第109話

 都市ズリングの中心地の塔にて。

 ゲルルフは自身の執務室にて、兵より報告を受けていた。


「……カルペインが、敗れただと?」


「は、はい、《瓦礫の士》の拠点襲撃作戦は、どうやら失敗に終わったようです。敵方の被害も、どうにも軽微とのことで……」


 ゲルルフは唇を噛んだまま、沈黙した。

 これでゲルルフは己の剣であったオルランド率いる《ヤミガラス》に続き、優秀な弟子の錬金術師であった《銀人形のローゼル》、《狂道化カルペイン》、《魔女ゾフィー》を失うことになった。


 最早、ゲルルフに突出した個の戦力は残っていない。

 兵士や弟子の錬金術師であればいくらでもいるが、ただの数合わせにしかならないだろう。


 特に《狂道化カルペイン》という切り札を切って、ほとんど被害を与えられずに失敗するとは思っていなかった。

 カルペインは身勝手で残虐、研究心と好奇心の塊である。

 敗れることより、ブレーキの利かなくなった彼によって都市部に大きな被害が出ることの方を心配していたくらいであった。


 それがこうもあっさりと無力化されたとなれば、アルマへの評価を大幅に改める必要があった。


「あの、ゲルルフ様……テロリスト共が勢いを付けている今、恒例の演説を行うのは危険かと。明日の演説は中止し、様子を見られては……?」


 ゲルルフは握り拳を作り、机を殴打した。

 大きな音が響き、報告に来た兵がびくりと身体を震わせた。


 ゲルルフは興奮に息を荒げていたが、ゆっくりと呼吸を整えていった。


「ゲ、ゲルルフ様……!」


「報告は終わったな? 去れ」


「は、はい!」


 兵は頭を下げ、逃げるように執務室から出ていった。


『随分と、余裕のないことではないか。お前さんや』


 鏡に映った、梟仮面の女が笑い声を上げる。


「演説を行わなければ、《支配者の指輪》の効果がなくなる……。そんなことになれば、日に日に《瓦礫の士》の人間は増えていき……俺は破滅する!」


『落ち着け、お前さんや。指輪のことなど、あの部下の男は知らんのだろう? 取り乱すでない、この余がついておるのだ。なぁにも心配はいらん。アルマなど、直接叩き潰してやればよいのだ』


「このゲルルフには、万に一つの敗北もあってはならんのだ! アルマ……貴様は一体、何者なのだ! 貴様は一体、どこから湧いてきた! 俺はもう、かつての無力な頃とは違う……絶対的な力を得て、支配する側の人間になった……リティア大陸の覇者となったのだ! ゆくゆくは、この世界全てを手中に収める男だ! アルマ……何故貴様は、この俺が何度排除しようとしても、あっさりと乗り越えて、俺の元へと忍び寄ろうとするのだ!」


『考え過ぎであろうに。はぁ……お前さんは、臆病なのが玉に瑕であるな』


「考え過ぎだと? 優れた錬金術師であれば面倒だとオルランドを暗殺に送り込み……このまま野放しにしてはおけないとカルペインを送り込み……あと何度、俺はアルマを見誤ればいいのだ! ようやくわかったぞ……アルマ! 貴様、最初から《叡智のストラス》の存在に気が付いていたな!」


 ゲルルフが吠える。


『だから、落ち着けと言うておろうに。この余の存在に気が付いているなど、有り得はせんわ。知っていれば、とうに逃げ出しておろうに』


 《叡智のストラス》……それは、今まさにゲルルフが話している相手、鏡越しに別次元より語りかけてくる悪魔の名である。

 ゲルルフは都市ズリングの中で彼女と交信のできる《真実の魔鏡》を手に入れ、こうして今の地位に至るまで成り上がることができたのだ。


「いいや……全てに納得がいった。手出しをしたのがこちらからだとは言え、嫌なタイミングで動き出したとは思っていた。敵の都市内で、急ぎで拠点を作るなど通常有り得ん! 知っていたのだ! 俺が演説のために、必ず決まった日に姿を晒す必要があると! これまでは、悪魔に知見のある者など、この大陸にそう何人もいるわけがないと思っていた! だが、カルペインが敗れたことではっきりした! アルマは……奴は、明らかにこのリティア大陸の外から湧いてきた、化け物だ!」


 ゲルルフは立ち上がり、黄金の杖を持ち上げて激情のままに振るい、執務室に飾っていた花瓶を叩き割った。


『慎重なのは美徳だが……はぁ、相変わらずストレスに弱い男よ。部下が怯えておるぞ』


「俺とて、無数の修羅場を潜ってズリングの都市長になった男だ! これまで《真実の魔鏡》を得るまでに、何度も何度も何度も命の危機があった! 奴が危険なことくらいわかる! いや、遅すぎたのだ! 別次元という安全圏から、この世界を嘲笑しているお前にはわからんだろうがな!」


『余に八つ当たりするでない。怒鳴っても喚いても、仕方ないであろうが』


「明日に急いて演説をしなくとも、ゆっくりと洗脳が薄れていくだけだ……奴の思惑を崩すために、日付を変えるか? いや、しかし、それでは敵に時間を与えるだけだ。急いた準備を強いていることは強みの一つになっている。影武者を用意して偽の演説を行って誘い出し、住民諸共爆破するか? 万が一にも、俺は死ぬわけにはいかない……魔鏡を持って、ズリングを逃げることも視野に入れるべきか?」


 ゲルルフは指を噛んで血を流しながら、そう思案する。

 目は真っ赤に充血しており、とても正気とは見えない形相であった。


『そこまで考えるのか……。少しでも危険があれば癇癪を起すのは、お前さんの悪癖であるな。前に見たのはもう五十年近く前になるが、あのときもここまでではなかったというのに』


「逃げる……? 俺が、ズリングを? ふざけるな! ここは、ズリングは、俺の都市だ! 俺のものだ! 誰にも渡しはせん……渡しはせんぞ! 俺が発展させたのだ! ゴミ溜めに過ぎなかったあの街を、この俺が、生涯を掛けてだ! なぜ余所者にやらねばならんのだ! 全ての貨幣が、全ての資源が、全ての命が俺のものだ! 俺が築いてきたものだ!」


『そうであろうよ。どこに逃げる必要がある? お前さんが万が一のときのためにと準備していた《悪魔の水ショゴス》も、既に完成しておるのだ。それに何より、お前さんにはこの余がついておる。何が怖いというのだ?』


 ストラスがゲルルフを諭すように、猫撫で声でそう言った。

 ゲルルフは黄金杖を振り回し、《真実の魔鏡》を置いている机を殴りつけた。

 天板が割れ、鏡が床へと落ちた。


「俺は、お前も信用しているわけじゃあない。前の所有者がどうなったか、忘れたとでも思うか? 俺は俺自身と、権力以外は何も信じない」


『おお、怖い怖い。して、どうするか腹は決まったのか? 演説を先に延ばすのか?』


「演説は明日行う。来るならば来るがいい、アルマ……! 俺の持つ全てを使って……あらゆる想定をし、如何なる犠牲を払ってでも奴を殺す! この都市の全ては俺のものだ」

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