第95話

 アルマはメイリーと共に、地下牢へと向かう通路を歩いていた。

 簡素な廊下に二人の足音が響く。


「いいか、メイリー。絶対に俺から離れるんじゃないぞ」


「警戒しすぎじゃない、主様? 相手は牢の中だよ」


 メイリーは自身の肩をがっしりと掴むアルマの手を、鬱陶しげに跳ね除けた。

 アルマは縋るものを失った手を、手持無沙汰にふらふらと揺らす。

 珍しくその表情に余裕はなかった。


「怖いもんは怖いんだよ。あんな精神性の奴、始めて見た」


 無論、アルマが口にしているのはゾフィーのことである。

 嫌いだとか気に喰わないだとか以前に、彼女に対しては純粋な恐怖があった。

 今一つ底が見えないのも不気味な要因の一つであった。


「マジでネクロスが可愛く思えるぞ。あいつは狂人であることを誇っていたが、ゾフィーは違うんだよ。何故だかわかるか? ネクロスは周囲の評価を気にしていたが、ゾフィーは完全に自分の世界で完結してやがるんだ。ああいうのが一番関わっちゃ駄目だろ」


「主様も大差ないと思うけど」


「本気で言ってるのか?」


 アルマは表情を歪める。


 ただ、アルマはこの世界を現実だと認識こそしているが、どこかマジクラの延長だと捉えている面があることも否定はできない。

 あのときの価値観を一切引き摺っていないといえば嘘になる。

 ゾフィーの効率、結果主義で道徳心を蔑ろにしている姿勢は、マジクラプレイヤーの考え方に通じるところがある。

 そういった面ではメイリーの言葉も完全には否定できない。


「……なるほど、これがハロルドの気持ちか。次からはあいつにももう少し配慮してやろう」


「主様、袖掴まないで」


 メイリーの手が、ピシャリとアルマの手の甲を叩き落とす。

 アルマは牢へ目を向け、足を止める。


「おやおやぁ、どちらさんかと思いましたが、アルマ様でしたかぁ。いやぁ、このゾフィーに会いにいただけて、光栄ですぅ。ようやく見回りの人に頼んだ伝言を聞き入れてもらえたのですね」


 鉄格子を握り締めたゾフィーが、大きな口を開いて満面の笑みを作り、アルマを見つめていた。

 ただ、口許は笑っているが、目は笑っていない。

 大きく開いた瞳孔で、アルマをしっかりと捕らえ続けている。

 獲物を前にした獣の目であった。


「悪いが伝言は知らん。オルランドか他の奴ならいざ知らず、お前からの伝言は伝えに来るなと言っている」


「あれえ、そうなんですぅ? むぅ、隊長さんなんかより信じていただけていないのは残念です。ゾフィーは、アルマ様のことをこんなにお慕いしておりますのに」


「アホみたいに呼びつけてきてキリがないからだよ」


 アルマは口許を歪めてそう返した。

 メイリーはどうでもよさそうにアルマとゾフィーのやり取りを眺めていたが、牢の奥へと目を向けて「んん?」と口にした。


「主様、あれ何?」


 ゾフィーの背後には二体のゴーレムが控えている。

 他の《ヤミガラス》の隊員の牢には、あのようなものは配置していなかったはずだ。


「見張りだ。体内や口内にアイテムを隠しているかもしれないし、鉄格子や壁をスキルで変形させて脱出を試みる可能性があるからな。衣服や毛髪、血液を使ってだって、その気になればアイテムを造れる」


「主様が捕まったらそれくらいやりそうだけど……あの子、別にそこまではしないんじゃない?」

 

 メイリーが目を細めてゾフィーを見る。


「高く評価していただけて恐縮ですけれどぉ、ゾフィー、そんな技術はありませんよう。アルマ様の期待に応えられなかったみたいで、ゾフィー、がっかりです。いやぁ、やはり、アルマ様は素晴らしい御方ですねえ。ゾフィーなんかでは、遠く及びそうにありませんもん」


 ゾフィーが鉄格子から手を放し、左右の指を絡ませる。

 アルマもそうは考えていたが、念には念を入れ、である。

 ゾフィーの性格を考えれば、可能であれば自身の腹を割いて、血肉を使ってアイテムを造り出したっておかしくはない。


「それで、それで、何のお話でしょうかぁ? ゾフィーからの伝言を拒絶するくらいには放っておくおつもりだったようなのに、何か状況が変わったんですかぁ? こんな早くにゲルルフ様が何か行動を起こしたとはさすがに思えませんしぃ、ああ、もしかして、どなたか口を割ったのですかぁ? 副隊長さんかなあ、さっきも、まるでゾフィー以外から何か提案を受け入れたような口振りでしたし」


 ゾフィーが目を細め、上目遣いでアルマを見る。

 異様に勘が鋭い。ゾフィーはじぃっと沈黙を保ちながらアルマの目を覗き込んでいた。

 アルマは舌打ちを鳴らした。


「そんな取り引きなんてしなくても、ゲルルフ様の一番弟子のこのゾフィーが、ゲルルフ様のことならなんでもお話しますのにぃ」


「……喋ってくれるっていうんなら、聞かせてもらうがな。裏付けをとっておきたい情報も多いからな」


「おおっ! そこまで教えてくださるということは、アルマ様もゾフィーのことを信用なさってくれるおつもりなんですねぇ! いやあ、嬉しいですぅ」


 ゾフィーは再び鉄格子を握り締め、アルマへと勢いよく顔を近づける。

 アルマは怪訝な表情でゾフィーの顔を眺めていた。


「急ぎで必要なアイテムを揃える必要がある。お前が錬金術師として協力してくれるのならば、弟子にしてやることを考えてやってもいい。隠してもどうせわかるだろうから言うが、ゲルルフのマイナスになるものだ。引き受け……」


「引き受けますよぉ! ええ、ええ! このゾフィーにお任せください! ゾフィー、アルマ様のお力になれると思うと光栄ですぅ。微力ながら、ゾフィーの全力を尽くさせていただきますう」


 ゾフィーがカッと目を見開く。


「……よし、わかった。この牢に錬金炉を用意してやる。ただし、余計なものを造ってたら即そこのゴーレムがお前を叩き潰すと思えよ」


「ヤダなぁ、ウフフフ、そんなことしませんよぉ。する理由がないじゃないですかぁ。一途な乙女心をわかっていただけないのは、ああ、本当に残念です。でも、忘れないでくださいねぇ? ね? ね? 弟子にしていただけるって、聞きましたからねぇ!」


 アルマは深く頷いた。


「ああ、考えてやる」


 そう言って、さっとゾフィーの牢の前から逃げるように去った。

 背後からガンガンと鉄格子を叩く音が響く。


「聞きましたからね! ゾフィー、聞きましたからねぇ! 期待してますよぉ!」


 アルマは何も応えず、無言で廊下を小走りで進む。


「……本当にアレ、大丈夫? 主様?」


 メイリーが振り返りながら口にする。


「……大丈夫だろう。性格は一切信用ならないが、探求心に愚直なことは信用できる。奴も言っていたが、餌がある限り、裏切る理由はないはずだ」


「ボク、まさか、一回も目が合わないとは思ってなかったもん。完全に目が主様しか見てなかったよ。主様と似てるって言ったけど、やっぱりあの子は別物かも」


「それが聞けてよかった。結構傷ついてたぞ」

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