第179話 帰路

 地龍の試練を終えて5日後。再び村に帰ってきた。


 村は変わらずに平穏だが、オレが出発する前より少し騒がしい。船員たちが、荷物を持って歩き回っているためだ。


 カルロスさんが率いるウェイブ商会の本分は水運だ。あちらのモノをこちらへ届け。こちらのモノをあちらへ届ける。販路が広がろうと、その基本は変わらない。


 船員たちが活発に動いている様子から、長であるグンジさんとの交渉は上手く進んだのだろう。


 オレも、試練を達成したことを報告に行こう。





 身繕いさせてもらってから、長の屋敷に入る。広い部屋の中では、グンジさんが胡坐をかいて座っていた。その眼光は相変わらず鋭い。


 対面にある毛皮の敷物の上に腰を下ろす。


 同じ目線の高さになったグンジさんがオレを見る。睨むような強い視線だ。


「……無事に戻って来たんなら、言うことはねえ。持っていけ」


 麻で出来た荒い小袋を差し出される。


「ありがとうございます……」


 神妙に受け取れば、繊維越しに感じる粒の感触。中を覗けば、籾殻付きのお米が詰まっていた。たぶん1合くらいだ。


 やっと。ああ、やっとお米を手に入れることができた。このお米を持ち帰り、農場のアンドリューさんとエイドルに協力をお願いして育てよう。


 そうすれば、お米がお腹いっぱい食べられる日も遠くないはずだ。





 もらったお米を大切にしまい込んでカルロスさんを探す。近くにいた船員に聞いてみると、村の広場にいるらしい。

 そちらに向けて歩いてみれば、荷物を運ぶ船員たちの指揮を執るカルロスさんの姿があった。


 近づいてくるオレに、カルロスさんが気付く。


「おう、コーサク。無事に帰ってきたか」


「ええ、お陰様で」


「ははは。良かったな」


 隻眼を嬉しそうに細め、バシバシとオレの背中を叩いてくる。痛い。


「ちょうどいい時に戻ってきた。荷物の積み込みも明日には終わる。明後日には出発するぞ」


「分かりました。間に合って良かったです」


 オレの言葉にカルロスさんがニヤリと笑う。


「そろそろ出ないと海が荒れるからな。間に合わなければ置いていくところだった」


 冗談めかしてカルロスさんが言う。いや、半分くらいは本気だったかもしれないけど。夏になって気温があがると、オレ達が通ってきた海は荒れるのだ。

 海の機嫌が悪くなる前に帰る必要がある。


「帰ったら忙しくなるぞ。この島の穀物や特産品で腰の重い投資家の顔を叩いて、さらに船を増やす必要がある。すぐに次の航海の準備だな」


 荷物を運ぶ船員たちを眺めながら、楽しそうにカルロスさんが語る。貿易都市にいる副商会長さんが卒倒しそうなセリフだ。今でも大変そうなのに。

 やはり、何か差し入れでも持っていこう。


「ええと、頑張ってください」


「ああ、お互いにな。コーサクも忙しくなるだろう?」


 隻眼がチラリとオレを見る。まあ、その通りだ。


「はい。オレも頑張りますよ」


 貿易都市に戻ればやるべきことは多い。溜まった仕事を片付けて、お米を増やす準備をしなければならない。


 そして何より、夏の真ん中あたりで子供が産まれる予定だ。もうすぐ春も終わる。都市に戻れば夏に入る頃だろう。

 ロゼには負担を掛けてしまった。早く帰って、お米が手に入ったことを伝えたい。そして、帰ったらちゃんと一緒にいよう。


 1人で旅に出るのはこれで最後だ。





 2日後。遠くに船が見える砂浜で、島の住人と別れの挨拶を交わす。


 心地よい太陽が、中々に騒がしい光景を照らしていた。


 オレのいない10日ほどで、船員たちは村に溶け込んでいた。まあ、色々とやったらしい。

 ちょっとした技術を教えたり、教わったり。仕事に混ざったり。飲み比べをしたり。酔った勢いで力比べをしたりと、色々だ。


 船員たちは、カルロスさんが集めた気の良い男たちだ。島の住人たちともすぐに仲良くなったらしい。


 その仲良くなった者同士が目の前で別れの挨拶を交わしている。だが、お互いの言葉はあまり通じていない。


 挨拶は勢いとジェスチャーでごり押しだ。騒々しいのはそれが原因。それでも、何となく言いたいことは伝わっているらしい。まあ、気持ちが伝わるのならいいのだろう。


 そんな騒がしい砂浜の一角で、しんみりしている場所があった。目を向ければ、そこには一組の若い男女がいた。

 期待の若手ジャス君と、長の孫娘のリコである。


 何やら顔を赤くして話し合っていた。こっちも、オレがいない間に色々あったらしい。あまり見るのも野暮なので、視線は逸らしておいた。



 1時間ほど別れの言葉を交わし合い、オレ達はボートに乗った。沖に泊った船に向かって進み始める。

 砂浜からは、島の住民が手を振っていた。その姿は徐々に遠くなる。


 その光景を、オレの隣に座るジャス君が瞬きもせずに見つめていた。視線の先には大きく手を振るリコの姿がある。

 青春の香りがする。


 視線に気づいたのか、チラリとジャス君がオレを見る。


「……その顔、やめてくださいよ」


 どんな顔かは分からないが、とりあえず顔を引き締めた。



