第158話 航海の記録

 ウェイブ商会からの手紙を受け取った翌日。オレを含めた投資者は、ウェイブ商会へ集合した。

 広い会議室には、貿易都市の商人達が並んでいる。見覚えのある顔ばかりだ。


 さっき顔を出した商会員によると、説明が始まるには、もう少し時間が掛かるらしい。

 会議室の外からは、慌ただしい気配を感じる。


 じっと待っているのも暇なので、隣に座っていたガルガン親方に話を振ってみる。


「何があったんですかね」


「さあな。だが、緊急事態だっつうんだ。良い知らせじゃあねえだろうよ」


 そう言う親方は苦い顔だ。


 親方は、ウェイブ商会へ納品した船の造船に深く関わっている。何かが起こったとなれば、穏やかな顔をしていられないのも当然だろう。


 ……情報のない今、あまり語るべきではないか。少し静かにしておこう。


 出されたお茶をちびちびと飲みつつ、思考に沈む。


 この世界において、海は人の領域ではない。


 陸地であっても、魔物は魔力で体を強化することにより巨大化している。ならば、浮力のある海ではどうなるか。


 当然、さらに巨大化している。地球で最大の動物が鯨だったように、自身の身体を支える力が少なくて済むのなら、生き物は大きくなる。


 だから、この世界の海は魔境だ。陸に近い場所ならともかく、沖に出れば魔物たちの領域となる。

 それこそ、無防備な船の1隻や2隻なら、あっという間に沈められてしまうほどだ。


 海は、人類を寄せ付けない死の領域なのである。


 それでも、見たことのない景色に憧れてしまう者がいる。未知への探求に命を懸ける人々がいる。


 カルロスさんは、そんな夢を追う者の1人だ。


 そして、その中でもとびっきりに優秀な人でもある。


 いつか全人未踏の海を越えることを夢見て船に関わる仕事に就き、その情熱と能力で、貿易都市の4大商会に登り詰めたほどだ。


 この都市で最大規模の商会を率いつつ、都市の運営を行い、航海のための準備をするという、ちょっと引くレベルの仕事量をこなす超人である。


 その熱量は素直に尊敬する。


 さて、そんなカルロスさんの夢に何故オレが投資したのかと言えば、まあ、いつもの通りお米のためだ。


 オレが今いる大陸の外、海の向こうには、他の大陸か島があると言われている。


 理由は簡単だ。明らかにこの大陸のものではない品々が、海岸に流れ着くことがあるからだ。


 この大陸のものではない文字が書かれた布。異なる文明の装飾品。明らかに違う様式の船の残骸。そんなものが、稀に姿を見せることがある。


 カルロスさんは、そこに自分が知らない世界への憧れを抱いたらしいが、オレが思ったのはただ1つだ。


 こことは違う暮らしをする人々。異郷の地。そこになら、お米を主食にする人々がいるのではないかと、そう思った。


 だから、この件には投資もしたし、魔道具職人としても協力した。


 カルロスさんもオレも、興味のない人から見ればおかしな人間に違いない。それでも、諦められない望みがある。




 思考に没頭すること少し。カルロスさんが姿を見せた。日に焼けた浅黒い肌に、いつもの眼帯をしている。


 表情は……良く分からないな。意図的に感情を抑えているのか、オレに読むのは難しい。とりあえず、いつもより元気がないのは確かだ。


 カルロスさんが、集まったオレ達の前に立つ。それと同時に、商会員の人達が、オレ達に数枚の紙を渡してきた。

 一番上の紙をさっと読むと、航海での記録のようだ。


 全員に書類が行き渡ったのを確認して、カルロスさんが口を開く。


「急な呼び出しに集まってくれて感謝する。投資してもらった外洋の調査の件で問題が起きた。そのことについて説明させてもらう」


 淡々とカルロスさんが話す。


「結論から言えば、第一回の航海は失敗した」


 あちらこちらから呻き声が上がる。それなりの額を投資した商会長たちが、眉を寄せて天を仰いでいる。


 オレも落胆している。だが、それよりも、船の乗組員たちがどうなったか気になる。船はまた作ればいいが、人はそうはいかない。


「出航した10隻の内、6隻が沈んだ。だが、幸いなことに乗組員は全員無事だ」


 不幸中の幸いというやつか。乗組員が無事なら、致命的な失敗ではないだろう。誰も行ったことのなかった、外洋での航海の経験。それは、何よりも貴重なものだ。


 どんな船を作っても、操れる者がいなければ、ただの水に浮く箱でしかない。力量を持つ人材の方がよほど貴重だ。


「まずは、海で何が起きたのかを話したい。手元の紙を見ながら聞いてくれ」


