第115話

「主様……で、アレ、どうするの? 触っちゃダメな上に、ダメージ通らないんでしょ? 何か対策持ってるんでしょ?」


 メイリーは目を細め、ゲルルフを覆う《悪魔の水ショゴス》を観察する。


「……そうだな、触らないように、どうにか時間を稼いでくれ。なるべく俺から距離を取った……あっちの方でな。どうするかは、ちょっと考える」


 アルマは壁の大穴を指で示した。

 メイリーがミスリルゴーレムを蹴飛ばした際にできたものである。


「あれだけ大見得切って、今から考えるの!? あんなに準備してたのに!?」


「悪魔の性質上、守りに特化されると崩すのが面倒なんだよ。わかるだろ? 資材が足りないから、充分に手札を揃えられなかったんだよ。それでも攻撃に特化してくれたらいくらでもやりようがあったのに、よりによって引き籠り戦法なんて取りやがって」


 悪魔は高次元の生き物である。

 その恩恵を受けて造られた《悪魔の水ショゴス》にも同様の側面があり、低次元の攻撃によるダメージの一切を受け付けない力があった。


 まだその力を攻撃主体で使ってくるのならば、隙を突いてゲルルフを倒す手段はいくらでもあった。

 完全に自身を守る方向に出られた以上、単純な力技での突破はできない。


「プレイヤー同士でこんな引き籠り戦法なんて取る奴いたら、俺は二十時間でも出てくるまで待ってやるんだがな」


『何の話をしているのかはわからんが、不毛そうなことだけはわかるぞ、アルマ』


 クリスが溜め息を吐いた。


 ゲルルフがアルマ達の許へと歩いてくる。

 彼を覆う黒い水の表面に浮かび出た無数の顔が、苦悶の表情を浮かべ、叫び声を上げるように口を開けていた。

 触手が逆立ち、威嚇するように矛先をアルマへと向ける。


「ショゴスに呑まれて消えるがいい! ズリングの全ては、この俺のものだ! 誰にも渡しはせん!」


 メイリーが嫌そうな顔をしながら、ゲルルフの前へと立った。

 崩れた壁の一部を蹴り飛ばすが、黒い水に呑まれて黒ずんで崩壊し、消えていった。


「……あのさぁ、主様、触っちゃダメな奴相手に、どうやって時間稼げっていうの?」


「引き付けつつ上手く躱しつつ、無駄だと思ってもなるべく攻撃してくれ。思わぬ隙ができるかもしれん」


 アルマの行き当たりばったりな発言に、メイリーが顔を顰める。


「ふぅん……まぁ、やれって言うなら、やるけどさぁ……」


 メイリーが再び足許の瓦礫を蹴り飛ばす。

 黒い水はそれをものともせずに呑み込みながら、触手をメイリーへと目掛けて振るう。


 メイリーは距離は取らず、左右に駆け回ることで触手を躱していく。

 床を蹴り、大きく反対側へと回り込んだ。


「触手だけではないぞ、竜の娘……!」


 《悪魔の水ショゴス》の一部が爆ぜ、黒い水がメイリーへと雨の如く降り注いだ。

 掠っただけで身体を腐食させられる、猛毒の雨である。

 メイリーは咄嗟に地面を蹴り、翼を広げて回避する。


「あっぶな! でも、避けられない程じゃ……」


「隙を見せたな」


 黒い触手が形を変え、変則的な動きでメイリーへと迫っていった。

 不意打ち気味に放たれた猛毒の雨を咄嗟に躱すために、メイリーは空中でやや不安定な体勢になっていた。

 追撃の触手を腹部に受け、塔の壁へと叩きつけられた。


「ぐぅっ!」


 メイリーは受け身を取り、床の上を転がって素早く体勢を立て直す。

 だが、表情を歪め、腹部を押さえていた。


「……ここまで痛かったの、久々かも。ほんっと面倒臭いんだね、悪魔って」


 上目遣いで、歩み寄ってくるゲルルフを睨み付ける。


 《悪魔の水ショゴス》は触手を大きく広げ、メイリーへと迫る。

 ゲルルフは笑みを浮かべた。


「ショゴスの一撃に耐えるとは、やはり並のドラゴンではない。娘、お前がアルマの最大の武器だな? 何をするかわからないアルマと、純粋に高い戦闘能力を持つお前が固まっているのは少々怖かったが……アルマが無謀で場当たり的な指示を出して、わざわざ二手に別れてくれたお陰で戦い易かった。安心して死ぬがいい。お前の主も、すぐにこのショゴスで溶かして、一つにしてやる」


「主様の一番の武器がボク? そう思うなら、主様のことを舐め過ぎなんじゃないの?」


「なに……?」


「なんでわざわざ無謀で場当たり的な指示を出してボクを前面に立たせたのか、ちょっとは考えてみたら?」


 メイリーが意地の悪い笑みを浮かべる。

 ゲルルフの顔が強張った。


 ゲルルフは自身が臆病であることを自覚していた。

 病的な程に慎重でなければ、他者を出し抜いて悪魔の力を手に入れ、ズリング一の権力者になることなどできなかった。


 かつてのライバルは全員謀殺されて行った。

 根が臆病だったゲルルフだけが生き残った。

 そのことを彼は、むしろ誇りに思っていた。


 ゲルルフはアルマにも自分と似たものを感じていた。

 そのアルマが、準備不足を吐露した挙げ句に、無策で戦力を分散させたのだ。


 奇妙だと思わなかったわけではない。

 ただ、それ以上に焦りがあった。

 《悪魔の水ショゴス》の絶対防御を信じながらも、それでも怪力で素早いメイリーと、どんなアイテムを所持しているかわからないアルマを同時に相手取りたくはなかった。


 結果、そうしなくて済む今の盤面を好機だと、メイリーを狙って動いてしまった。

 今回に限っては、ゲルルフの臆病さが逆に彼に安易な行動を急かしてしまっていたともいえる。


 なぜ明らかに自身よりも深い錬金術の知識を持ち、悪魔にも詳しい様子だったアルマが、準備不足を吐露して悪手を打って来たのか。

 改めて考えれば、すぐにその理由がわかった。

 悪手でなく、それがアルマ視点での好手だったからである。


 少なくとも、目前の竜の娘はそれを信じている。

 そのことは彼女の顔を見ればすぐにわかった。

 ゲルルフは素早く振り返り、視線をメイリーからアルマへと向ける。


「《アルケミー》」


 アルマは鉱石を掛け合わせ、アイテムを錬金しているところであった。


 ゲルルフはその様子を見て確信した。

 行き当たりばったりではない。

 意図のある時間稼ぎだったのだ。


 メイリーを前に出させた時点で、アルマは明確な勝算を持って行動を進めていた。


「くっ……!」


 ゲルルフはメイリーから視線を外し、アルマを睨みつけて走り出した。

 狙いはわからない。

 だが、これ以上、少しでも時間を与えてはいけない。


 二手に別れられたとき、《悪魔の水ショゴス》の絶対防御があるとはいえ、圧倒的な怪力という直接的な強みを持つメイリーへの攻撃を半ば無意識に優先させてしまった。

 しかし、それは間違いだった。

 やはり、何をするかわからないアルマから片付けるべきだったのだ。

 ゲルルフはそう強く思い直していた。

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