第124話 夢と行動

 え~と、ロゼが怒っている。


「……」


 家のリビングで、まさに膝を突き合わせる距離感で向かい合っている。ロゼはさっきから無言だ。そして、怒っている表情をしている。何故だ。


 時刻は昼前。オレはついさっきまで魔道具を作っていた。身体強化の練習もしなければならないが、仕事は仕事であるのである。それに、魔道具を作るときにも身体強化は使用する。特に脳を強化する必要があるので、部分的な身体強化の訓練も兼ねている。


 ロゼが怒る原因を思い返してみる。……駄目だ。心当たりがない。


 少なくとも、今日の朝は普通だった。この状態になったのは、ロゼが出掛けて帰ってきてからだ。


 出掛けた先は冒険者ギルドのはず。もちろん、依頼を受けに行った訳ではない。活動休止の申請をしに行ったのだ。


 冒険者にはいくつか特権がある。素材の買取価格の上昇。解体費用の免除。身分証の発行。税金の手続きをギルドで実施してもらえる等だ。

 その代わりに、冒険者には魔物の討伐や依頼を達成する義務がある。階級ごとに詳細は異なるが、最低でも月に一度は活動することが要求されている。


 そんな冒険者の義務だが、事情があれば延期してもらうことができる。怪我をして動けなくなったり、ロゼのように妊娠した場合などだ。


 都市側としても、冒険者ギルド側としても、いずれ活動を再開する冒険者から身分を剥奪するメリットは全くない。

 強い魔物を討伐できる冒険者に、もう一度階級を上げさせるのは人材の無駄使いというものだ。当然の制度だな。


 まあ、そんな訳でロゼは冒険者の活動を休止した。だけど、その手続きをしてきて怒る理由が分からない。

 いや、少し帰ってくるのが遅かったから、もしかしたらどこかに寄ってきたのだろうか。


 いやいや。ロゼがどこに寄ってきたとしても、怒らせるようなことはしていないはずだ。


「……」


 変わらずに、ロゼは怒った表情でオレを見てくる。どうなってんだ。これが夫婦喧嘩か。まだ結婚してないのに。


 分からん。本当に心当たりがない。こうなったら聞こう。聞いてしまおう。そして、何かやらかしたなら謝ろう。下手な誤魔化しと言い訳は逆効果だ。


「え~と……何で怒ってるの?オレ、何かした?」


 直球勝負だ。教えてください。


「……何かした、のではなく、しなかっただろう」


 しなかった。何だ?オレは何をしなかったんだ?何か忘れた?ええ?ヒントを貰っても分からん。


「ええと、ごめん。何をしなかったのか教えて、もらってもいいですか?」


 ノーガード。白旗を上げて聞きにいく。つい敬語になってしまった。


「……さっき、冒険者ギルドの帰りに聞いてきた」


 誰から何を?


「コウ。オコメの情報が手に入ったことを、私に黙っていただろう」


 …………それかー。あちゃー。ロゼに話したの誰だよ。


 ロゼが責めるようにオレを見つめてくる。ふう。真面目に話そうか。


「うん。話さなかったよ。今は話す必要がないと思ったから。オレはロゼの方が大事なんだ。子供が産まれるまでは遠出をするつもりもなかったから、ロゼには伝えなかった」


 あ、ちょっと表情が緩んだ。……戻った。


「コウ。私達を大切にしてくれるのは嬉しく思う。だが、これはコウがずっと追い求めていた夢だったろう?私に伝えてくれても良かったはずだ」


「うん……それはごめんなさい。でも、今のロゼに余計な心配はかけたくなかったんだ」


「それは嬉しい。だけど、私はコウの夢の邪魔をしたくはない。行きたいなら行ってもいい。私だって留守番くらいはできる」


 そう言われるかもしれなかったから、ロゼには言わなかったんだけどな。


「オレも嬉しいよ。ロゼがそう言ってくれて。でも、今は行くつもりはないよ。オレはここでロゼとこの子を守る」


 うん。そうするつもりだ。


「そうか……分かった」


 ロゼも納得してくれたみたいだ。眉の寄った表情でオレの顔に手を伸ばし、頬を両手で包んでくる。

 その指先からロゼの体温を感じる。でも、あれ?ちょっと力強くない?


「ふんっ!」


 ゴンッ!!


「いたああい!?」


 ヘッドバッド!?


「コウ。行きたいと思っているなら行くべきだ。私はコウに夢を叶えて欲しい」


 え、ち、ちょっと待って?普通に会話が進んでるけど、オレ、めっちゃくちゃ痛いから!大丈夫?これ。頭割れてない?


「それに、そんな未練が残る顔で、この子を出迎えるのか?」


 ええ?


「オレ、そんな顔してた?」


 そんな自覚はなかった。オレは確かに、ロゼとこの子の近くにいたいと思っているはずだ。


「うむ。しているぞ。我慢している顔だ」


 ロゼがオレの頬を引っ張ってくる。


「いは、ちょっといたいれす」


 成人男性の頬はそんなに伸びないよ。


「私なら大丈夫だ。コウがいない間はアリシア殿が助けてくれると言ってくれた。それに、私は自分の身くらい守れる。この子も含めてだ。私は元々騎士だったのだぞ?誰かを守るのは得意だ」


 いつの間にアリシアさんと話したのだろうか。確かに、それなら安心ではあるけど。


「だから、行ってくるといい。私はここでちゃんと待ってる」


 そう言って、ロゼがオレの目を見つめてくる。空色の瞳が近い。頷く以外の答えは、受け入れてもらえなさそうな表情だ。


「………………分かった。ありがとう、ロゼ。行ってくるよ。でも、絶対にすぐに帰ってくるから」


「うむ。それでいい」


 息が触れ合うほどの距離でロゼが微笑む。完敗だ。ロゼに敵う気がしない。


 行って来よう、帝国へ。お米を手に入れて、すぐに帰ってこよう。そして、帰ってきたら、ロゼにお米を使った美味しい料理を食べてもらうのだ。

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