第162話 決意

 ロザリーさんとミザさんの来訪から数日が経過した。最近は、心地良い陽気が続いている。昼寝をしたら、たぶん気持ちいいだろう。


 まあ、残念ながらそんな暇はないんだけど。


 ここ数日は、仕事で忙しい。何の仕事かと言えば、海に出るための船作りだ。オレが担当するのは魔道具作りだけど。

 親方の指示の下で、必要な魔道具を作っていくのが今の仕事だ。


 ロゼと何回か話し合って、オレは航海に参加することにした。未だに迷いはあるが、そう決めた。

 背中を押してくれたロゼには、成果を上げて応えようと思う。もちろん、最優先は身の安全だ。


 そのために、海上でも使えそうな魔道具を急いで開発している。仕事と並行して行っているので、非常に忙しい。

 昼寝どころか、夜眠る時間も惜しいくらいだ。未知に挑むのに、準備はいくらしても足りない。


 オレの帰る場所を守ってくれるロゼのために、そして、産まれてくる子供のために、オレは自分自身を全力で守ろうと思う。




 仕事が終わり、沈んでいく陽の中を家に向かって歩く。


「疲れた……」


 本当に疲れた。頭が重い。糖分が欲しい。


 揺れる頭を抑えながら歩く。疲れているが、オレはまだマシな方だろう。他の職人は、ほぼ不眠不休で働いている。


 全員が、高いレベルで身体強化を使えるからこその無茶だ。地球だったら、既に何人か倒れていると思う。

 こっちの世界の人は頑丈だ。


 今は満足に身体強化を使えない分、余計にそう思う。


 オレの魔核は治っては来ている。だが、それは非常に緩やかだ。回復してきた魔力も、この世界の人の基準で言うと下の下くらいだ。


 ようやく、一般人としてはギリギリおかしくないかな?くらいの魔力量になった。


 身体強化は使えるが、持続時間は短い。少し前まで貴族の手前くらいあった魔力が嘘のようだ。

 航海に出る前に、少しでも回復して欲しいと思う。当然ながら、魔力は多い方がいい。


 そんなことを考えつつ、暗くなっていく道を歩く。


 人通りの少ない道を進み、家の近くまで来る。玄関には照明が点灯していた。その明るさは、誰かが帰りを待っていてくれるという証だ。何だか嬉しい。


 少しだけ笑いながら、家の扉に手を掛ける。そして、そのまま開けると、そこには――


「お帰りなさいませ」


 ――メイドさんがいた。完璧な姿勢で頭を下げている。


「た、ただいま帰りました」


 オレの言葉を聞いたメイドさんが顔を上げる。その顔は、鋭い感じの美人さん。ロザリーさんの護衛、ミザさんだ。


 ロザリーさんとミザさんは、現在オレ達の家に滞在している。元々、ロゼが出産するまでは、この都市にいるつもりだったらしい。


 元は宿屋に泊まろうとしていたが、ロゼと相談して、家に滞在してもらうことになった。


 その結果、何故かミザさんはメイドさんになった。あまりにも完璧な出迎えに、数日経っても全然慣れない。


 そのミザさんが、すっと腕を伸ばしてくる。上着を預かるという合図だ。少しやりにくいが、素直に渡す。


 歩きながら、音もなく上着を揃えるミザさんに聞いてみる。


「ええと、ロゼはどうしてますか?」


「お嬢様は、奥様と夕食の準備をなされています」


「そうですか……ありがとうございます」


「いえ」


 お互いに無言で廊下を進む。沈黙が痛い。


 ミザさんの本職はメイドらしい。戦闘は嗜みなのだとか。常に気配を消し、使用人として振る舞うその姿には、慣れそうもない。

 人に傅かれるのにはストレスを感じる。やっぱり貴族になるとか無理だな。庶民には合わないよ。


 ミザさんに見えないように少し顔をしかめながら、良い匂いのする方向へ歩く。ここ数日、ロゼは何をしているのかと言えば、花嫁修業らしい。


 結婚して、子供も産まれるのに花嫁修業が正しいのかはともかく、そんな感じのことをやっている。


 ロザリーさん曰く、ロゼは若い頃から剣ばかり振っていて、そのまま騎士になったため、家のことに関する知識が少なすぎるのだとか。


 そんな訳で、ロザリーさんとミザさんの下、ロゼは色々なことを練習している。

 昨日は刺繍をやってたな。


 妊婦なのに大丈夫なのかとは聞いてみたが、ある程度は体も動かした方がいいのだとか。


 まあ、オレより詳しい先達の言葉である。素直に聞こう。オレの記憶でも適度な運動は良かったはずだし。

 太り過ぎは駄目なんだよな、確か。


 そんなことを考えつつ、ロゼのいる台所へ向かう。まずは、ロゼにただいまを言おう。


 台所の扉を開けると、感じる香りが濃くなった。柔らかい匂いだ。今日は魚料理かな。


 扉の開いた音に、中にいた2人が反応する。似た顔の2人が振り返る。オレだと分かったロゼが、笑ってくれるこの瞬間が好きだ。


 オレも自然に笑いながら、帰ってきたことを伝える。


「ただいま」


