ以上の声は抑え込む。


 いでえ。痛い。マジで痛い。魔核が割れた場面を巻き戻しているようだ。傷が無理矢理元に戻っていく感覚が、気持ち悪いし痛い。


 声を出せたら楽な気がするが、残念ながら同じ部屋でリーゼがお昼寝中である。騒ぐ訳にはいかない。黙って耐えるしかない。


 ああ、いてえ……! 事前に痛いですよー、って一言欲しかったなあ……!


 ぐうぅ、早く終わってくれえ……。




 ひたすら歯を食いしばること数分ほど。不意に痛みが止んだ。フィリアさんがオレの胸から手を離し、少し疲れたように呼吸をする。


「治療は……終わりました。どう、ですか?」


 ぼんやりとした目に戻ったフィリアさんの質問に、自分の胸の奥へと意識を向ける。


 ……痛みはない。正常に戻った魔核が、新しく魔力を生みだしているのを感じる。そこに頼りなさはない。たぶん治った、と思う。


 確認のために、魔核から魔力を汲み出してみる。流れに違和感はない。とてもスムーズだ。


 汲み出した魔力を全身に回す。強く、強く。体の隅々まで魔力を巡らせる。


 ――身体強化『強』で発動。


 全身に力が漲る。生き物としての格が上がったような、久しぶりの全能感が体に満ちた。


 魔核は正常だ。完璧に治った。ははは、オレ、復活!!


 魔核が治った喜びと、強化の高揚感で二重にテンションが上がる。この溢れる力のままに、外へ駆けだしたい気分だ。今ならどこまでも走れる気がする。


 ……いや、ちょっと落ち着いた方がいいな。身体強化は解除しよう。


 細く息を吐きながら、身体強化を解除していく。重くなっていく体が少し寂しい。


「ふう。フィリアさん、問題ありません。どうもありがとうございました」


 フィリアさんに頭を下げる。魔核が治ったという事実に、治療の痛みは全く気にならなくなった。うん、フィリアさん、いい腕ですね。


「いえ……どういたしまして」


 フィリアさんが、ほんの少しだけ笑みを浮かべて応えてくれた。何かお礼をしたいな。


 どんなお礼がいいだろうかと考えていると、離れて見守っていたロゼが近づいて来た。


「コウ、大丈夫か?」


 その顔は少し心配そうだ。痛みを我慢していたのがバレたかな?


「大丈夫だよ。オレ完全復活。ほら」


 ロゼに右手を伸ばす。触れば分かるよ。


 オレが伸ばした手に、ロゼは自分の左手を重ね合わせた。


「……うむ、そのようだな」


 分かってくれたようだ。ロゼがそのまま指を絡めてくる。


「コウ、おめでとう。私も嬉しいよ。フィリア殿、私からもお礼を言わせてくれ。ありがとう」


 オレと手を握ったまま、ロゼがフィリアさんにお礼を言う。その柔らかな笑顔は、とても綺麗だ。


「いえ、はい……どういたしまして」


 フィリアさんが控えめに話す。


 さて、お礼、お礼だ。どうしようか。


「ロゼ、今日の夕食に2人を招きたいと思うんだけど、どう?」


 オレの言葉に、ロゼは一瞬だけ動きを止めた。だけど、すぐに軽く息を吐いて、柔らかい顔に変わる。


「……私が反対する理由はないな」


 ならオーケー。


「フィリアさん、マリアさん、夕食を食べていってくれませんか?」


 2人に聞いてみる。フィリアさんの視線がマリアさんへ向いた。行動の決定権はマリアさんにあるらしい。


 オレ達に見つめられたマリアさんが、少し悩んで口を開く。


「……そう、ですね。……お邪魔ではないのなら、ぜひいただきたいと思います」


 こっちもよし、と。


「全然お邪魔じゃないよ。じゃあ、決まり。腕によりをかけて作るね」


 さて、何を作ろうか。今は秋だ。美味しい食材はいっぱいある。どれを使ってもいいな。


 ああ、そうだ。


「マリアさん、美味しい甘味も用意するから、楽しみにしてね」


 オレの言葉にマリアさんは困ったように眉を下げたが、その口角は嬉しそうに上がっていた。


「……はい、ありがとうございます」


 抑えた声にも喜色が混じる。やっぱり甘い物は食べたいよね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る