 カルロスさんの言葉に、視線を紙へと落とす。少し捲って読んでみる。これは、実際に船に乗っていた乗組員による記録のようだ。





~~~~~~~~



 俺の名はディーン。ウェイブ商会の船乗りだ。今は、外洋調査隊の一員でもある。


 港を出航して10日が経った。今は11日目の昼前だ。天候は晴れ。風も波も穏やかだ。


 俺が今いるのは、船のメインマストの上だ。今日は監視員の当番だからな。狭い足場の上で、周囲を確認し続けている。


 ぐるりと視線を巡らせれば、厳つい船が9隻見える。俺がいる船も合わせれば10隻。

 商会長であるカルロスさんが用意してくれた船だ。


 貴重な魔物の素材と魔道具が惜しげもなく使われている。俺が一生稼いでも、1隻分にもなりゃしないだろう。

 どこまでも必要な機能を追い求めた姿は、とても美しい。


 乗っているのは、カルロスさんの夢に共感した馬鹿ばかりだ。ああ、もちろん俺も含めてだ。


 危険なのは分かっているのに、突き進むのだから救えない。


 ここまでたった10日の航海だが、それでも魔物の襲撃はかなりあった。


 馬鹿デカいタコや魚に何度も襲われている。戦えるヤツらが追っ払ってくれたが、肝が冷えた。残念なことに、俺は操船しかできない。

 戦闘は専門外だ。


 今は何とかなっているが、カルロスさんが乗っていなくて良かったと心底思う。


 ああ、そうだ。あの人は、最初この航海に参加しようとしていたのだ。当然、周りの大反対にあってやめたけどな。


 あのときの副商会長の顔はヤバかった。足にしがみついても止めそうだったな。


 この航海に成功の保証はない。全員、成功させるつもりではいるが、それでも、何が起こるか分からない旅だ。


 俺らの頭であるカルロスさんを、ここで危険に晒す訳にはいかねえ。あの人さえいれば、何度だって挑戦はできる。


 俺らに挑戦の機会をくれたあの人は、あとから安全に来るといい。


 そのために、自分の仕事をする。魔力を集めて感覚を強化し、周囲を監視する。昔から、目の良さには自身がある。

 水中から襲ってくる魔物を先に見つけたこともあるくらいだ。


 そうして、目を凝らしていると、海と雲以外のものが見えた。魔物じゃない。弧を描く水平線の先に何かある。

 霞んで見えるそれは、確かに陸地に見えた。


 体が痺れるほどに興奮する。その勢いのまま、他の奴らに叫ぼうとした。


「おおい!!陸地が……」


 最後まで話すことは出来なかった。気が付けば、俺は空中にいた。さっきまでいたマストが下に見える・・・・・


 急激に船が浮き上がり、その勢いで空に放り出されたのだと、一瞬あとに理解した。


 そして、視界に広がる海の底から、その原因が近づいて来ているのが見えた。



 ――山が現れたのかと、そう思った。



 盛大に海を割って現れたそれ・・を見て、俺はそんな感想を覚えた。


 巨体だ。あまりにも巨大な体が飛び出して来ているのが、ゆっくりと見えた。いや、大き過ぎて、そう見えていただけかもしれない。


 俺らの船が、まるでただのいかだに思えるほどの大きさだった。


 大量の水飛沫を上げながら、黒い巨体が浮上する。その体に太陽は遮られ、船は影に包まれた。


 そして、目が合った。


 俺がそう感じただけかもしれない。それでも、確かにそれ・・は俺たちを見ていた。


 小型の船ほどもありそうな黒い目の前に、俺は息をすることも忘れた。


 だが、固まった俺に構わずに、体は落下していく。なす術もなく海に落ちる。


 そして、荒れ狂う水に翻弄されながら、俺は海の中でどこまでも続く壁のような巨体と、それ・・の浮上で発生した波が、船を飲み込んでいくのを見た。




~~~~~~~~




「以上が、航海での記録だ。この超大型の魔物は、ただ観察するような動きをするだけで、襲っては来なかったらしい」


 現れただけで沈められるとか怖すぎる。海、半端ねえ。


「よって、転覆しなかった4隻に人員を回収し、それ以上進むのは断念したということだ」


 まあ、賢明な判断だろう。縄張りに入ろうとする奴らへの警告だったかもしれないし。


 他の乗組員の記録を読む限り、現れた魔物は鯨のようだ。大型の船を丸呑みできそうなサイズの鯨。怖すぎる。


 せっかく陸地は見つかったけど、鯨の魔物と、船の転覆対策をしないと、先に進めないだろう。


 かなり厳しいと思う

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