第5章 海洋魔境_異郷奔走編
第157話 そら豆と鶏肉のクリームパスタ
季節はすっかり春。その天候と同じように、穏やかに日々を過ごしている。
今は家で、ロゼと帳簿の整理をしている最中だ。
「コウ。こっちの確認は終わったぞ」
「うん。ありがとう」
ロゼに返事をしながら、帳簿の確認を行っていく。オレの魔道具の販売分と、アンドリューさん一家の農作物の分、エイドルの薬や肥料、温室の果物の分だ。
数が多いので、それなりの作業量になる。
元は貴族としての教育を受けていたロゼは、意外と言ってはあれだが、かなり計算が得意だ。
帳簿のチェックくらいは普通にこなしてくれる。オレ1人だと大変なので、とても助かっている。
少し余計なことを考えながらも、数字を追っていく。2人で二重に確認した帳簿に、間違いはなさそうだ。
これで最終確認は終わりだな。
「よし、確認終わり。お疲れさま」
「うむ。お疲れさま」
お互いの作業を労いつつ、体を伸ばしながら窓の外を見る。頂上に近付いた太陽が、暖かく庭を照らしていた。
ちょうどいい時間だ。
「お昼ご飯にしようか」
「ふふ。そうだな」
今日は帳簿を受け取りに行ったときに、アンドリューさんからたくさん野菜を貰った。旬の春野菜だ。
それを使って、昼食を作ることにしよう。
2人で台所に移動する。もらった野菜の中で、一番目に付くのは豆だ。さや付きの緑色。そら豆が大量にある。
これを使うのは確定だな。
あとはキャベツに玉ねぎがゴロゴロと。
少しだけ悩んで、作る料理を決める。
「今日の昼食は、そら豆のパスタと、春キャベツと新玉ねぎのスープにしようか」
「ふふふ。いいな。美味しそうだ」
最近はロゼの食欲も戻ってきた。癖が強くなければ肉類も食べられる。良いことだ。その血色のよい顔には、オレも安心できる。
「じゃあ、ロゼはスープをお願いします。ああ、玉ねぎはこっちでも使いたいから、少し残しておいて」
「ふふ。了解した」
2人で手分けをして料理を始める。オレはそら豆の処理だ。
帝国から帰ってきてから、料理はロゼと一緒に行っている。オレが不在の間に、アリシアさんに基本から習ったらしい。
かなり頑張って覚えたのだろう。ロゼの手元には、見ていて安心できる丁寧さがある。
野営での、捌いて焼くだけの料理しかできなかった頃を知っている身としては、とても感慨深い。
そんな感動を抱きつつ、そら豆をさやから取り出して薄皮をむいていく。よく膨らんだ緑色の豆は美味しそうだ。
その豆の感触に、自然と別なメニューが浮かんでくる。
……そら豆の混ぜご飯とか、春の定番だよなあ。
旬のそら豆の混ぜご飯。オレ的には春の風物詩だ。塩茹でしたそら豆の濃い豆の味と、ご飯の相性はとてもいい。
そら豆の食感を楽しみつつ、ご飯をかき込みたい。春の味がシンプルに美味いはずだ。
……まあ、相変わらず、お米は見つかっていないのだけど。
一番期待していた帝国の方は、何やら大変なようだ。魔境の翼竜が急にいなくなってしまったことが原因か、縄張りを広げに、別な魔物が押し寄せているらしい。
しかも、数種類。
魔物同士の争いがかなり激しくなっているらしく、落ち着くまでは魔境の探索は難しいとのことだ。
まあ、それは仕方ない。さすがに、命と引き換えにお米を持って来られても困る。食べづらいよ。
なるべく平穏に、早くお米を見つけたいものだ。
お米を求める気持ちに変わりはない。オレがこの世界に迷い込んでから、もうすぐ6年が経過する。
それはつまり、お米を食べていない期間も6年になるということだ。もうお米の炊き方も忘れてしまいそうだ。それは困る。
いい加減。本当に。お米が、食べたい。
「コウ」
思考がずれ続けていたオレを、ロゼの声が呼び戻す。危ない、危ない。料理中にぼうっとするものじゃない。
「どうかした?」
「麺の分のお湯も沸かそうか?」
見れば、ロゼはスープ用の鍋を準備するところだった。ついでに、麺用のお湯も準備してくれるということのようだ。
「うん。よろしく。ありがとう」
うちのお嫁さんは気が利く。
「ふふ。どういたしまして」
ついでに笑顔も素敵だ。
さて、そら豆の方はもう少しだ。さっさと処理してしまおう。
そら豆は全て薄皮までむいた。指先が疲れたが、準備は完了だ。料理を進めよう。
冷蔵室から鶏モモ肉を持ってくる。パスタの具材用だ。半分はタローのご飯にしよう。
その鶏肉を小さ目に切り、軽く塩コショウ。あとは油を敷いたフライパンで焼いていく。この間に、手の空いたロゼには、麺を茹でてもらおうか。スープは終わったみたいだし。
「という訳で、ロゼ。そっちはよろしく」
「うむ。任された」