 ボートが船に着く。降ろされた縄梯子を、船員たちが軽やかに登っていく。全員が船に乗り込み、ボートは回収された。


 船首の近くに堂々と立つカルロスさんが、大きく声を張る。


「もう一度ここに訪れるために、確実に貿易都市まで帰るぞ!! 気を引き締めろ!!」


 船員たちが了解の言葉を叫ぶ。その顔は船乗りのものへと瞬時に変わった。


「帆を張れ!! 出航!!」


「「「「おう!!」」」」


 船員たちが一つの生き物のように動き出す。帆が張られる。錨が巻き上げられる勢いで、船が加速した。

 風を受けた帆が船を進ませる。島が遠ざかっていく。


 背後で小さくなっていく島を見るのを止め、オレは前へ振り向いた。船の進む方向を見る。この船首の先に、オレの帰る場所がある。






 島を出発して2週間が経過した。見覚えのある港が視界に入る。元いた大陸の港だ。ようやく帰ってきた。


 行きが大変だったのと同じように、当然ながら帰りの航海も大変だった。幾度も魔物に襲われた。それでも全員無事に帰ってきた。


 久しぶりの故郷に、船員たちも歓喜の声を上げている。


「ようやく帰ってきた……」


 自分で呟いた声が、思った以上に疲労していた。


 過酷な船旅で疲れたのもあるが、心が逸って仕方なかったのだ。帰りの航海では、少しでも早く帰りたいという気持ちでいっぱいだった。船の速さに干渉できなのがもどかしくて仕方なかった。


 それでもようやく帰ってきた。ロゼの元までもうすぐだ。


 そこまで考えたとき、船員たちの歓喜の声が驚愕に変わっているのに気が付いた。


「おい! なんだあれ!?」

「何か飛んでくるぞ!」

「人だ!」


 状況が分からずに顔を上げると、確かに空中に小さく人影が見えた。急速に船に近づいてくる。


 港から船までは、まだかなり距離がある。生身で飛ぶのなら、よほどの魔術適性か魔力がないと無理だろう。

 いったい何者だろうか。


 船員たちが上空を指差す。人影は船の上でホバリングのような動きをしていた。何かを探しているようだ。

 ちょうど逆光でその姿は良く見えない。眩しい。


 目を細めていると、人影がピタリと停止し、船に向かって急降下してきた。


「あれ……? こっち来る……?」


 何故か、オレの方に落ちてくる。


 そして、その人影が甲板にドスリと着地した。勢い良く顔を上げ、口を開く。


「コーサクさん! 見つけたっす!」


「リック……?」


 リックだ。額に汗を滲ませて、リックが立っている。貿易都市にいるはずのリックが何故? 配達……? わざわざ船に?


 頭の中が疑問符だらけだ。だけど、リックの次の言葉はその全てを吹き飛ばした。


「ロゼッタさんが、子供、う、産まれるっす!」


 子供が、産まれる。ロゼッタが。


 単語が頭を回る。頭が空っぽになったようだった。上手く情報を処理できない。


「………………ホントに?」


 たっぷり固まって、それしか言葉が出てこなかった。だって、まだ産まれるに早いはずだ。


「本当っすよ! もう始まってるっす!」


 リックが焦ったように叫ぶ。本当だろう。リックは嘘を吐いたりしない。


 だからこそ、思考が止まる。頭は全力で空回りだ。


「お、おお……」


 早産? 間に合う? 性別はどっち。ここからどのくらい掛かる。ロゼは無事か。悪魔は保証したはず。オレ達の子は大丈夫か?

 いや、何よりも早くロゼの元へ。


「い、行かないと」


 でも、どうやって?


「コーサクさん!」


 目の前でリックが叫ぶ。


「自分が運ぶっす!!」


 リックが自分の胸を叩いて宣言する。そうだ。初めから、リックはそのつもりで来てくれたのだ。

 船が今日着く保証もないのに、それでも全力で飛んで来てくれた。


 深呼吸を一つする。意識を落ち着ける。


「よし、リック。頼んだ。オレをロゼの元まで運んでくれ」


「了解っす!」


 リックがオレに背を向けてしゃがむ。その広くなった背中にしがみついた。


 リックがオレを背負って立ち上がる。その広くなった視界の中で、近づいてくるカルロスさんが見えた。


「カルロスさん! すみません! 子供が産まれるので先に帰ります!」


 突然の出来事にカルロスさんが片目を見開く。それでも、すぐに口を開いた。


「ああ~……。そうか。頑張れよ」


「はい!」


 オレの返事に、カルロスさんは苦笑いを浮かべた。申し訳ないです。


「行くっすよ!!」


 オレの挨拶が済んだことを確認して、リックが走り出す。魔力と風が渦を巻いた。


 船首を蹴って、空へと飛び出す。リックの操る風がオレ達を包んだ。


「全力っす!!」


 加速する。空と海の間を、猛スピードで移動する。風の精霊に愛された青年の全力だ。この世界で最速の移動方法だろう。


 高速で景色が流れていく。リックに運ばれるだけのオレは、ただロゼと子供の無事を祈ることしかできなかった。

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