「コウ、おかえり」


「ふふ。おかえりなさい」


 ロザリーさんは微笑ましそうに笑っている。これも、まだ慣れないな。


 オレを見ながら、ロゼが嬉しそうに話す。


「もう少しで出来上がるから、待っていてくれ」


「うん。楽しみにしてる」


 オレが最近忙しいのもあって、夕食はロゼに任せているが、楽しそうで何よりだ。料理の腕が上がって来ているのが嬉しいのだと思う。

 あとは、オレに食べてもらうのが嬉しいのだとしたら、死にそうなくらいに幸せだ。


 そんな考えに浸りつつ、台所を出る。食事の前に着替えるとしよう。





 4人でテーブルを囲む。目の前には、美味しそうに湯気を上げる料理たち。仕事でエネルギーを使い果たした体が、早く食べさせろと騒いでいる。


 タローも床で待ての姿勢だ。期待するように、こちらを見上げている。


「「――精霊と全てに感謝を」」


「「いただきます」」


「わふ」


 それぞれの食事の挨拶が食卓に響く。最初はロザリーさんに不思議がられたが、数日経った今は慣れたものだ。


 さて、食べるとしよう。


 今日のメインは、白身魚と野菜の蒸し料理。数種類の野菜は色合いも鮮やか。ふっくらとした魚の身はとても美味しそうだ。


 その身をほぐして口に運ぶ。淡泊ながらも、弾力のある食感を噛み締める。香草の良い香りが鼻に抜けて行く。

 ホロホロと崩れていく魚の肉は、丁度いい塩加減だ。魚と野菜の旨味が、口の中に広がる。


「うん。ロゼ、美味しいよ」


「ふふ。そうか」


 ロゼが嬉しそうに笑う。その姿を見て、なんだかオレも料理を作りたくなった。





 その日の深夜。喉の渇きを覚えて目が覚めた。


 ロゼを起こさないように部屋を出て、台所に向かって歩く。その途中、静寂に包まれた薄闇の中で、窓際に立つ影を見つけた。


「……ロザリーさん?」


「あら、コーサクさん。どうしたの?」


 窓から外を見ていたロザリーさんが振り返る。どうしたの、はオレの台詞だと思う。


「少し喉が渇いたので、お茶でも淹れようかと……。ロザリーさんは?」


 オレの質問に、ロザリーさんは優雅に微笑みながら答える。


「今日は星が綺麗だったから、つい見ていたくなったのよ」


 そう言って窓の外に目を向けるロザリーさんは、星々の明かりに照らされている。淡く照らされたロゼと同じ色の髪を、つい目で追ってしまった。


「そうですか……」


 再び静寂が訪れる。生憎オレは、この世界の星座なんて知らない。気の利いた話は無理だ。


 せめてお茶でも一緒にどうかと誘おうかと考えたところで、ロザリーさんが口を開いた。


「コーサクさんは、もう少ししたら、海に出るのよね。ロゼッタちゃんを置いて」


 夜空を見上げながらの言葉が、胸に突き刺さる。


「……ええ、行きます。そう決めました」


 なじられるのは覚悟する。もっともらしい理由は言えるかもしれないが、結局、オレは行きたいから行くのだ。


「ふふふ。別に責めているわけじゃないのよ」


 ロザリーさんの視線がオレを見つめる。微笑む顔はロゼにそっくりだ。


「男親なんて、出産のときには役に立たないものよ。私なんて、ロゼッタちゃんが産まれるときは、うろうろする旦那様が邪魔で仕方なくて、出て行って!って叫んだわ」


 ……肩を落として部屋を出て行くデュークさんが脳裏に浮かんだ。


「ねえ、コーサクさん。貴族の家での、妻の一番大切な役割を知っているかしら?」


「……いえ。知りません」


 考えたこともない。


「ふふ。それはね。家を守ることよ。戦いに行った夫を待ちながら、帰る場所を守るの」


 ……帰る場所を、守る。


「ロゼッタちゃんはもう貴族ではないけれど、あの子はこの家を守ると、そう決めているわ。だから貴方がすべきことは、無事に帰ってくることよ」


 親の顔をしたロザリーさんが、オレに向かって語りかける。


「だから、そんな申し訳なさそうな顔をしないで、ちゃんと胸を張りなさい。約束は、したのでしょう?」


「……はい、しました。絶対にロゼの元へ帰ってくると」


 何よりも優先するべき、オレの誓いだ。


「うふふ。良い顔ね。その方がいいわよ。ロゼッタちゃんは、私とミザで支えるから、安心して行きなさい」


「はい、ありがとうございます」


 お礼の言葉しか出せないのがもどかしい。この世界で、オレは恩を受けてばかりだ。


「ふふ。さて、コーサクさん。色々話して、私も喉が渇いてしまったわ。私にもお茶を淹れてもらえるかしら?」


「ええ、もちろん」


 迷いは変わらずに胸にある。それでも、燻っていた後悔は消えた。


 背中を押してくれる人がいる。待っていてくれる人がいる。だから、オレは全力を尽くそう。

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