第118話 ”オレ”の願い

 おかしい。


 帰還の挨拶回りが終わった日の夜。いつものように家で食事を摂っている。メインは牛肉のステーキ。ロゼッタもタローも好物だ。

 生の牛肉は、旅の間ほとんど食べられなかったからな。奮発した。


 そのステーキを、普段ならロゼッタもタローも3枚ほどは食べるのだが……ロゼッタが小食だ。今日はまだ1枚しか食べていない。タローはいつも通り食べているのに。


 味は別に悪くないはずだ。焼き加減もミスはしていない。オレの舌も美味しいと感じている。


「ロゼッタ、どうかした?食欲ない?」


 なんだろうか。少しぼうっとしているような気もする。旅の疲れが出たのだろうか。


「うむ?ああ……そうだな。少し疲れたのかもしれない」


 風邪か?こちらの人は魔力による免疫で、ほとんど風邪をひかないものだが。長期間の移動と、最近の気温の低下が原因だろうか。


「気分が悪いなら、休んだ方がいい。連れていこうか?」


 普段のオレがいくら貧弱でも、ロゼッタを持ち上げることくらいはできる。


「いや、大丈夫だ。少し休めば良くなるだろう。すまない。今日は先に寝る」


「わふぅ」


 タローも心配そうな声を上げる。大丈夫だろうか。


 ロゼッタは、自分の足で寝室に移動した。特にふらついていたりはしないようだ。明日、少し様子を見てみよう。




 翌朝。起床したロゼッタはいつも通りに見える。


「ふむ。大丈夫そうだ。やはり少し疲れが出たのだろう」


「そう。ならいいけど」


 うん。安心した。でも。


「悪魔の召喚。日付をずらそうか?別に今日呼ばなきゃならない必要性はないし」


 別に、いまさら多少延びたところでオレは構わない。


「いや。今日でいい。コーサクが長年求めてきたのだ。私のことは気にしないでくれ。体は問題ない」


「……分かった。なら行こうか」


 悪魔を召喚する場所は、家の倉庫だ。そこが一番広いし、何かあっても外への影響は少ない。

 倉庫に向かって歩く。ああ、緊張しているな。長年の願いを叶えるチャンスに、体が強張っている。


「…………コーサク」


「ん?どうかした?」


 ロゼッタに呼び止められる。その表情は硬い。


「いや……なんでもない。行くとしよう」


 ロゼッタも悪魔の召喚に緊張しているようだ。悩まし気な表情をしている。


「うん」


 家の中を移動する。数分もかからない距離が、いつもより少し遠く感じた。


 倉庫の扉を開け放つ。魔道具の材料や、大型の調理器具、ガラクタなんかが並んでいる。中央のスペースは広い。問題はないだろう。


 倉庫の中心に向かう。ロゼッタは壁際で待機だ。緊張からか、その顔は少し白い。


 腰の小物入れから、悪魔の宝玉を取り出す。1つ。2つ。3つ。


 色彩の安定しない立体パズルのような宝石を両手で持つ。


「じゃあ、いくよ」


「……うむ」


 準備は出来た。心構えはした。さあ、始めよう。悪魔を呼ぼう。オレの願いを叶えよう。


 3つの宝玉を合わせる。立体パズルのような曲面を触れさせる。


 すっ、と。音もなく3つが重なりあった。継ぎ目はまったく見えない。最初からそうだったかのような、大きな宝石がオレの手の中にある。


 ……いこう。


「『天秤の悪魔』よ。オレの前に姿を現せ」


 オレの言葉と同時に、ゴウッと風が吹き付ける。いや……風じゃない。オレが感じたのは魔力だ。


 倉庫の中で魔力が渦を巻き。“何か”がそこに現れた。


「……子供?」


 子供の姿だ。オレと同じ黒目黒髪。性別は分からない。外見は子供に見える。だが、その目だけは、子供ではありえないほどの意思を宿している。


『やあ。僕を呼んだのは君かい?』


 どんな声なのか分からない。ただ言葉だけが理解できる。