乾燥麺をロゼに茹でてもらいながら、鶏肉に火を通す。だいたい火が通ったら、玉ねぎを加えて炒めていく。
ええと、そろそろか。
「ロゼ。そら豆も一緒に茹でちゃって」
「分かった」
オレの方は、最後に牛乳を投入。軽く水分を飛ばす。こっちの牛乳は濃いので十分だろう。これでよし。
「ロゼ。麺の湯切りはオレがやるから」
「ふふふ。ああ、任せた」
ザルを用意して、鍋を持ち上げる。湯切りは意外と力のいる作業だ。ロゼに任せる訳にはいかないだろう。
まあ、妊娠中の今でも、オレはロゼに腕力で勝てないんだけど……。
魔力の量が違い過ぎるよ。
そんなことを頭の隅で考えつつ、麺とそら豆をざるにあげる。
最後に、フライパンに移してさっと混ぜれば完成だ。
「これで出来上がり」
「ふふ。とても美味しそうだ」
ロゼは楽しそうに笑っている。食欲があるのはいいことだ。
2人で協力して昼食を食卓に並べる。タローには、鶏肉と少し薄めたスープをあげた。
さてと、じゃあ。
「「いただきます」」
2人で唱えて食べ始める。オレはロゼの作ったスープから手を付けた。新鮮なキャベツと玉ねぎは柔らかく美味しい。スープの味付けも良い感じだ。
「うん。スープ美味しいよ」
「ふふふ。ありがとう。コウのパスタも美味しいぞ。豆が良く合っている」
「なら良かった」
ロゼの言葉を聞いて、オレもパスタを食べる。鶏肉の旨味が出たソースが絡まって、いい味をしている。
そして、そら豆の風味がいい。栄養がたっぷり詰まっていそうな、濃い緑の味がする。うん。美味い。春って感じだ。
その豆の食感を噛み締めつつ、少し目線を上げる。
目の前には、美味しそうに料理を頬張るロゼの姿がある。
「む?どうかしたか?」
「いや、なんでも」
何でもないと首を振る。なんだかんだとお米は手に入っていないが、オレは今、確かに幸せだった。
昼食後、2人でゆっくりしていると、ロゼに撫でられていたタローがピクリと顔を上げた。玄関の方を見ている。誰か来たようだ。
「オレが出てくるよ」
ロゼにそう言って、玄関に向かう。
オレが着くのと同時に、元気の良いノック音が聞こえてきた。返事をしつつ、扉を開ける。
「あ、コーサクさん!こんにちは!コーサクさん宛てにお手紙っす!」
「こんにちは、リック」
扉を開けると、そこにいたのはリックだ。いつものように、配達の仕事の最中らしい。差し出された手紙を受け取る。
さて、リックはちょうどいいときに来た。いくつか野菜をお裾分けするとしよう。貰った野菜はまだまだ沢山あるのだ。
「リック。ちょっと野菜を持っていきなよ。今日たくさん貰ったんだ」
「おおー!ありがとうございますっす!」
変に遠慮をしないところが、リックのいいところだ。
家の中に戻り、野菜を袋に入れてリックに渡す。
「ありがとうございますっす!みんな喜ぶっす!」
「うん。他のみんなにもよろしく。じゃあ、配達頑張って」
「はいっす!」
元気よく返事をして、リックが走っていく。リックが巻き起こした風を感じながら、その後ろ姿を見送った。
リックが見えなくなってから家に戻る。居間では、変わらずにロゼがタローを撫でていた。気を抜けば眠ってしまいそうな穏やかさだ。
ロゼの隣に戻り、手紙の送り主を見る。
「ウェイブ商会から?」
「カルロス殿のところか?」
「うん。そうみたい」
手紙を開けつつ、ロゼに応える。水運の最大手。都市の代表でもあるカルロスさんが率いる商会だ。
手紙がくるとは珍しい。仕事の依頼だろうか。
手紙の中身を読んでいく。とても丁寧な文章だ。最初の部分だけでも、仕事の依頼ではないことが分かった。
「ん~?」
「なにか問題でも起きたのか?」
オレの様子を見ていたロゼが聞いてくる。詳細が書いていないので、なんとも言えない。
「詳しくは書いていないんだけどね。オレ達が投資している案件で緊急事態が起きたから、明日集まってくれだって」
「投資?」
ロゼが首を傾げる。
投資だ。お米に繋がりそうないくつかの事業に、オレはお金を突っ込んでいる。ウェイブ商会のものはその一つ。
「ええと、ウェイブ商会が中心になってやっているのは」
ウェイブ商会。水運の最大手。この案件にはお金を積むと同時に、魔道具職人としても協力している。
法国に出発する前には、そのための仕事もしていた。ガルガン工房と協力した、対魔物用の武装艦の造船だ。全部で10隻。
そして、そんな船を使ったウェイブ商会の目的は。
「外洋での航海。超大型の魔物たちが生息する、海の魔境を越えようとしているんだ」
カルロスさんの人生を懸けた、未知への挑戦でもある。
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