「ああ、オレです。オレが呼びました。オレの願いを叶えてください」


『もちろんだとも。君の願いはなんだい?ああ、普通に話していいよ。敬われようが、蔑まれようが、僕には関係がないからね』


 そうか、ならば。


「オレの願いは故郷の主食だった穀物を手に入れることだ。お米という、その穀物がある場所を教えてくれ。その対価は……」


 対価はずっと考えていた。これで駄目なら……その時はその時だ。


「対価はオレの知識だ!オレの異界の知識をお前に見せてやろう!」


『ふ~ん。へえ~。君の知識。少し見せてもらってもいいかな?』


「ああ、いい」


 言った途端に、酷い不快感が頭を襲った。


 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。


 脳を内側から撫でられているようだ。あまりの不快感に吐き気がこみ上げてくる。頭を押さえて必死に耐える。


 何秒経ったか分からないが、ふいにその不快感が止んだ。


「ぐうっ……!はあ、はあ、はあ」


『なるほどなあ。君は“―――”なのか』


 何と言ったのか聞き取れなかった。オレが何だって?


『ふむ。ふむふむふむ。いいね。面白い。初めて見るものばかりだ。いいだろう。君の願いを叶えよう。でも、これじゃあ、僕がもらいすぎだからね。この場に出してあげるよ』


 ……本当に?今、この場でお米が手に入るのか?


「ああ、ああ!それでたの……」


 ドサリ、と。背後から音がした。


 背後に、倒れるような荷物はない。だとしたら、倒れたのは。


「ロゼッタ……?」


 ロゼッタが、倉庫の床に倒れていた。


 悪魔も無視をして、ロゼッタに駆け寄る。抱き上げると、体温が低い。呼吸も浅い。なんだ。いったい何が起きた。何かの病気なのか。

 魔力さえあれば、この世界の人は簡単に倒れたりはしないのに……!


「なんだ……これ……?」


 ロゼッタの魔力を視る。いつも溢れるほどのロゼッタの魔力が枯渇している。魔力の波形もバラバラだ。これは、オレには分からない。初めて見る症状だ。

 早く。早く医者に連れていかないと……!


『へえ~。これはすごいね。僕も初めて見るよ』


 いつも間にか、悪魔が横にいた。


「なにが……」


『うん?ああ。教えてあげようか。大丈夫。安心しなよ。これを教える程度を願いとは言わないさ』


 悪魔が笑う。苦しむロゼッタと、呆然とするオレの横で悪魔が笑いながら口を動かす。


『彼女はね。子ができたのさ。妊娠中だ。君との子だよ』


「……は?」



 オレの子供。    遺伝子は問題なかった? 近かったのか。   受け入れられた? 世界に。  ここに居場所はある? ロゼッタとの。  オレはここで生きていい?   ロゼッタに伝えないと。



   うるせえ!!! 今は黙れ!!!



「悪魔……!どういうことだ……!妊娠して、こんな状態になる訳がないだろう……!」


『ああ、その通りさ。普通はならない。普通ならね。でも、君は普通なのかな?』


「どういう、意味だ……?」


『この世界の人間は、誰でも魔核を持って産まれてくる。この子は今まさに、魔核が形作られようとしているのさ』


 ああ。魔核は他の臓器と同じだ。胎内で作られる。


『そして魔核はね。君の世界の言葉を借りるなら、両親から遺伝されるのさ。ああ、だけど君には魔核がない。その遺伝子がない。その結果、どうなったと思う?』


 駄目なのか。オレでは。


『この子の魔核は不完全!まるで穴の空いた桶のようさ!母親がいくら魔力注いでも満杯にはならない!』


「なら。なら、ロゼッタはどうなる……?」


『うん?ああ、死ぬさ。魔力がなくなって死ぬ。残念だね。さて、君の願いを叶えようか。中断してしまったからね』


 オレのせいで、ロゼッタが、死ぬ……?


「………セルだ」


『んん~?』


「悪魔。オレの願いはキャンセルだ!ロゼッタを助けてくれ!」


『君の願いは叶わないけど?ずっと求めてきたんだろう?』


「構わない!」


『知らないようだけど、僕を呼べるのは一生で一度だよ?次はないよ?』


「それでもいい!」


 ニヤニヤと悪魔が念を押してくる。いい。構わない。そんなものは考える余地すらない。



「ここでロゼッタを助けられるなら、オレは一生お米が食えなくても構わない!早くしろ!」



『くふ。はは、はははは!あははははは!いい!いいよ!いいだろう!君の願いを叶えよう!』


 悪魔がロゼッタに近付く。その腹部に手を当てる。一瞬、眩い光が目を焼いた。


 視界が戻ると、腕の中のロゼッタからは、苦しみの表情が抜けていた。終わった、のか……?


『うん。終わりだよ。この子の魔核は僕が正常な状態にした。これで問題はないね』


「そうか……」


 全身の力が抜ける。オレはロゼッタを、オレ達の子を……失わずにすんだ。


『さてと、これはオマケだ。天秤は釣り合わないといけないからね』


 悪魔がオレに近付いてくる。


「何を……っ!?」


 動けない!?時間が止まってしまったかのように体が動かない。


 固まったオレの胸に、悪魔が手を伸ばしてくる。その小さな手がオレの胸に触れ、そのまま体に入りこんだ・・・・・・・


「……っ!……っ!……っ!」


 ぐああっ!胸が、熱い!


 何かが埋め込まれるような感触。酷い異物感。心臓付近から、熱が体中に広がっていく。


 なんだ、これは……!


 分からない。自分に何が起きているのかが理解できない。ただ、全身に熱が広がっていく。


『……うん。これでよし!終わったよー』


「はあっ……。何をした!?」


『プレゼントだよ。プレゼント。君にいいものをあげたのさ』


 悪魔がオレを指差す。


『君の異界の知識と』


 次にロゼッタを指差す。


『この世界で初めての事例。どちらも貴重な情報だ。この子を治すだけだと、僕がもらい過ぎだからね』


 そして、悪魔がオレの胸を指し示す。


『君にあげたのは魔核だよ。ついでに、体の情報も少し書き換えた。ああ、心配はいらいないよ。君の特性は変わっていない。追加しただけだ。良かったね。これで、問題なく子供を作れるよ』


 オレの、魔核?


 確かに。胸の奥に何かがある。魔力を感じる。これが魔核なのか?


『さて、君の願いは叶えた。僕は帰るとしよう。ああ、そうそう。その子は無事に産まれるよ。天秤の悪魔の名において保証しよう。じゃあね。“―――”よ、良い人生を』


 そう言って、瞬きした次の瞬間には、悪魔が消えていた。倉庫の中には、オレとロゼッタだけだ。


「う、んん……」


 腕の中でロゼッタが声を上げる。その目蓋が開いた。


「ロゼッタ!大丈夫?気分は?」


「ああ……かなり良くなったようだ。大丈夫だろう」


「ロゼッタ……」


 どこから説明すればいいのだろうか。


「ふふ。そんな顔をしなくてもいい。会話は聞こえていた。私と、コーサクの子がここにいるのか」


 自分の腹部を撫でて、ロゼッタが呟く。


「ロゼッタ……オレは……」


 口を開いたオレを、ロゼッタが見上げてくる。その空色の瞳の前で、何を言ったらいいのか分からない。

 話さなきゃないことはたくさんあるのに。想いがいっぱいで、頭の中がぐちゃぐちゃで、上手く言葉が出てこない


「……オレは……オレは、君を絶対に幸せにしてみせるよ」


 散々悩んで、出てきた言葉はそれだけだった。


「ふふ。おかしなことを言うな。コーサクは」


 ロゼッタがオレの顔へと手を伸ばす。少し冷たい指先が、オレの頬を包んだ。


「私はもう、ずっと幸せだったよ」


 そう言って微笑むロゼッタは、今まで見てきた中で一番綺麗だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る